アジトに、戻ってきた。…折角、雨風が凌げそうな場所を見付けたのに。私、尾行されてるのかな?何処へ行っても、直ぐ連れ戻されてしまうのだ。有無を言わせない…無言の威圧。三つも年下の癖に、なんだあの迫力はっ。私がチキン過ぎるだけなのか…振り払う事も出来ずに、従ってしまうのだ。名前を呼んでも、振り向きもしなければ返事もしなかった。…この娘、私が先輩だと解ってるのかしら。不服に感じても、其れを口に出して言えない。そう、今日も私の負けなのだ。

「なんな、の…」

掴まれていた右手には、まだ温もりが残っている。ねぇ、此処まで案内して…其れで終わり?勝手に、居なくならないで欲しい。何か用があってアジトへ連れ戻したんじゃないのかっ。ああもう私の意気地なし!…あの娘、問い質せない事を解ってるのかしら。通されたのは、まだ真新しい私の部屋。自室へ足を踏み入れても、嬉しくもなんともなかった。…何が、自室だ。もう、お気に入りの私物は何一つない。幾度となく爆発に巻き込まれ、とうの昔になくなってしまったのだ。殺風景な部屋に一人佇んでは、眉を顰めた。ホルムアルデヒドだろうか…独特の匂いが、鼻腔を刺激する。改築したのも、これで何度目の事か。他人の部屋に感じるのは、嗅ぎ慣れた自室の匂いがしない事も原因しているのか…って、私は犬かっ。ああ其処まで、だ。どうせこれ以上考えたって、変な方向に逸れるだけ。大きく息を吐いては、踵を返した。此処に居ても、当分任務は入っていないのだ。こんな荒んだアジト、一秒たりとも居たくはない。ドアの方へと、足を進め始める。これでも、一時は前向きに考えていたのだ。自室を防音にしてまで、此処に住もうとしてたっけ。…うん、半日で考えが覆ったけれど。ボスがこの現状を打破せずにいる以上、私が此処を住処にする事はない。きちんと任務を熟しているのだから、文句はないだろう。順応しろ、と言う方が無理なのだ。さあ早く逃げよう…そう思う私を、察していたかのよう。

「?! …パンテーラ!」

「……」

…やっぱり、監視されてるのかな。あともう少しで、退室出来たのに。防音の施されたこの部屋に、突如轟音が入り込む。開いたドアからは、此処へ連れて来た張本人…パンテーラ。目を見張った時には、上擦った声が出ていたんだもの。これじゃあ動揺しているの、丸分かりじゃないかっ。後ろ手にドアを閉めたらしく、この部屋にまた静寂が戻ってきた。何故彼女はまた此処に…あ、用事を思い出したとか?恐る恐る、もう一度名前を呼んでみる。用がある割には、この反応。ただ、私を見つめるだけ…やっぱり、用はないの??毎度連れ戻される身にもなって欲しい。結局、いつもこうだ。用がある訳ではない。彼女が私の話を忘れていなければ、此処に居たくない理由を知っている筈なのに。ただ解るのは、連れ帰る事が彼女の任務にはなっていない事。昔、直接ボスに訊いたのだから間違いない。これは彼女の意思だ。…ねぇ、理由は何?いったい、何を考えているのだろう。彼女の長い前髪は、感情をも隠しているような気がした。近くで爆発があったらしい…防音が敵わない程の爆音が轟く。振動する床が、心許ない。参ったな…。目の前に彼女が居る以上、何処かへ行けない。向かい合ったまま、時間が過ぎるのを待つのだろうか。だいぶ落ち着いてきた、心臓。お互い、口を開く事はない。…そっちがその気なら、私も。妙な競争心。無言を貫き通す事に決めて、瞬きをする。静か、静かだね。ああ…だからこそ、耳立つの。ねぇ、どっち?今、お腹が鳴ったのは。










「あ、れ」

瞼を開ければ、陽が差し始めた部屋。彼女が、いない…感じた違和感に、まだ薄暗い部屋を見渡した。体を動かさずに、視覚で得た情報を頼りに状況を把握していく。落胆したのは、数十秒後の事だ。…郷夢だと、気付いてしまった。彼女の影を捜していた私は、紛れもなく依存している。寝惚けていたとはいえ、自分の行動に自嘲するしかなかった。夢…今では、懐かしい思い出。彼女との距離が、縮まった日。大袈裟?ううん、本当にそう思う。もしあの時空腹じゃなかったら、今のような親密な関係は築けていなかったかもしれない。彼女のお腹も鳴ったんだと判ったのは、彼女の頬が赤く染まったから。初めて目にした彼女の感情に、驚きと共に嬉しさも込み上げたっけ。堪らず噴き出した私に、彼女も口元を綻ばせてくれた事が印象的だった。

