行灯(あんどん)に照らされた土間の中。奥の部屋ではまだ妹のミハルが眠っている。ギャモンはふと目の前の人物を見やった。がつがつとギャモンが握った大量の握り飯を手当たり次第に口の中へ詰め込んでいる。
結局あれから、ギャモンは米しか食えないのだと言うその人物のために握り飯を握ってやった。死にそうな程に腹が減っていたらしい。本来なら怒って追い出したところだがあまりにも必死に米俵へ熱い視線を送るその人を見て怒る気力も無くなった。

「…なあ、」

「…ん!?…なに!?…これ、ん、すっごい美味いよ!!」

どうやら食べるのに夢中らしく口内に米を溜め込んだまま適当に話すとまたそれらを飲み込んでまた新しい握り飯にかぶりついた。

「お前って女か」

「ぶふぉわっ!!」

「ぎゃあ!おい、汚ねぇだろ!!」

色々と聞きたいことがあるギャモンはとりあえず質問をぶつけてみた。すると何故か奴は口の中の物を盛大に吹き出した。

「ごめん。あ、いや…つかさ、なんで女だと思うわけ」

とりあえずギャモンに謝りつつ汚れた床を拭きつつ彼に聞き返した。

「だって、化粧してるから」

ギャモンが顔を指し示す。

「化粧。あー、これか…ふうん。まあ、言っとくが僕は女じゃないよ」

「やっぱりそうか」

「は?やっぱり!?君、僕のこと女かって聞いたよね」

「いやもしかしたら女かって思ったから聞いただけだ」

見た感じはあまり女には見えないが化粧をしているのならもしかすると、とそう思ってギャモンは聞いたのだろう。

「お前、名前は」

ギャモンは次々に質問を浴びせていく。名前が分からなければ呼ぶこともできなくてなかなか不便だったのだ。

「なまえー?ダイスマン、だよ」

「だいすま…?名字は」

「ないよそんなの」

彼、ダイスマンはきっぱりと言い切った。その返答にギャモンが首を傾げるとダイスマンは不思議そうに口を開いた。

「あれれ、さっき僕に食われるだなんだって言ってたから正体はバレてると思ったのに」

その言葉をギャモンは一度頭の中で反芻してからやっとその意味を理解する。

「え……じゃ、じゃあお前…ほんとに…」

「うん、妖怪」

あっさりと肯定したダイスマンにギャモンは即座に距離を取る。壁に張り付いて強張った面持ちで彼を睨み付ける。

「あっははー、もしかして妖怪は人間しか食わないと思ってた?」

「え……違うのかよ」

「違うさ、少なくとも僕は人間は食わないし。さっき言っただろ、これしか食えないんだ」

そう言ってダイスマンは手に持った握り飯を掲げてみせる。彼の言葉を受けてギャモンは少しだけ肩の力を抜く。まだ警戒の色を見せつつもじりじりと壁際から離れて元の位置へ戻ってくる。

「その…本当に人は食わないんだよな」

「ああ、そうだよ。……見かけによらず恐がりだなぁ」

「何だと!?」

ぼそっとダイスマンが言った言葉にギャモンが反応し声を荒げる。そんな様子が子供らしくてダイスマンは笑った。

「君は僕が思ってたより幼いのかも。歳は?」

「16。それと、逆之上ギャモンだ」

「やっぱり。あとそれは、君の名前?」

ギャモンが頷く。そっかぁ、と笑ってダイスマンは水を喉に流し込む。

「ギャモンちゃん、ね」

「……なあ、」

ふざけてちゃん付けをして呼んでみたもののそれは空振りに終わり、不意にギャモンが真剣な面持ちで尋ねてきた。

「ん?」

「お前は、どうして俺の店に忍び込んだよ」

そんなに腹すかせるなんて何があったんだよ。とギャモンは重ねて尋ねる。
ギャモンの問いに対してダイスマンはすぐには答えずしばし何か考えてから間をおいて話始めた。

「逃げてきた」

最初は、その一言から始まった。

「僕は妖怪だからさ、お米しか食えないなんて言っても信じてもらえない。人間なんか襲わないって言っても信じてもらえない。だから今までずっと妖怪だってことは隠して生きてきた」

