大人になりたい。


今日は天気が良かった。ギャモンは走らせたバイクを学園近くの河川敷で止め青い草が茂る芝の上に転がる。沈みかける夕陽が川の水面を綺麗なオレンジ色に彩っていた。引き伸ばした綿菓子のような淡く色付いた雲を見て無意識のうちに自嘲的な笑みが溢れる。緩く頬を撫でて去っていく風を感じながら目を閉じると、自然と懐かしい声が頭の中で響き渡る。
今日と同じような空の日に。たった1人の家族である妹とこの道を歩いた。まだギャモン自身も幼かった頃のことだ。雑誌会社で大人たちの難しい話を聞いて、よくは分からないけど黙って頷いて。
契約がどうのだとか利益の関係でどうだとか、とりあえず書類にサインをしたりして。日が沈みかける頃に駄々をこねて会社までついてきたミハルの手を取り施設までの道のりを歩いていくのだ。
途中で必ずスーパーに寄っていって、パズルを作って得たお金でミハルの好きな甘い飴をひとつだけ買ってあげるのだ。
繋いだ手を離し、ミハルが飴を頬張り河川敷の上の通りを走る。ギャモンが注意する間もなく、躓いて転んだ。慌ててギャモンがミハルを助け起こすと、彼女はギャモンにすがりついてわんわんと泣き出した。膝に血が滲んでいてギャモンは顔をしかめた。
泣いているミハルの頭を優しく撫でてからギャモンは彼女をおんぶしてやる。しゃくりあげる彼女に、大丈夫だ、と声をかけながら。

「ありがとう」

と小さな声でミハルが言う。泣き止んだものの、まだ鼻をすんすんと鳴らしていた。お兄ちゃん、暫くの後にそう発せられてギャモンは首を捻ってミハルを見た。
ミハルね、綿あめが食べたい。そう言った彼女の視線の先には空に浮かぶ雲があった。
綿菓子を手でつまんで引き伸ばしたような雲。夕陽に照らされ少しオレンジ色に染まったそれは、甘い菓子をあまり欲しがらないギャモンも美味そうだと思った。

「それじゃあ、明日は綿あめを買って帰ろうか」

ギャモンがミハルに視線を戻しそう言うと、やっとミハルは笑顔を見せて、うん、と返事をした。
懐かしい。これは何年も前の記憶であった。

「こんなところで、どうしたんだい」

昔の思い出に浸っていたところでいきなり現実に引き戻される。頭上から声がしたのだ。
誰だ、と思い目を開けるとそこにはギャモンを見下ろすソウジの顔があった。

「…先輩」

「珍しいね。こんなところで寝てるなんて」

「寝てないっすよ、ただ、色々と感慨に耽ってたんすよ」

「へぇ、それはまた…珍しい」

言い終わってから耐えきれずにくすりと笑ったソウジをギャモンは寝転がったまま睨み付けた。ソウジはそんな視線をもろともせずにギャモンの隣に座り込んだ。
どちらも何か無理に喋り出すこともなく、ただ優しく吹く風に髪を遊ばせたまま空を眺めていた。

「…綿菓子、」

「うん?」

呟いたギャモンの言葉をソウジが拾った。

「食いてぇなぁと思って」

「ギャモンくんってそんなに可愛い趣味してたの」

「バカ、別に好きな訳じゃねぇ!…何となく思っただけだ」

次第に歯切れの悪くなるギャモンを見て、ソウジは小さく笑みを溢した。

「そっか、じゃあ…近くで綿菓子でも買って帰ろうか」

ソウジが視線を空に浮かぶ雲へと移しながら言った言葉にギャモンはまた先ほどまで浸っていた過去を思い出す。なぜだか過去を思うと、急に物寂しく感じるのは何故だろうか。

「こういう日は嫌いなんだよなぁ」

「……あれ?」

ギャモンの発言にソウジが首を傾げた。

「え、なんすか」

「…好きだから、こうやって寝てたんじゃないの」

不思議そうに尋ねるソウジにギャモンは直接的に答えず曖昧に笑って濁した。何となく気まずい。

「やっぱ駄目だな、こんなところで昔のことなんて考えるんじゃなかった」

不意に早口でそうギャモンが言った。そして身体を起こし立ち上がろうとする。

「ちょっと、待って」

そんな彼を、ソウジは腕を掴んで引き止めた。そんなソウジに対し、ギャモンは凍りついたように動かなくなった。

「…何かあるの」

「……何も」

「悲しいことでもあった」

「…なかった」

「今は、悲しいの」

「……………」

いつになく真摯なソウジの瞳にギャモンはちらりと空へ視線を逃がす。

「悲しくは、」

「片意地張らないでよ」

ソウジの手が強い力でギャモンの腕を握り締める。ギャモンはそれを少々痛く感じたが口に出せる雰囲気ではなかった。

「何かが、あるんだろ」

ソウジは片時でさえ、ギャモンから目を逸らそうとしなかった。

「カイトくんたちには言えない…言いたくない、何か」

お兄ちゃん、と頭の中でまたミハルの声が聞こえる。

「……それは僕にも、言えないの」

2人で歩いた夕暮れ。繋いだ手。隣にいるのは、たった1人だけの大切な妹だ。

「僕は君より年上なんだから」

その言葉にはっとした。
年上、なんだから。それはギャモンの心の中にいつでも存在していた言葉であった。

「泣いてもいいよ」

自然と出たのはその言葉だった。ソウジは心の中でどうか泣いてくれと祈りながらそれでも泣いてもいい、と言った。
まるで自分の方が辛いと言わんばかりのソウジの表情にギャモンは呆れたように笑った。乾いた笑い声を溢して、そして何かを決断したように口を開く。

「…背中、貸してください」

穏やかな笑みであった。ソウジはそんな表情のギャモンを見たのは初めてのような気がして目を見張った。うん。沈黙の後にそう返してソウジはようやくギャモンの腕を離し、そして彼に背を向けた。そこに温もりを感じる。ギャモンが寄り掛かってきたのだ。

「…好きじゃないとか、嘘だった」

ぽつぽつとギャモンが話始める。いつものぴんと張った凛としたようなものではなくて何かの弾みで一瞬にして溶けて消えてしまいそうな、そんな声で。

「……うん」

「ほんとは好きだった」

「うん」

「飴も綿菓子も、ほんとは好きだった」

ギャモンが膝を抱える。ソウジの耳に芝を踏み引く音が届く。

「ほんとは思いっきり走ってみたかった」

「うん」

「走って転んで泣きたかった」

「うん」

彼には躓いて誰かに助け起こされて、痛くなんかないぞと、ほら泣くんじゃないよと頭を撫でてもらった経験はないのかもしれない。

「………ほんとは、ずっともう疲れてた…」

「…うん」

ずず、とソウジの背後で鼻を啜る音がした。彼は今、泣いているのだろうか。
背中がふと軽くなる。ギャモンが合わせた背を離そうとするのが分かりソウジは彼の手を掴み引き寄せた。ギャモンはまた、控えめにソウジと背を合わせた。…2人は何も言わなかった。
いつまでそうしていたか、はあ、とギャモンが深くため息をついた。

「誰かに寄りかかって泣くなんざ、俺ぁまだまだ子供なんだなぁ」

もうそれはいつものギャモンの声だった。だが、ソウジにとってはそれがどこか寂しかった。

「もっと子供になるといいよ」

背中を合わせたままソウジは目を閉じる。

「君はもっと子供にならなきゃ」

物心ついた頃から大人として生きていかねばならなくなって。色んな物を捨てて強く生きてきた彼はもう少し子供に戻ってもいいはずだ。

「僕が君より大人になるまで、ね」

大人になりたい。
ソウジは思った。背中しか預けられないような、情けない存在でなくて。
いつか彼が、この胸を借りて泣けるくらいに。












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謎すぎるお話にお付きあいいただきありがとうございました。
ギャモンくんは今まで誰かに甘えたこととか人前で泣いたこととかあるんだろうか、と考えた結果こんな話書いてました。フィーリングで読んでください。近くに甘えられるような年上がいないって結構辛いと思うんだ…!

2人ともキャラ違うとかそそそ、そんな…!w