ピリオド

  • since 12/06/19
 真昼に訪れた彼らはもしかしたら夢だったのだろうか。孤独な心が生み出した、憐れな妄想だったのだろうか。憂色を浮かべては、二人分の茶器を視界に入れて、息をつく。手に取った白磁の茶器は、ルシフェルから与えられたものだった。怒られるのだろうか。彼の知らぬところで、与えられたものを、勝手に振る舞ったことを。
「……ありえないことだ」
 サンダルフォンは自分の言葉に、冷笑を浮かべ、呆れた。
 ルシフェルは完璧な王だ。麒麟は、サンダルフォンは、彼の支えとして役立つこともない。ただの、象徴でしかない。この世界に、この国に、サンダルフォンは必要なかった。現に、二千年という在位の中でルシフェルは一人でも問題が無い。サンダルフォンは、その歳月の中で、かつての苦しみに喘ぐこともなく、床に臥せることもなかった。彼の治世に、間違いが無かったということだった。彼の選択に、過ちは無かったという証左だった。
「何も、間違ってなんかない」
 頭を垂れた彼は名君だった。喜ばしいことだ。なのに、心が晴れない。国が栄えているのに、どうして、心は重苦しい。
 庭に出ればしんしんとした静かさが身を包んだ。サンダルフォンは、素足であることも厭わず、冷たい土を踏みしめる。土が、爪に入り込む。気持ちが悪いなと思いながらも、サンダルフォンは部屋に戻らない。部屋に戻れば、また、甘えたに、考えてしまう。欲深くも、焦がれてしまう。求められたい。必要とされたいと、願ってしまう。
 隠してきた感情を、彼らに暴かれてしまった。若い王と、幼い麒麟。彼らと出会って、サンダルフォンは思い出してしまった。捨てなければならない感情だった。隠し通さなければならない願いだった。忘れなければならない欲望だった。
「サンダルフォン!」
「しゅ、じょう? どうして、」
 サンダルフォンの浮かべる顔を見て、ルシフェルの中で霞が消える。明確になる。どうして、分からなくなっていたのだろう。彼は喜んでなんていなかった。彼は守ってほしいだなんて言ったことはなかった。彼はいつも、共にあろうとしていた。
 迷うことなく、庭に飛び出して、駆け寄った。日頃浮かべる余裕はどこにもない。苦悶を浮かべどうにか開いた口は、許しを請う。
「私は、やり直せるだろうか」
「やり直すことなんて、何もありません。実りは豊かに、人は喜び、国は栄えているではありませんか。あなたは、何も、間違っていません」
 サンダルフォンの笑みは、鬱蒼とした陰りがかかり、作った笑みでしかなかった。ルシフェルが間違っていないから、そんな顔をしたのではない。彼は、常と変わらない。二千年間、目にしてきた。。サンダルフォンはいつも、悲しみを隠していた。隠しながら笑みを浮かべていたのに、なぜ、気付くことが無かったのか。後悔が押し寄せる、自身に対して、愚かしさに、怒りが込み上がる。
 麒麟は、仁の生き物であるから?──否。ルシフェルは、ただ甘えていたに過ぎなかった。王の責務も、命の重みも、一人で受け入れたくせに、その重みに耐えかねて、サンダルフォンに甘えていた。指摘された通りだった。麒麟とは、半身とは分かち合うものだというのに、サンダルフォンは、ルシフェルを守ろうとしていたのに、無碍にした。彼の優しさを、拒絶した。彼を、言い訳にしていた。ルシフェルの押し付けでしかなかった。サンダルフォンのためと言いながら、サンダルフォンのことを、考えていながら、考えていたつもりで、ルシフェルはサンダルフォンを理解しようとはしなかった。ルシフェルの押し付けでしかなかった。二千年を、何をしていたのだろう。決して、短い時間ではない。なのに、ルシフェルはその間、サンダルフォンに、何を出来ていたのだろう。サンダルフォンに与えたかったものを、ルシフェルは与えられていなかった。何のための、二千年だったのだろう。
「サンダルフォン、きみの言葉を聞かせてほしい」
「俺の、いえ、麒麟が何を言ったところで、それは無為な優しさでしかないでしょう? なにをいっても……」
 そう言ったサンダルフォンは、諦めたように笑った。何を言った所で、聞き入れられることはない。何を言ったところで、無意味でしかない。全て、届きはしない。サンダルフォンは、諦めてばかりいた。
──私は、そんな顔が見たかったのではない。私は、彼に、サンダルフォンに、ただ笑っていて欲しかった。苦しむ姿を見たかったのではなかった。悲しむ姿を見たかったのではない。彼の心が安らかであることを願っていた。それだけだった。それを、思い出した。私は、決して、善き王ではない。理想の王ではない。民のことを考えたことなんて、一度とてない。国のためを思ったことなんて、何一つとして、無かった。ただ、その先に、彼が笑っているのならと、考えてばかりいた。彼のためになるのなら、彼を守る世界になるのなら。思い出す。どんな国が作りたかったのか。理想の国。私の理想。私は、彼が笑っている国を作りたかった。
 彼は笑っていない。ルシフェルが望む笑みではない。傷を隠す笑みを望んだ事は無い。悲しみを、憂いを帯びた笑みではない。ルシフェルは、ただ、サンダルフォンが安らげる居場所を作りたかった。
 求めたのは、こんな結末ではない。結末では、ない。まだ、終わっていない。
「主上? どうなさったのですか?」
 彼は、優しい生き物だから、非道い男を案じてくれる。彼の言葉を聞くことも無く、閉じ込めてきた男の身を案じる。かつての、王の気持ちが分かってしまった。二千年前、彼を傷付けた気持ちが、分かってしまう。彼に望まれたい。主上ではない、彼に、王ではない、ただ愛しさに焦がれる男として、見てほしい。
 胸を締め付ける、狂おしい感情に、ルシフェルは気付いた。気づいて、しまった。

2019/02/05
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -