それってもはやただのそば 室内は充分すぎるくらいに暖房が効いていて、このまま気持ち良く眠ってしまいそうなほど暖かい。 テレビからは某番組の有名司会者たちが新年のカウントダウンを今か今かと待ち望んでいて、画面を見なくともその声から興奮の色がうかがえた。 「ミハルー、蕎麦できたぞー」 逆之上ギャモンは、キッチンの方から妹のミハルへ声を掛ける。彼女はリビングでテレビを見ているはずだ。だが返事がない。聞こえていなかったのかもしれないと思いミハル、ともう一度呼び掛けたのだが相変わらず。 「おーい、ミハルー?」 たった今出来上がったばかりである熱々の蕎麦はミハル専用の、器の縁側に2匹の猫が互いの尾を捕まえようと走っている絵の描かれたどんぶりに注がれている。その縁と底を指先で持ちながらリビングまで運んで行くと、彼はテーブルに突っ伏した小さな影を見付けた。 「……ミハル?」 顔を覗いてみれば微かに見える瞼はぴたりと閉じられていた。ああ、またかなんて思いながら目を細める。 途中で寝ちゃっても起こしてよね、お兄ちゃん。毎年必ず言われるものの毎年守れないその言葉を思い出しながら起こさないように、小さな身体を抱き上げ寝室へと連れていく。いつもいつも年越しくらいは夜更かしをとはしゃぐミハルだが、いつもいつもこうして零時手前で眠ってしまう。最初は起こしてやろうと思っていたのだが彼女の何とも言えぬ幸せそうな寝顔を見ると起こしてしまうのがどうにも可哀想で、結局は決まってそのまま寝かせてしまうのだった。 蕎麦は自分で食べてしまおう。ミハルの分は明日、いや、彼女が起きてからまた作ればいいのだから。まあ、年越し蕎麦というのは大晦日に食べるのが一般的なのだが。 おやすみ、と小さく言ってやってからリビングへ戻ろうとミハルの寝室の扉をそっと閉める。さぁ蕎麦だ、日付が変わる前に蕎麦を食べてしまおう。かつおの香るダシとしゃきしゃきのネギ。さっくりとした衣を帯びたエビに、小気味良く音を立てて啜る蕎麦。番組もいい具合に盛り上がっていてまるで熱いうちに食べろと急かしているみたいだ。 部屋に入るとテーブルの上で蕎麦が湯気を上げて出迎えてくれるのと同時に、先程までずっと大人しかった携帯が忙しなく震えて存在を主張していた。こうして絶え間なく振動しているのは着信の知らせで慌ててそちらに手を伸ばす。 ディスプレイにはよく見知った先輩の名があった。わざわざこんな時間にかと思いつつも別段拒否する理由もないため素直に応答した。 「もしもし」 『もしもし、ギャモンくん』 そこから聞こえるのは紛れもなくギャモンの先輩である軸川ソウジの声だった。この声を聞くと自然とソウジのいつも浮かべている人好きのする笑顔が頭の中にひょっこりと現れる。今もそんな顔して話しているんだろうか。 「せんぱい、どうしたんすか」 『うーん……どうしたっていうかね』 ギャモンは通話をしながらそういえば箸を用意していなかったなと気付いて食器棚へ向かう。自宅で愛用している木製で黒塗りのそれを一組取る。可愛らしい猫柄のどんぶりには少々不似合いかもしれない。 『もうすぐ新しい年だなって』 静かに椅子を引いて着席する。 「……ああ……」 互いにそれなりには忙しい身である故に年末になってから顔を付き合わせることもなくなっており、このままいけば新年もその調子のはず。次に会うのは冬休み明けになるやもしれない。 だからか。だからこうして、しかもこんな時間にわざわざ電話を寄越したのか。 「まあ、その、少し早いですけど明けましておめでとうございます」 『あ、うん、おめでとう』 「………………」 『………………』 もうもうと立ち上がる白い湯気を前に黙り込んだ。会話がない。だからといって、目の前の蕎麦に手を付ける訳にもいかない。 「あー……せんぱい、よいお年を」 『……うん……えっと、それなんだけどね』 「……はい?」 もったいぶっている、というか、単に言いにくいのか。話が見えなくて首を傾げた。 そんな時に、こんこんこんと。遠くの方から聞こえてきたのはノックの音だった。どこからだ、と不思議に思って廊下へ出て確認してみるとそれはどうやら玄関からのものだったようだ。一瞬、ミハルの寝室からかとも思ったが彼女はもうぐっすりと眠ってしまっているしそれはないだろう。 そこで気付いた。何故かあれきり何も発しなくなってしまった機体を見る。それから玄関を。そして考える。いくら待ってみても、電話の向こう側の先輩は何も答えてくれない。まさか、先程のノックは。 携帯を耳元に掲げたまま玄関まで続く廊下を真っ直ぐ進んだ。 扉のチェーンを外して鍵を開ける。 ここにきてテレビもつけっぱなしで、蕎麦もそのままで、リビングのドアも閉めずに来てしまったことに気付いたのだが今さら戻る気にもならなかった。取り乱しているのかもしれない、扉一枚隔てた先にあの人が立っているのかもしれないと思って。 