急に飄々としたダイスマンの態度が一変して神妙な顔付きになったためギャモンも口は挟まずにとりあえず最後まで黙って聞くことにした。

「でもやっぱりね、何かの拍子にばれちゃうわけ。それでいつも住み処を追われて、気付いたらこの辺まで逃げてきてた。もう何ヵ月も飯にありつけてなかった」

聞くところによると妖怪というのはその気になれば何日も食べ物にありつけなくとも生き長らえることができるらしい。しかしそれにも限度はあるだろう。何ヵ月も絶食状態だったのなら普段の動作にも支障が出ていたのではないか。

「そしたらたまたま家があったから…。まあ、出来心だよね。…我慢できなかった」

そのたまたまあった家というのが、ギャモンの家なのだろう。ダイスマンは話終えたところで最後に残った握り飯を口に放り込んだ。
ギャモンが口を開く。

「今までずっとそうして来たってことか」

「まぁねぇ、逃げなきゃ酷い目に遭うから。僕は妖怪だから人間よりも力が強いけど…それを君たちを襲うために使おうと思ったことなんて、一度もないのになぁ」

そう言うダイスマンはどこか憂いを帯びておりギャモンは黙ってその姿を見つめることしかできなかった。なんと言って声をかけてやればよいか分からなかったのだ。
しばらくは重たい沈黙が流れ続けていたのだが急にダイスマンが立ち上がった。

「ごちそうさま。ほんとに、ギャモンちゃんにはお世話になったね」

「え?あ、ああ…」

つられてギャモンも立ち上がると、ダイスマンは彼の横をすり抜けて土間を出、店も通りすぎると暗がりの中へ歩みだした。

「おい、どこ行くんだよ」

「また逃げなきゃ。お腹いっぱいになったし、またしばらくは食べずに動いても平気だから」

暗い闇の中、妖怪とはいえ提灯も持たずに歩いていく後ろ姿を見てギャモンはどこか無性に切なくなった。この感覚は、そうだあれに似ている。

「……待て」

気付いたら呼び止めていた。その言葉に反応してダイスマンは振り向いた。どうしたんだとギャモンの方を見る、呼び止められたことに若干驚いているようだった。

「なぁに?」

「…………行くとこないんだろ」

静まり返った夜の中に小さく灯されたギャモンの言葉に思わずダイスマンは「え」と一音だけ吐き出した。

「家なら困らねぇぞ、米には」

「………ね、ねぇ、それって」

ダイスマンの瞳が戸惑いに揺らぐ。それはもしかして妖怪である自分を置いてくれるということか。
対して。ああ、やはり。とギャモンは確信する。これは…この切なさはあの感覚に似ているのだ。店で作業していると時おり雨に濡れた野良猫なんかがふらふらと店に食べ物を盗みにくるのだが、追い出そうとするのに情に負けて結局は何も言わずに魚を与えてやったりする。魚をくわえながらふらふらと倒れそうになりながらまたどこかへ逃げていく猫を見て何度そいつを抱き上げて家で飼ってやろうと思ったことか。そう、これはあの雨に濡れた寂しそうな背中を見送る時のあの切なさにとてもよく似ている!
そう思えば思うほどギャモンは切なくなる、もう奴が妖怪だかなんだかというのはすっかり頭の中から抜け落ちていた。むしろどんどん米をたかりに来た可哀想な野良猫に見えてきた。
まさかギャモンがダイスマンのことをずぶ濡れた野良猫と重ねて見ていることなど露ほども思っていない彼は一方困惑の表情を浮かべていた。どうしてこんな自分を、と何やら異様に熱い視線を向けるギャモンを見た。

