ピリオド

  • since 12/06/19
 サークルが同じで、共通の趣味があって、研究内容もよく似ていた。
 遊ぶ、ということに不慣れで自主的に外出することは滅多になかった。行動範囲を広げることも得意ではなかった。なのに、彼にあそこの喫茶店の珈琲がおいしい、興味深い展示会がある、と誘われれば出掛けることはちっとも苦痛ではなかった。
 知らないことなんて何も無いかのように、何でも知っている人だった。無知を咎めることもなく、かといって知識をひけらかす素振りなんて一切ない。彼の言葉は優しく耳朶を打った。
 惹かれるなと言われることが無茶なほどに、優しいひとだった。
 身の程知らずだと分かっている。だから、伝えるつもりなんて一切なかった。伝えたところで、彼を困らせるだけだと理解をしている。彼を戸惑わせるだけだと自覚している。そっと胸の奥底に秘めて、詰め込んで、殺すつもりでいた。長い人生のたった数年。これから出会うであろう人々のなかに埋もれていく。いずれ思い出されることもなくなる。忘れ去られる。それでも今、この瞬間だけは、彼の隣を歩くことを許されている。誰からも慕われる人の、隣を歩くことを許される。それだけで、良かった。
 のぞんでなんか、いない。
 言い聞かせてきた。
 いつかは殺す想いだ。
 いつかは終わらせる願いだ。
 このまま、良い思い出とするために。
 ちっとも、望んでなんていなかった。
 彼の部屋は何度尋ねても緊張をする。不作法を晒さないか不安で、彼を不快にさせないかとおっかなびっくりと、生きた心地がしない。それに、彼と二人きりなのだ。それでも断ることが出来ない。だって、どうしようもなく慕っているのだ。そんな人に誘われたら飛びつくしかない。
 彼の淹れた珈琲が特別に好きだ。
 なにか特別な淹れ方をしているのだろうかと問いかけても、淹れ方を見ていても、普段、自分が入れるときと同じだった。ならば珈琲豆だろうかと思って同じものを購入しても、同じ味にはならない。
 向かい合って座る。珈琲を飲む所作すら優美で、目を奪われる。伏せられたまつげが影を作っている。柔らかで長閑な日差しが窓ガラス越しに、プラチナブロンドをきらきらと輝かせる。少しだけまぶしくて、目を細めた。不意に視線が合う。青い瞳に射貫かれる。
「きみのことを、好ましく、思う」
 時が止まったようにシンと耳に痛いくらいの静寂が落ちる。
 聞き間違いであってほしいと願っても、きっと、それは間違いではない。
 ずっと、慕っていた。言葉を掛けられるたびに舞い上がった。名前を呼ばれるたびに想いがあふれ出しそうになる。死んでしまいそうなくらいに心臓が飛び跳ねて、息苦しくて、それでも追いかけることを止められない。焦がれて、恋しくて、怖かった。
 好ましく、思う。
 そう告げたその人は、いつもの穏やかさを装いながら、どこか緊張したように、顔を強張らせていた。澄んだ瞳は真摯で、好ましく、という言葉はきっと、そういう意味である。友愛だとか、親愛だとかではない。ずっと、見てきたのだ。僅かな変化にだって気づいてしまう。
 嬉しい。そう歓喜するよりも、満悦に浸るよりも、恐怖を抱いた。うろたえた。たじろいだ。信じられないのだ。悪戯に嘘をつく人ではない。誰かを傷つけて愉しむような悪趣味な人ではない。なのに、そんなこと、ありえるはずがないと真っ先に思った。この人に、好まれるだなんて。絶対に、ありえない。だから、俺は、
「断ったの!?」
「断ったんじゃない……ただ、その……」
「結果的にはそういうことなんでしょ」
 しおしおとしょぼくれて項垂れる。机に突っ伏しそうなほどに、凹んでいる。常にあるような小生意気な姿かはら程遠いくらいの凹みっぷりである。呆れてしまった。敷地内のカフェテリアは、講義の間とあって、閑散としている。次の講義までまだたっぷりと余裕がある。遠くの机には、数人がグループになって同じくお喋りを楽しんでいる。もっともこちらのテーブルでは楽しむ、なんてところではないのだが。なんせ中々に深刻な話題である。
 サンダルフォンは真剣に恋をしていた。
 それは、あまりにも純真すぎて、少女のように甘くて優しい恋だった。少女漫画のように思った。甘酸っぱくて、どきどきとしてしまう。それに対するルシフェルさんもいつだって、サンダルフォンにだけは特別優しいのだ。
