ピリオド

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 かさりと、落ち葉を踏みしめる音に顔を上げた。久しぶりの青空に庭で出ていた。ルシフェルを待ちながら、つい、転寝をしていたサンダルフォンは目を瞬かせて周囲を見渡す。座った姿勢で眠っていたからか、体のあちこちが軋んだ。控えていた使令が動くことがないから、敵意が無いと判断をする。ルシフェルではないと分かっている。彼は扉からしか現れることはない。足音は迷いながら、近寄ってきた。
 心細そうに周囲に視線を彷徨わせる少女を、サンダルフォンは小さな笑みを浮かべて出迎える。少女はサンダルフォンの姿を視界に入れると、ほっと、安堵に胸を撫で下ろしていた。
「冷えただろう? 温かいものを用意しよう」
「良いんですか?」
 意外そうな少女にサンダルフォンは肩を竦めて見せる。
「客人をもてなさないような国だとは思われたくないからな」
「そ、そんなつもりは」
「わかっているさ。少し待っていろ」
 湯を沸かすだけだった。いつも、茶器も茶葉も用意しているから時間はかからない。少女がきらきらとした目で庭を見ているから、サンダルフォンは室内で飲もうと思っていたが、用意したものを庭に備えられている机に広げた。
「わあ!」
 振る舞った名産品に、少女が笑みを浮かべて美味しそうに呑むから、サンダルフォンもつられるように、不格好な笑みを浮かべた。
 二人は自分たちが同朋であることを覚っている。故にサンダルフォンは彼女を招き、彼女はそれに応えた。自分たちが傷つけあうことはないと確信を得ていた。
 少女は、ルリアは麒麟であるものの、蓬山で産まれることも暮らすことも無く、人間として育てられてきた。女怪が探し出して、見つけて、やっと麒麟であることを本人が知った。とはいえ、まだその自覚は薄い。十余年、人間とばかり思い込んでいた意識は中々塗り替えられない。ただ、王である彼と出会って、彼と共に、国を作るのだと張り切っている。若い麒麟に、微笑ましさと、嫉視を向けていた。
「どうかしたんですか?」
 サンダルフォンの悪意に彼女は気付かない。悪意ともいえない、ささやかな羨望。しかし、サンダルフォンは己が抱いた感情を、恥ずべきものと隠しこむ。
「なんでもない」
「でも、」
「本当に、何でもないんだ。きみと、王の話を聞かせてくれ」
「……はい、王は、グランはね……」
 ルリアは王の話を口にする。ルリアが出会った、王となる前の無邪気で、正義感の強い何処にでもいる青年のことを。冒険譚のように語られる話にサンダルフォンは、ルリアが王を慕っていることが伝わる。そして、彼女の王もまた、半身として、彼女を大切にしていることを感じ取った。羨ましいと、妬ましいと思ってしまった。王に必要とされる彼女が、王に応えてもらえる彼女に、妬心が込み上がる。眩しかった。話を聞けば聞くほど、サンダルフォンの笑みは失われていく。笑みを作ることが出来ずにいた。ルリアは、困惑をして、何か、粗相をしたのだろうかと心配になる。しかし、サンダルフォンは気にする事は無いと言うだけだった。
「嘘です、そんなの」
 何を言うんだと、ルリアを見れば、彼女もまた、むっとした顔でサンダルフォンを見つめていた。青い眼が全てを見透かしているようで、居心地が悪い。
 ルリアの目には弱々しい同朋の姿しか映らない。心を許した女騎士の言葉で、彼の国を訪ねることをグランと共に楽しみにしていた。二千年に及ぶ治世、その手腕を学ぶことを、彼らと言葉を交わすことを待ち遠しく思っていた。何を話そう、どんなことを聞こう。だというのに、出会った同朋は言葉少なく、瞳は悲しみを帯びて弱々しい。彼の性格だろうかと思っていたけれど、言葉を交わすうちに察してしまう。彼は病に罹っている。
 失道の病よりも、よほど酷い、目に見えない病。彼自身が気付かないふりをしている、王は、何をしているのだろう。民は笑う。国は豊かでも、麒麟に、笑みは無い。