「…なぁ、僕なんかが厄介になっちゃってもいいわけ?」

自分は妖怪だ。たとえ米しか口にできないとはいえ妖怪であるという事実は変わらないし変えられない。人よりも並外れた体力や筋力を持っていることも事実。そんな人間から見れば畏怖の対象でしかない自分を、ましてや先ほど彼のことを思いきり恐怖で泣かせてしまった自分を受け入れようとしてくれているのだ。この見かけによらず子供らしい少年は。

「当たり前だろ、雨の中、山に向かって尻尾垂らしながら歩いてくお前を見て何度拾ってやろうと思ったか」

「は?何だって?」

訳の分からないことを言われたが、どうやら彼は本気のようでその意思の強さは彼の瞳から見て取れた。
ダイスマンは視線を暗い地面に落として、それから何か吹っ切るように笑ってギャモンを見上げた。
店の前に立つ彼の前まで歩いていって、照れ臭そうに口を開いた。

「あ、ありがとう……ギャモンちゃん、その」

ちらちらとギャモンの目を伺うと、何故か無邪気に輝く瞳とかち合った。

「これから…よろし、ぐぇ!」

この子の側なら、もしかすると妖怪であっても平和な暮らしを送れるのではないか。そう思って手を差し出そうとした瞬間、ダイスマンは抱き締められた。

「今まで拾ってやれなくて悪かったな米男…!!」

「え、なに、なんの話!?しかも米男って誰だよ何が起きたの!」

ダイスマンはそれはそれはもうもみくちゃに頭を撫でられた。まるで動物か何かを愛でるかのごとく。

「今日からお前は米男だ、米しか食わないオスだからな、だから米男だ」

「ちょっと待って!オスってなに、ギャモンちゃんの中で何があったの!?僕が名前名乗った件忘れてない!?」

ギャモンに抱き締められながらダイスマンが訴えるも全くギャモンの耳には入らないらしくそのままずるずると部屋の中まで引きずられていく。どうにか誤解を解こうとするものの、今まで向けられたことのない人の笑顔というものを向けられてダイスマンは言葉を失った。

(…まあ、可愛がってくれるんならそれでいっか…)

笑顔だけは年相応の表情を見せるギャモンを見てダイスマンはもう抵抗するのをやめた。
これからは、この少年との新しい生活が始まるのだ。

「よろしく、ギャモンちゃん」

しかしこの後にやっと我に返ったギャモンが妖怪というとんでもない厄介者を抱え込んでしまったと気付くのは夜が明けて数刻経った頃であった。

(ミハルになんて説明すりゃいいんだ…)

「ギャモンちゃーんおはよーう、おにぎりはー?」

「うるっせぇ!てめぇは何日も食わなくても生きてけんだろ、この米男!」

彼らの慌ただしくも賑やかな日常は、まだ始まったばかりである。










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すみませんでした。

最初はこの言葉と決めていました。
素晴らしい米男ネタだというのに趣味で色々とぶっ混んだら大変なことに…!
とりあえず出だしからウケ狙いでしたね、今は昔!wwww
コンセプトは「ちょっぴり泣き虫で天然な気の強い少年と人間に迫害された過去を持つ変わり種妖怪のハートフルラブコメディー時代劇」…かな!wwwww

チャットに参加されたみなさん…中途半端ですみません…!でも楽しかったです…!

舞台は江戸時代半ばです、妖怪が庶民の間で知られるようになる頃です。でも江戸時代のパラレルワールドってことにしといてください、ギャモンなんて日本人いません。あとお握りが売られるのは明治入ってからです。ちなみにお握りに海苔が巻かれるようになったのは江戸時代。めちゃくちゃ江戸時代の化粧と明かりと寺子屋と妖怪とおにぎりについて調べました、雑学しか増えませんでしたwwww
みんな見た目は現代のままです、ただ服装や町並みとかが江戸時代ってだけです多分。

ここまで付き合ってくださった方へ、ありがとうございました!