 ルシフェルさんのことを優しいと評価するサンダルフォンを最初は信じられなかった。だってルシフェルさんと言えば、構内でも知らない人がいないと言うほどの有名人であり、その性格は冷徹に尽きる。冷徹と言っても性格が悪い、というのではない。あくまでも冷徹なのだ。機械のように、淡々としていて感情なんて微塵もないとでもいうような振る舞いの人だった。誰が見ても美人で格好いいと評判ではあるけども、近寄りがたい人だった。そんな人が、優しいなんてどういうことだと思っても仕方ないじゃないか。だからサンダルフォンの惚れた弱みというべきか、フィルターが掛けられているとしか思っていなかった。実際には、とびっきりにサンダルフォンを甘やかしているものだから何も言うことが出来なくなった。それも甘やかのなか、厳重に隠したその奥底には下心がある。
 傍目から見ても、想い合っていることは明らかで、筒抜けであった。いっそ付き合っていないことが不思議なほどで、揶揄い混じりにサンダルフォンにいつから付き合ってるのと尋ねるたびにぎろりと睨まれたものだ。それが照れ隠しだと分かっているから、微笑ましいと思っていたというのに。だから、すっかり、忘れていた。うっかりしてい。どうしようもないくらいに、サンダルフォンがネガティブを拗らせるということを忘れていたのだ。
 本来必要とすべき時期に愛を知らないままに育ってしまって、本人は気にしていないのだろうしなんてことないように振舞う。だけど、ふとした瞬間にその過去が表立ってしまう。自己評価がいつもの高飛車な性格からは考えられないくらいに、ビックリするほど低くて、愛されるわけがない、必要とされるわけがない、と自己暗示をかけている。全部、傷つかないために、自分を守るためだったとはいえ見ていて痛々しいくらいだった。そんなサンダルフォンも、ルシフェルさんと出会って、ルシフェルさんに恋をしているうちにどんどんと前向きになっているようだったから、安堵していたのに。これが本来のサンダルフォンなのかあとキラキラとしているサンダルフォンを見て思っていたのに。
 ルシフェルさんに好意を伝えられたときだって、きっと、表面通りのままに受け止めきれなくて穿った見方をして、結局怖気づいたに違いない。それでいてこうやって後悔を零すのだ。
 突っ伏していた机から顔を上げたサンダルフォンは動揺を飲み込むように珈琲を口にした。珈琲の良し悪しを私は分からないが、珈琲狂いのサンダルフォンが文句を言わずに飲む程度にカフェテリアの珈琲は美味しいらしい。
「だってありえない……あの人が俺なんかを好きになるなんて絶対にありえないだろ……もしかして熱があったんじゃないか?」
「もう、なんでそんな風にネガティブになるかなあ。それと、俺なんかっていうの止めなって。不細工だよ」
「……努力はする」
 おかしなところで自信家なくせに、根っ子は自己否定の塊だ。そのくせ間違った方向に思いきりが良いから手がかかる。なんど軌道修正をしたものか分からない。同級生だと分かっているのについ、弟のように手を焼いてしまう。尤も私は兄弟はいないし、近い年ごろの親戚もいない一人っ子であるが。
「でもきみだっておかしいと思うだろ!?」
「そんなことないけど」
「だって、あの人が、どうして……。だって俺はあの人になにもしてないんだぞ……?」
 サンダルフォンにとって人間関係は対価と報酬だった。何か、が無ければ関係を保つことが出来ないと思っている。そんな歪んだ彼が、とても、悲しくなる。
「じゃあサンダルフォンはルシフェルさんに何かをしてもらったから好きになったの?」
「そんなことない、そんなものがなくたって俺はあの人を好きになっていた」
 即座に否定するサンダルフォンに、一切の躊躇はない。そんなに断言できるならとちょっとだけ、呆れてしまう。
「ならどうしてルシフェルさんの好きは否定するの? そんなの酷いじゃん」
「それ、は……だって……」
「だって、も、でも、もなし!」
 さ迷うように助けを求めるようにうろうろとさ迷っていた視線が、行き場をなくしたように珈琲を見詰めている。サンダルフォンのリンゴのような眼がゆらゆらと揺れている。私はサンダルフォンの背後に気が付きながら、続ける。