「あなたは、」
「俺にも、サンダルフォンという名前があるんだ」
「え?」
「サンダルフォンと、呼んでくれないか?」
「サンダルフォンさん?」
「……ああ。有難う」
 笑ったつもりが、泣き出す手前になったことに、サンダルフォンは気付かない。嬉しいのに、それを表現する方法が分からない。二千年の寂しさが奪っていった。サンダルフォンと呼ばれて、あの人以外に呼びかけられて、生きていることを思い出す。あの人が、サンダルフォンの寂しい心が造りだした幻影ではないということを思い出す。
「ルリアー!? どこー!?」
 静寂を破る声だった。遠くからでもよく聞こえる。
「探しているぞ?」
「でも、」
「さっさと行けばいい。きみは、探してもらえる。必要とされているのだから」
「サンダルフォンさんだって、必要とされています」
 どうだろうな。サンダルフォンの言葉は、年若い王の言葉に掻き消えた。
「見つけた!」
 グランは、見つけた半身の姿に駆け寄った。はうと、ルリアは彼から溢れる怒りに怖気付く。グランの怒りは、彼女の身を案じてのことだった。姿を確認して、怪我のないことを、グランはふうと息を吐き出した。それから、怒りが身を潜める。心配ばかりが顔をのぞかせる。優しい、王なのだと分かった。
「心配したよ、急にいなくなるから」
「ごめんなさい……」
「うん、あとでカタリナにも謝ろう」
「うー……」
 二人の姿から、サンダルフォンは目を逸らした。
「あまり余所の国の王宮をうろつくものじゃない」
 厳しい言葉を掛ける。彼らのためを思ってのこととはいえ、八つ当たりも自覚していた。冷たい言葉になっていた。二人はごめんなさいと謝罪を口にするから、サンダルフォンは弱いものを苛めているような気分になる。大きなため息を吐き出す。仕方ないと、手のかかる子らだと、思いながら、
「早く元来た道を戻れ。あまり、人に見つかるんじゃない」
 サンダルフォンの言葉に、グランは有難うございますと言ってから、行こうとルリアの手を取った。はい、と頷きながらも、ルリアはサンダルフォンが気になって、グランに手を引かれながら振り向いた。サンダルフォンは静かに佇んでいる。サンダルフォンは二人の姿を見守りながら、正しい王と麒麟の関係である、支え合う二人に憧れを抱いた。



 国賓として持て成される。庶民であったグランにも、ルリアにも馴染みのない待遇だった。国としての威信をかけたもてなしに、二人は委縮してしまう。そんな二人の反応を、ルシフェルは老成した視線で、微笑ましく見守る。単純に二千年以上の歳月を生きてきたルシフェルにとって彼らは若く、幼く映った。
 彼らにはこれから多くの困難が待ち受けるだろう。王としての責務が、若い彼に圧し掛かるだろう。平凡に生きてきた彼には想像もつかない策謀が繰り広げられる。ルシフェルは、これまで多くの王と麒麟と出会い、別れを経験してきた。ルシフェルから王としての国造りの教えを請うために、またはルシフェルとよき関係を築くためにと、即位をした王が習わしのように訪れる。その度に、ルシフェルは特別なことを言わない。道を示すことはしない。ただ、麒麟を大切にしなさいとしか言わない。
 ルシフェルは麒麟を、サンダルフォンを大切にしている。彼を守るために、傷つかないように、傷付けるものから遠ざけた。あの離宮は彼を守る砦なのだ。彼の柔らかな心を守る為だ。無垢な心が悪意に晒されることのないように、全て、サンダルフォンのためだった。
 訪れるルシフェルを、サンダルフォンは出迎える。瑞々しい肌、艶のある赤味掛かった黒髪、燃え上がるような焔の瞳。傷付けられることはない。傷つく事は無い。痛ましいものに触れる事は無い。その姿に、ルシフェルは正しい選択をしているのだと、思っていた。
「あなたは、大切にしているの?」