「…パンテーラ」

上体を起こせば、ベッドが軋む。此方でも、相変わらずアジトを住処にしていない。流石トマゾ…と言うべきか、他国へ行っても、同じ光景が広がっている。この国のアジトも、内乱が日常茶飯事なのだ。大好きな彼女は、居ない。今では、連れ戻される事もないのだ。必ず捜しに来てくれた彼女を、そのまま彼方此方へ連れ回しては遊んだっけ。彼女との時間に楽しさを感じていた私には、今の生活は味気ないものなのだ。ああ…今日はなんでこんなに彼女のことを考えるのかな。住めば都って云うけど、私には馴染まなかったみたい。生まれ育った所が一番良いのよ。任務とはいえ、長期間余所での生活を余儀無くされている私は心底そう思う。一枚のガラスを隔てて見る世界は、いつ見てもつまらない。故郷と比較してしまうのは致し方ない事…今日も悲観的な現実を受け入れられないまま、窓に背を向けた。どうせ外を眺めていたって、懐かしいものなんて何処にもありはしない。ベッドへ倒れ込んでは、頭まで掛け布団を被った。イタリア支部での仕事は、決して楽ではない。やり直しなんて、ない。身を削る思いで、挑んでいる。間違っても、任務を失敗で終わらせてはいけないのだ。逃げ出したい…そう思ったのも、もう数知れない。私はまた故郷に帰れるのだろうか、また会えるのだろうか…いつだって、不安が尽きる事はなかった。其れでも、半年経った今も私は此処に居る。投げ出さずにやってこれたのは、彼女が心の支えになっていたからだろう。彼女と過ごした日々が、私の糧になっていた。

「元気、かな…」

ぽつり、ぽつり。静かな部屋に零したのは、彼女の名前。今頃、パンテーラは何をしているのかな。考える事は、彼女の事ばかり。やっぱり、今日は変だ。仕事を始めるには、まだ早い。これから、二日は寝る時がないのだ。少しでも多く睡眠を取っておかないと、任務に差し支えが出るだろう。…寝よう、そう言い聞かせたのはもう何度目か。いざ瞼を閉じても、全く眠くならない。体勢を変えても、目が冴えているのだ。二度寝は得意なのに…おかしいな。起きてから、どのくらい経ったのだろうか。掛け布団から顔を出して時計を見やれば、もう軽く五分は経過していた。寝なきゃ、なのに。さっきから私は何を考えている?浮かんでは消え…頭の中を駆け巡る。私の性格は、自分が一番解っているつもりだ。決して、屈するな。此処での生活が始まった日に、決めたじゃないか。そうゆう考えに走る事がないよう、仕事に全うすると。

「早く、寝ないとっ」

口ではそう言ってる癖に、体はベッドから降りている。…何をやってるのかな、私。いつもは、こんな事ないのに。この胸の動悸はなんだろう。部屋を意味もなく歩き回っては、平常心を取り戻そうと試みる。落ち着いてっ、落ち着いてよく考えよう。いつもの私はどうしてた?少しでも早く彼女に会いたいっ…その一心で、与えられた任務を熟していたじゃないか。俯いたまま、足を止める。嫌だ嫌だ。気付きたくない、何も知らない。伸びた影が一層揺らいでは右足の甲を濡らす。もう、止める事すら出来ないのか。堰を切ったように溢れては、頬を伝っていく。何をする訳でもない。床に水溜まりを作っていくのを、凝視していた。もう、限界なのか。温かくなっていく、背中。窓から注ぐ朝陽が、容赦なく照らし続ける。パンテーラ、パンテーラ。口を衝いて出た言葉。もう、今更驚きもしない。…やっぱり、駄目みたいだ。頑張る、そう決めたのに。きっと、きっときっと郷夢のせい。結局は、この考えに行き着くんだよ。いつまで経っても、変わらない。私は、小心者なのだ。


溺れた逃避主義者


(また、私を連れ戻してよ)いくら切望しても、夢想に過ぎない。

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