「やっぱり……」 ドアを開ければ、果たして予想していた通りの人物がそこにいた。声を漏らすと外に佇んでいたソウジがどこか申し訳なさそうに苦笑いを返した。 「せんぱい、何で……」 「い、いや……ごめんね、急に」 「いや、それは別に……まあ、構わないんすけど」 黒のロングコートに橙のマフラー。暖かそうな格好をしていたが手袋はしていないようで、手だけは少し寒そうだった。 「入ります?」 「あ、ううん、いいんだ」 すぐに帰るから。とソウジは首を横に振った。 「そ、蕎麦もありますけど」 「……あ、僕もう食べちゃった」 「そっすか……」 話を振って、蕎麦の存在を思い出した。そういえばまだ一口も食べていなかった。 そわそわ。落ち着かない。2人して言葉を無くして、玄関先で視線をさまよわせる。ギャモンの方からしてみれば突然訪問してきたソウジにどうすればいいか全く分からない状態だ。彼が何か用があって訪ねてきたものだと思っていたのに、顔を合わせてみればソウジの方は何も言わない。どういうことなのだ。 「あ」 ギャモンの背後からわぁっと歓声が上がった。ソウジがそれに小さく反応する。 カウントダウンだ。 新しい年が来たのだ。歓声はテレビから聞こえてきていた。これからの1年、新年の幕開けを喜ぶ声。この瞬間独特の、誰であっても心がふわりと浮わついてしまう。優しくて暖かくて、そして特別幸福な歓声。それを聞いてソウジが笑みを浮かべる。 「せんぱい?」 急に表情を変えたソウジに驚くと、彼はゆっくりと口を開いた。 「電話で言いかけてたことなんだけどね」 「え?」 冷たい手が首へ回された。ひやりとしたが、そんなことに構う間もなくぐいぐいと引っ張られる。 そんなに暑くもないはずなのに手汗がどっと出る。これは、そう、あれだ、キスだ。と思うよりも早く人好きの良い笑顔が零距離まで迫った。夢かと思うほどに、触れていたのはほんの少しだけだったが。 「よいお年ってやつをさ、君と過ごしたかったから」 短いけれど、誰よりも早くね。 涼しい顔で平然と言ってのける彼を殴ってやりたい。いきなり何をするんだとムカつく顔をひっぱたいてやりたい。ああ、でも右手は携帯を掴んでいて左手は扉を押さえているし、今日は勘弁してやるしかない。両手が塞がっていたことに感謝してほしいものだぜ、とめいっぱい心の中で吐き捨てた。 残念ながら手は出せないから、何か言ってやりたい。それなのに。不意打ちすぎて、なんと言葉にしてやったらいいか分からない。いやいや言いたいことは山ほどあれど、形を成して表に出てこないのだ。 「明けましておめでとう、それじゃあね」 やることは済んだから。さもそんな感じで決まりの挨拶を述べてさっさと帰っていくソウジを呆然と見送るだけになってしまう。 「……まじで恥ずかしい人だな」 ソウジが見えなくなってしまってから苦し紛れに呟いた。辛うじて出た言葉に勢いなどなかった。誰にも届くことはない。はずだった。 『聞こえてるよ』 「えっ」 どきりとした。右方向から声が聞こえる。忘れていた。通話はまだ、切っていなかったのだ。 『恥ずかしい奴だけど、今年もよろしくね』 その言葉を最後に今度こそ通話は切られた。いたたまれなくなって、とりあえずドアを閉めて鍵を掛けてチェーンをつけた。 途端にぶわりと頬が熱を持ち始める。聞かれていないと思って吐いた小さな悪態を聞かれたことによるものなのか、それとも突拍子もない愛情表現によるものなのか、恐らくそれら全てを巻き込んだ上でなのだろう。今になって全部がいっきに襲ってきてどうしようもなく走り回りたい気分になった。それでもさすがに走ることはできないので仕方なくリビングまで歩いてみる。 よくよく考えてみれば新年早々、あんなシチュエーションで先輩とキスして。どこの恋人なんだ。いや、恋人、だった。間違っちゃいなかった。なんだかもう、恥ずかしくて堪らなくなっているのは紛れもなく自分だった。 火照った顔と、暖められた室内。ちらついて離れない、人好きのする、あの笑顔。 そんなお熱い彼をしっかりと出迎えてくれるのは、猫のどんぶりに入った、少し冷めてしまった食べ損ねの年越し蕎麦である。 ------------------------------------------- これ書くために年越し蕎麦のことを調べるまで年越し蕎麦というのは大晦日と元日またいで食べるものだと思ってました、はいwwww毎年食べてるのに知らなかったwwwwwwww 毎年なんだかんだで年越し蕎麦を食べれない逆之上兄妹かわいいですよねー、というのと今年最初のソウギャということで一番好きな書きやすい感じにソウギャを書いてみました。あまり考えずに書きました、色んな意味で恥ずかしいやつ、な軸川が大好きです^^ 今年もソウギャを中心にギャモン右とかモブ×ファイブレキャラとか書けたらいいなと思います。2013年もむしゃのこをよろしくお願いいたしします。 |