 グランの言葉に、ルシフェルは無感情に、若い王を見つめた。長い在位の王としての圧力を感じながら、グランは震えそうになる唇で、言葉を発した。隣では、ルリアが心配そうにしていた。ルリアがグランの手に触れる。剣を握る手を、小さく白い手が包み込んだ。恐怖を感じて、小さく震えていた手を包む手は暖かい。グランはまっすぐに、ルシフェルを見つめた。
「あなたのそれは、宝物を閉じ込めているだけのよう。そこに、麒麟の、彼の意思はないんじゃないですか」
「……彼のためだ。彼が、傷つくことのないように、」
「違います、きっと。それは、貴方の自己満足に過ぎない」
 口を挟むことが許されていない。空気が張り詰める。王同士の問答に、衛士に緊張が走った。
 グランは止まらない。隣国の、名君と名高いルシフェルに対して、王同士であっても、だからこそ、不敬が過ぎる発言だった。グランは言葉を取り消すことはしない。
「あなたは、麒麟のことを信頼しているの?」
「当然のことだ」
「そうかな。僕には、そうは見えないよ。あなたは、何もかも、完璧な王だと思う。あなたの国は、理想の国だと思う。善き王なのだと思う。けど、僕は、あなたみたいになりたいとは思わない。あなたのように、なりたくない」
「グランッ!」
 たまらず、悲鳴のように、騎士が王を制止した。ルシフェルに仕える衛士たちは、敬愛する王が侮辱されたことに剣呑な雰囲気をまとう。許されることではない、互いに傷つけあうことはあってはならない。怒りを、必死で押さえつける衛士に対して、王だけは、ルシフェルだけは、まっすぐにグランを見ていた。彼の言葉に、腹を立てる様子もない。悲しむこともない。ただ、彼の言葉を聞き入れていた。その目は、年若い王を侮っているわけではない。戯言とだと切り捨てるわけではない。同じく王という立場で、彼を見つめ、その言葉を聞き入れている。
「あなたのように、ひとりぼっちの王様になんてなりたくない。僕は、ルリアと一緒に王になる。ルリアと一緒に、良い国を作る。あなたのように誰もが笑う国ではないかもしれない。でも、僕はルリアを一人で泣かせたくない、一人ぼっちになんて、させたくない」
 グランは、ルリアの手を握り返した。
 生きて十余年の、理想を夢見た甘い言葉だった。現実の厳しさを見ていない。若々しい考えだった。
「……そう、か」
 静かに、ルシフェルは頷いた。グランは、途端に、自分は何を言ったのだろうかと顔を青褪めさせる。発した言葉に嘘偽りはない。思ったことだった。逸れたルリアと共に、元来た道を辿っているとき、ルリアに聞かされた。サンダルフォンという、麒麟のことを。どうしてサンダルフォンが閉じ込められているのか、ルリアはサンダルフォンに尋ねる事は無く、そしてルリアには分からない。けれど、グランには分かった。分かってしまう。だから、言わずにはいられなかった。麒麟を大切になんて、どの口が言うのかと、思ってしまった。
「……あなたは、どんな国が作りたかったの」
 エリヤであったときに、彼から尋ねられたことがあった。ルシフェルは答えることが出来なかった。自分が王であるなんて考えたこともなく、想像もできずにいた。そして、王となっても理想の国はルシフェルの中にはなかった。ただ、民の願うまま、仕える者たちの理想のまま、善き王であろうとした。ルシフェルは理想の王になった。国は、民たちにとって理想の国となった。この国を、ルシフェルは、愛せているのか。この国を、ルシフェルは、誰のために、どうして、この国を豊かにしようとしたのか。何故、彼を遠ざけたのか。
「……グラン」
 名前を呼ばれてグランはびくりと震えた。暴言を吐いた自覚がある。威圧にびくびくとしながら、ルシフェルの言葉を待つ。
「きみは、善き王になるだろう」
 ぽかん、としたグランは言葉を認識して、なってみせますと力強く頷いた。ルシフェルは彼らを見守り、半身を想った。彼に会いたい、会わなければならない。けれど、今まで目を背けていたことを突き付けられる。私は、なにをしたかった、なんのために、彼は、笑っていたのか。
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