ピリオド

  • since 12/06/19
 踏み出すたびに、こつりと足音が響き渡る。静寂に包まれた図書館。荘厳に天井まで聳え立つ本棚には書籍がぎっしりと詰め込まれている。ルシファーはよそ見をすることもなく、目当ての本を探し当てる。しかし、それはルシファーが背伸びをして手を伸ばしたところで届く位置にはない。きょろりと見渡しても脚立も見当たらない。職員も不在である。怠慢であるので後程きっちりと処罰をしなければならない。厄介な悪質なクレーマーではない。職員の性質向上も図書館運営を代々担ってきた一族としては当然の責務である。ルシファーはむっとしながら、きょときょとと興味深そうに本の背表紙をなぞっていたサンダルフォンに声を掛ける。
「おい」
「どうかしたのか?」
「……ん」
「? ああ」
 サンダルフォンは一瞬、首をかしげてから合点がいったというように、ルシファーの脇に両腕を差し込んで持ち上げる。ルシファーはサンダルフォンの行動をやや不満に思いながらも黙って、受け入れる。それから目当ての本を手に取った。ルシファーの小さな手が迷いなく選び取ったのはずっしりと、鈍器のような厚みをしていた。
「また難しいものを選んだな……」
「おまえが理解できないだけだろう」
 嗤笑を浮かべているのだろうということは、顔をみなくてもわかる。だが、サンダルフォンは反論できない。苦い虫を噛んだみたいな顔で、ルシファーを床に降ろした。降ろされたルシファーは、ふんと鼻でわらうだけで感謝の言葉どころか、労りの言葉も掛けやしない。偏屈な性格はいやというほど理解をしている。生まれた時から知る仲でもあるのだ。サンダルフォンは呆れながら、その小さな歩幅に合わせて、後ろ手に手を組みながらのんびりとその後に続く。
 実際のところはといえば、サンダルフォンは愚鈍でもなければ、莫迦でもない。学び舎では落ちこぼれではない。寧ろ優秀な部類に入る。それでも、ルシファーには遠く及ばない。それに加えてもう一人の幼馴染の存在もある。所謂天才と称される頭脳を持つルシファーと秀才である幼馴染に挟まれたら自分は凡人なのだろうと、すっかり、思い込んでいる。それになんだかんだと、16年の付き合いになる幼馴染のことは嫌いには慣れない。子憎たらしいとは思うけれど。
 図書館に備え付けられている閲覧用の机と椅子はルシファーの、種族としては平均ではるものの他の種族に比べて小柄な体格には合わない。かといって子ども用のものを使用することはルシファーの山の如く、天を貫かんとする高いプライドが許さない。なのでいつだってルシファーの読書の定位置は、
「お前の小間使いじゃないってのに……」
 ぶつくさと文句を言いながらも、閲覧用スペースの奥を陣取った。出入りの勝手が悪いだけあって人は疎らだ。椅子に腰かけたサンダルフォンは自信の膝にルシファーを降ろした。ルシファーの体は机に対して丁度良い視線の高さになる。それから、ぽよよんと枕のように頭部を包み込む感覚。ゴムまりのように弾けんばかりの見た目とは裏腹に、中身は脂肪とだけあって柔らかだ。
 ルシファーはその感触を中々に気に入っている。
「…………また乳が育っているな」
「友よ、それはセクハラだ」
 気配もなく掛けられた声にルシファーの耳元でどどどどっと心臓が破裂しかねん勢いで早鐘を打っている。ちなみに声を掛けた張本人は驚かせる心算は微塵もなかった。ただ邪な気配を感じ取り忠告せねばなるまいと生真面目な生来の正義感であった。
「びっ…………くりした…………」
「おい。煩いぞ。心臓止めろ」
「無茶を言うな」
 なんとか小声で押しとどめたルシファーとサンダルフォンの会話を、ルシフェルは微笑ましそうにしてみているが頭部にひょっこりと生えたふわふわの耳は雄弁に、ルシフェルの内心を表している。しゅん、と萎れた耳にサンダルフォンに小突かれたルシファーはやれやれ、と16年付き合ってきてこれの鈍感っぷりがまだ分からないのかと、手のかかる鈍感二人に挟まれた自身の境遇を嘆きながら表紙をめくった。

 ルシファー、ルシフェル、サンダルフォンは幼馴染である。大きな村ではないものの歴史のある村の名家それぞれの子息として、殆ど同時期に生まれた。エルーン族であるルシフェルにハーヴィン族のルシファー、ドラフ族のサンダルフォンは種族は異なれども、兄弟同然に育てられた。そんな生い立ちの中でルシフェルがサンダルフォンに恋慕の情を抱いていると気づいたルシファーはまじかと正気を疑った。それも、ルシフェルは無自覚であるのだから猶更である。ルシファーには理解できなかった。傍目から見たらサンダルフォンはおそらく、愛らしいのだと思う。ドラフ族特有の肉付きは惹きつけるものがあるらしいし、顔立ちも悪くはない。ただルシファーにとってサンダルフォンはどうあっても恋愛対象としては見ることが出来ない。こいつと付き合うだなんて絶対に無理だと想像すら放棄する。だからルシフェルがサンダルフォンをそういう意味で好ましく思っていると知ったときは奇妙な呪いにでも罹ったのだろうかと解呪師を呼びつけようとした。実際のところはといえばルシフェルは無自覚であったしサンダルフォンに至っては意味すら理解していない。

