自覚 重い。 逆之上ギャモンは途方に暮れて天井を睨み付けた。 右肩にどっしりと感じる重み。むくれた面でそちらに目を向けるととっぷりとした蜂蜜色の髪が見えた。合間から整った顔立ちが覗いている。 「先輩、いい加減起きろよ」 顔にかかった髪を手で払ってやりつつギャモンは隣で眠る軸川ソウジに声をかけた。 先程からずっとこの調子、何度声をかけても彼は目覚めない。もう放課後、下校時間も迫りつつあるというのに。テラスにはおろか、昼間は賑やかな階下の食堂にすら人はいなかった。広い空間に、今はただ2人だけ。ソファに座っていたギャモンと、彼に寄り掛かって眠ってしまったソウジの2人だけだ。 もう、一発くらい殴ってやって無理やり起こそうかとも思ったのだが何だかそれは気が引けてしまう。起こさなければと思う反面、ギャモンにとって悪い気もしなかった。 いつも、ソウジには振り回されっ放しであった。いつ何時でも、彼が隣にいればそれだけで。言葉を交わせば話はいつの間にかソウジのペースであるし、彼にふとどこかを触られれば途端に鼓動が早鐘を打つ。自身ではそう思っていなくとも、何だか己の中でソウジという存在が殆どを占めている気がしてどこか悔しい。 しかし今は落ち着いていた。こんなにも近くに、側にいて、こんなにも心が落ち着いているのは珍しい。ソウジの閉じられた瞼を見て薄く笑んだ。 ギャモンはソウジの頬を指先で軽く叩いた。人肌の柔らかさに少しどきりとした。ソウジはまだ目を覚まさない。ギャモンはソウジの髪に触れた。一房持ち上げてさらさらと手の内から溢れていくのをぼんやりと見つめる。こうして黙っていれば普段よりよほど男前なのに。その普段の彼にさんざ翻弄されているギャモンが言えたものではないが彼のきれいな寝顔を見てそう思った。 ふと鼻腔に何かが香る。甘やかな香りだ。何だ、とギャモンが疑問に思い正体を探ろうと首を巡らせた。だがすぐに香りの正体に思い至って、その瞬間に彼の心臓が大きく脈打った。これはソウジのシャンプーの香りだ。 気付いてしまうとそればかりが気になって仕方がない。分かってしまった途端に甘やかなその匂いはより濃く香っているように思う。 居たたまれなくなってギャモンは少しでも距離を取ろうと身を捩った。当然ながら密着していたソウジの身体も動かされる。ああ、駄目だ。ギャモンは手の平で顔を覆った。 何かソウジの存在を1つ感じてしまっただけだというのに、もう今は全ての感覚が敏感になり彼の全てを感じ取ろうとしているかのようだった。しかも予期せず感じてしまったことがいけない。自分からソウジの肌に触れた時はそりゃあ少しはどきりとしたもののこんな風にはならなかった。しかし今はどうだ。予期せぬ彼の香りに胸を高鳴らせ、触れ合う肌が擦れただけでそこが大層熱く感じる。じっとり身体が熱を帯びていく。 そういえば首筋にソウジの髪が当たっている、くすぐったい。じっとしていれば規則正しい寝息が聞こえる。少し視線をずらせば健康的な唇が思ったよりもすぐ近くにあることを知ってしまう。 気にしないようにすればするほど何もかもが鮮明に感じられた。もはや自分の意思を無視して高鳴り続ける胸と赤く染まった肌はどうにもなりそうになかった。こんな恥ずかしい姿を隣の彼に見せられるものか。 ギャモンはそうっと両手でソウジの肩を押した。どうにか抜け出してこっそり帰ってしまおう。ソウジのことは。もういい、放っておいてしまえ。 最初からこうしておけばよかったのだ。彼のことなど置いて帰っておけば、こうしていらぬ自覚をすることなどなかった。 ゆっくり、ゆっくりとソウジの肩を押してゆく。同時にギャモンは自身の身体を少しずつずらしてソファからの脱出を試みる。妙に緊張するのは何故だ。 己の肩にもたれ掛かっていた身体を外す、ソウジの吐息を間近に感じて声が出そうになるところを歯を食いしばって耐えた。 だが。 「うわあああああああ!」 その時、放送のチャイムが聞こえてきてギャモンは思わず叫び声を上げてソウジを突き飛ばした。これは下校時間を告げるチャイムだ。 「あだ!」 やばい。そう思う間もなくソウジの頭がギャモンとは反対側のソファのひじ掛けに激突した。悲痛で間抜けな悲鳴が聞こえてきてギャモンは黙って視線を彼の方から外す。 「いたた、あれ、僕……いつの間に」 ぶつけた頭をさすりながらソウジが身を起こす。申し訳なさやら恥ずかしさやらでギャモンは彼を直視できなかった。 「あ、ギャモンくん。もしかして、起こしてくれた?」 これ、下校時間のチャイムだよね、とギャモンを見とめたソウジは自身の腕時計を見やってから言う。 「………………はい」 不可抗力とは言えまい。増してお前をほっぽって1人だけ帰ろうとしていただのとはもっと言えない。起こし方がソウジの思い描いているもの以上に暴力的なものだっただけにどうにも言う気にはなれない。 ぎこちないギャモンの返答にソウジは首を傾げたが眠っていた彼に予想などつくはずもない。 「じゃあ、帰ろうか」 そう言って立ち上がるソウジに小さく返事をして彼に続くようにギャモンも立ち上がった。するとソウジが突然、あれ、と声を上げた。 「え……なんすか」 「いや……夕日のせいだと思ったんだけど」 ギャモンの頬にソウジの手が触れる感触。う、と思わず声を上げて逃げてしまいそうになるがそこは踏みとどまった。 「ひょっとして、顔赤い?」 「……え…や、あの…」 触れている手が熱い。やはり耐えられないと後ろへ下がろうとするが咄嗟に身体が動かなかった。その上、うまい返しも思い付かない。大丈夫、と顔を覗き込まれる。透き通る深緑の瞳とかち合った。ただでさえ赤かった頬が更に色みを増した。 「あ……あ…う、ぐ…」 「ギャモンくん?」 名前を呼ばれる。そこで彼はついに限界を迎えた。 ばちん、と妙にいい音が響いた。気が付いたらビンタしていた。無意識に手が出ていた。 驚いた表情でソウジがギャモンを振り返った。申し訳ないと思う反面、こうして顔を向き合わせると素直に口に出来ない。 「あんたって、本当に最低だな!」 ギャモンはソウジに背を向けた。これ以上みっともない顔を見せられない。彼は足早にテラスを降りる階段へと向かった。 「あ、ちょっと待ってよ!」 背後からソウジの声が聞こえてくる。 本当に最低な人だ。ギャモンは心の中で吐き捨てた。熱を冷ましたくて軽く頭を振った。 軸川ソウジという人は、寝ても覚めてもこんなにも己の心を掻き乱してくれる。自覚してしまう。ああ、この人には敵わないのだと。 彼はため息をついた。それから一歩、階段を半分ほど降りたところで踊り場へ向かって大きく跳躍する。 心配そうなソウジの声が名前を呼んだ気がして、彼は誰にも見えぬように笑ってみせた。 ------------------------------------------------- フォロワーさんのお誕生にとのことで甘めな感じを目指したわけですが……軸川がほとんど喋らないという謎な感じに……。 私のなかでギャモンくんはツンデレを地でいくようなイメージだから無意識に軸川を黙らせたのだろうか……。 でも久々に普通設定を書いた気がして楽しかったですー! |