「好きって見返りとか、対価とか必要ないんだよ。気づいたら心の中にあって、理由付けなんて後から幾らでもできちゃう。理由なんてない。直感的であやふやなものなんじゃない?」
 サンダルフォンは眉を寄せて、唇を一文字に結んでいる。不機嫌そうな顔だけど、その瞳だけは感情豊かだった。だから、視線を向ける。
「どう思う?」
 サンダルフォンが顔を上げて、口を開く。その瞬間。
「ああ、そうだ。理由なんてないよ。対価も見返りも不要だ。私はサンダルフォンが、好ましく、愛しく、欲しい」
「え、どうして」
「このまま彼を連れて行っても構わないだろうか?」
「どうぞどうぞー。サンダルフォン、出欠なら任せといて」
「え?」
 何が起きているのかさっぱり分からない様子のサンダルフォンは、ルシフェルさんにあれやこれやという間に手を引かれながらカフェテリアを去っていった。というか、好ましいも愛しいもわかるけど欲しいってどういうことだろうかと、今になって思うが今更追いかけるなんて野暮ったいことはしない。ルシフェルさんが紳士的であることに希望を託すだけだ。
(サンダルフォンもとうとう恋人持ちか……)
 ひとり残されて講義までの暇潰しに携帯端末を開く。SNSに目を通せば知り合いはもれなくキラキラと輝いている。みんな友情を蔑ろになんてしない!と分かっていながら、置いてけぼりにされたような、そんな子どもじみた寂しさを覚えてしまう。恋人がほしい、までは望まないからせめて私だって恋がしたいと羨ましくなったって、仕方ない。
 手を引いているこの人は、本当に彼なのだろうか。ずんずんと歩いていく彼に手を引かれる。すれ違う人々が驚いた顔をしている。それもそうだ。本当は、彼とよく似た、彼の友人ではないのだろうか。あまり、得意ではないし、あちらも俺を嫌っているから接点はあまりない。だから、そんなわけないと分かっているのに、本当に、彼なのだろうかと疑ってしまう。だって、こんな彼を知らない。俺の知っているあの人は、冷静で、穏やかで、優しくて、落ち着いていて、感情を顕わにすることなんて、見たことがなかった。手を引かれたまま、足がもつれる。拍子に息切れを起こしていたことに気づいた。
「……すまない」
 彼は息切れなんておこしていない。だから、気づく。このスピードが、歩幅が、彼の本来の歩き方なのだ。そりゃそうだと思う。今更になってだけど。身長は10cmは異なるし、体躯だって違う。いつも、合わせてもらっていたのだ。優しい人だ。気づいてしまう。気づきたくないのに。知れば知るほど、好きになる。だって、もっともっと、好きになってしまう。困る。いつかは諦めるのに、諦めなくてはならないのに、殺すのに、殺さなくてはならないのに。手を、掛けられなくなる。止められなくなる。求めてしまう。
 自覚してしまう。
 この人が、好きなのだ。諦めたくない。殺したくない。苦しくて傷つくと分かっているのに、想うことが止められない。彼も、こんな気持ちを抱いているのだろうか。きらきらと甘くて優しいだけじゃない。苦しくて、悲しくて、つらくて、けれども、捨てられなくて。
 怖くて、逃げ出した俺を、追いかけてくれた。
(己惚れてもいいだろうか)
 止めておけと、制止する自分がいる。傷つくだけだ。分かっている。太陽に手を伸ばしたところで、焼け落ちるだけだ。だけど、その言葉を否定する自分もいる。彼の言葉を信じられないのか。彼は言ってくれたじゃないか。好ましい。愛しい、と。その言葉はきっと、自分と同じである、はずだ。
(伝えても、良いのだろうか……?)
 口の中がからからと乾く。言葉が出てこない。頭の中は冷静なのに、ぐちゃぐちゃと言葉がまとまらない。自分が情けなくて、腹が立つ。
「サンダルフォン、痛かっただろうか。……やはり、不快だっただろうか」
 首を横に振る。そうじゃない。嬉しかった。そうだ。嬉しかったのだ。身の丈に合わない喜びに、俺なんかには過ぎた言葉に、怖気づいて逃げ出したのだ。伝えなければ、彼の気持ちに応えなければ。俺の気持ちを、伝えなければ。見上げる。青がゆらゆらと、揺れている。

2020/03/25
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