「そういえばお兄さんが帰ってきてるんだね」
「ああ!」
 弾んだ声にルシフェルの耳がひょこりと揺れる。わかりやすいやつだな。ルシファーはサンダルフォンの兄を思い出す。ドラフらしい、サンダルフォンとは似ても似つかぬ厳めしい大男だ。昔の修行で大怪我を追って以来マスクで顔を隠している。怪しげな風貌をしているが善良な青年である。年が一回り離れており、修行で家を空けることもあってか、あまり親しくした記憶はない。家族であるサンダルフォンすらあまり一緒に過ごした記憶はない。だがサンダルフォンは兄を慕っている。所謂ブラコン、という域に入っておりなんとなしにルシファーが、ルシフェルに半ば脅されながら問いかけた恋人の条件には「兄さんみたいな人がいい」が真っ先に挙げられた。ルシフェルは項垂れながら肉体改造に勤しんでいた。ドラフのような肉体はエルーンには無理だろうというルシファーの見解にも、だが……と食い掛っているのだ。その効果は着実に表れているがドラフには程遠い。
「修行が終わったみたいなんだ」
「今回はずいぶんと長かったね」
「最後の修行だからな。でも、これで、兄さんが正式な当主になるんだ」
 サンダルフォンの家系は武道に特化している。次期当主は全国各地を修行して回り認められなければならない。旧式だなとルシファーが笑うも、サンダルフォンは伝統だからなと返すしかない。
「次は私のばんだな」
 サンダルフォンが呑気に言う。兄がいるとはいえ、サンダルフォンも家系に恥ぬようにと日々鍛錬を行ってきた。
「サンダルフォンも、修行に出るのかい?」
「そんな仕来りあったか?」
「? 何言ってんだ。見合いだよ。お前たちも来てるんだろ?」
 きょとりと言うサンダルフォンにルシフェルとルシファーは絶句した。今までそういった話題を一切しなかった彼女がなんとなしに、さらりと零した言葉が信じられないでいた。
「……みあい?」
「ああ、見合いだよ。もう16だからって母さんが張り切ってるんだ。父さんはあんまり気乗りしてないみたいだけど……。兄さんがどう処理するのかわからないけどな」
「…………きみは嫌ではないのか?」
「え? まあ、やっぱり好きな人と結婚はしたいとは思ってるから……好きになるように努力はするつもりだ。好きになってもらえるように努力もする」
 きっぱりと言うサンダルフォンはあまりにも、
「…………おまえ何歳だ?」
「何言ってんだ、同い年だろ。16だ」
「………………5歳児でももっとマシなことをいうぞ!?この脳みそ花畑娘が!」
「図書館では静かに!」

 司書のマダムの眼光にぶるりと背筋を震わせて慌てて図書館を去る。まだ放心中のルシフェルの手をルシファーとサンダルフォンはせっせと引きながら歩く。昼下がりの麗らかな陽気が頭を焼く。ふわりと春の香りが風に運ばれる。
「好きな奴はいないのか?」
「好きな奴?」
 別にルシファーはルシフェルの恋路を応援しているわけではない。寧ろこんなじゃじゃ馬やめておけと忠言している。それに、種族の壁というものがある。愛だ恋だは結局のところ感情の暴走にすぎない。結局のところその結果にあるのは子孫を残すという本能でしかない。ルシファーはリアリストだ。夢物語をそらんじて夢想にふけるようなロマンティストではない。とはいえ、無防備すぎる幼馴染の危うさを今になって知る。無垢なんてものじゃない。これは危機感がなさすぎる。今時の幼児すらもっとリアリティのある恋愛観をもっているぞ。
「それは……に「肉親は却下だ」
「……ならルシフェルとルシファー……」
 心底不服そうに言うサンダルフォンにルシファーは頭を抱えたくなる。花畑過ぎるのだ。脳みそが本当につまっているのか。あまりにも。無垢だとか無知なんてものじゃない。純粋培養。天然素材。好きっていうのは努力だなんだってもので覆る感情じゃない。リアリストであるルシファーすら認識している。理屈が通じるものじゃない。それを、サンダルフォンは、それでは、まるで。
「サンダルフォン、きみは」
 ようやっと意識を取り戻した様子のルシフェルもその異常さに気づいたようだった。
「恋をしたことはあるのかい?」
 サンダルフォンは目を丸くして首を傾げた。

2020/03/14
×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -