スタマイ*短編 | ナノ

朝霧司『恋するラーメン』

朝霧の行きつけのラーメン屋の娘
なんとなく両片想い

*****************************
なんとか仕事を終わらせて、俺は少し小走りに行きつけのラーメン屋に辿り着く。元旦から連日、酔っ払いが起こした事件を数件片付けるのに時間がかかってしまい、店に足を運ぶことができないでいた。いつもなら、深夜近くまで営業しているこの店も、年末年始は営業時間が短くなる。三賀日最後の今日も、やはり営業時間は短いわけで。
「あ、朝霧さん!」
丁度、営業中の札を片付けようと大将の娘さんのナマエさんが店から出てきたところだった。これは、もしかすると入店を断られるかもしれない。けれど俺には、大将が作る正月三賀日限定ラーメンを食べなければならないという使命がある。
「明けましておめでとうございます。ナマエさん。今年も限定ラーメンを食べにきました」
「あぁ、おめでとうございます!今年もご贔屓にいただき、ありがとうございます。寒いので、中にどうぞどうぞ」
せっかく片付けようとしていたにも関わらず、入店の許可をいただいて申し訳なさ半分、彼女に「ありがとうございます」と感謝の言葉を述べた。
「いいえぇ、いつも来てくださる朝霧さんをこんな寒空の下に放り出すなんてできません」
相変わらず優しい彼女は暖簾を手で抑え、快く俺を迎え入れてくれた。
(ああ、この匂い)
店内に入ると慣れ親しんだ最高級の濃厚味噌とんこつスープの香りが鼻に通る。匂いを嗅ぐだけで幸福感に包まれる。元々あった食欲を増幅させて、腹が鳴りそうになるのをグッと力を入れて抑えた。
「トッピングどうしますか?」
「そうですね、俺専用でお願いします」
「畏まりました!お父ちゃん、限定ラーメン1杯、A増しで」
彼女のオーダーの声がけに大将からの「あいよ!」と返事を聞いて、カウンターに座る。すぐ様彼女が水とおしぼりを持ってきて、可愛らしい笑顔で渡してきた。いつものように受け取って一口飲んで乾燥した口の中を潤し、おしぼりで丁寧に手を拭う。
(やはり、正月は大将の限定ラーメンに限る)
毎年『おせち』をコンセプトにした限定ラーメンなことには変わりないけれど、具材などトッピングが違う。去年は、伊達巻を丼の縁に並べた、まるで向日葵の花が咲いたような見た目のとても華やかなラーメンだった。今年はどのおせち料理を取り入れたのか楽しみで仕方がない。
大将の背中を見ながら去年の限定ラーメンを思い返してしばらくもしない内に、彼女がパタパタとやって来て申し訳なさそうな表情で俺に告げた。
「すみません、限定ラーメンさっきお会計したお客様で終わってしまって」
「え…!?そんな…大将の限定ラーメンが食べられないと言うのですか?」
「申し訳ございません!メインの具材がなくなってしまって、メイン無しでならお出し出来るのですが…」
彼女の言葉に衝撃とショックで少し顔を伏せて考える。確かに限定ラーメンのスープと麺だけでも俺は食べる分には問題ない。しかし限定ラーメンの良さは、素晴らしさは、メインの具材といかにマッチしているかであり、大将の創作力を評価する基準となる。メインの具材がないとなれば、それは未完成品、大将自身もそんな中途半端なものを客に出すとは思えない。けれど…
「せっかくの限定ラーメンです。スープと麺だけでも…」
「馬鹿たれ!お客様にそんな中途半端なもん出せるわけねぇだろうが、ナマエ」
悩みに悩み俺が口を開いた瞬間、大将が声を荒らげた。驚いて顔をあげると、大将が申し訳なさそうに俺に謝罪をしてくる。それに対して俺は「いいえ、残念ですがまた来年食べに来ます」と告げた。大将は嬉しそうに笑い、一度頭を下げてから作業に戻った。
(さて、今日はどれをいただこうか)
この店のメニューは全て網羅している。もちろんいつもの定番も美味いからいくらでも食べられるが、限定ラーメンを食べる気でいただけに、何を食べようかパッと頭に浮かばない。悩みながら少し溜め息をつくと、それを横で見ていた彼女が恐る恐る口を開いた。
「あの、朝霧さん。もし良ければ食べてみていただきたいラーメンがあるのですが」
「…どれですか?」
彼女の申し出に壁にかかったメニューを見る。しかし、彼女は首を軽く横に振り、話を続けた。
「メニューにはまだ載っていなくて、今後追加予定なんです。『年越しラーメン』として、年末に出すつもりだったんですけど、間に合わなくて…」
「年越しラーメン…ですか?」
「はい、年越し限定ラーメンです!」
笑顔ではっきり言う彼女の『限定』という言葉に落ち込んでいた意識が覚醒する。確かに『年越しラーメン』などというメニューはなく、俺も今まで年末の年越しの際はカップ蕎麦を食べていた。それが次からは年越しに限定ラーメンが食べられるかもしれない。
「つまり、俺に味見してほしいということでしょうか?」
「はい!お願いしてもいいでしょうか?」
彼女の申し出に俺が引き受ける以外に選択肢がある訳がなく、俺は眼鏡の位置を整えながら「いいでしょう」と答えた。俺の返答に彼女の顔がぱぁっと明るい笑顔に変わり、「すぐにご用意します!」と言ってパタパタと厨房へ入っていく。その様子を見て、なんとなくクライナーを思い出し、一瞬心がふわりと弾んだ気がした。
(クライナーに似て、可愛らしいお嬢さんだ)
彼女は、この店の看板娘であり大将の跡継ぎだと先日大将からお話を聞いていた。ということは、彼女もラーメンを作るのだろうかと思っていたが、本当にそのようだ。俺に背を向ける形で厨房の中の奥の方にある鍋に向き合い、彼女は調理をしている。隣に大将が立って話をしている様子から、きっと秘伝の味付や極意をしっかり叩き込んでいるんだろうと思うと、長年この店のラーメンを食べている俺には、ついに世代交代がきてしまったのか、と感慨深い気持ちで涙が出そうになる。
「ふぅ」
一人大将の背中を見ながらそんなことを思っていると、「お待たせしました」と声がかけられた。厨房の奥から、カウンター越しに俺の目の前に来た彼女に視線を向ける。俺の名前を呼ぶと彼女は緊張した面持ちで俺の前にラーメンを置いた。
(ああ、いい匂いだ)
器から温かい湯気が美味そうな香りと共に俺の鼻を通る。見た目は特に変哲もない焦げ茶色のスープに麺が浸されており、ネギだけが散りばめられた至ってシンプルなラーメン。これはどういう意図があるのか、それを紐解くため、俺はまず、添えられた蓮華を手に取り、スープを一口分掬い上げ顔の近くまで持ってきてじっくりと香りを嗅いだ。
「これは…醤油ですか。いや、だしの香りが…麺つゆに似ている気がするのですが」
「流石ですね、朝霧さん。一般の家庭にある麺つゆを意識したスープ…というより醤油ラーメンをできる限り、年越しのお蕎麦に近づけました」
分析した結果を答えると、彼女は少しホッとした表情で説明した。正解を聞いて、彼女の発想力に感心する。『年越しラーメン』とは、『年越し蕎麦』をラーメンに変換して作られた新しい領域の逸品。
「なるほど。では、いただきます」
目の前の蓮華に口をつけ、スープをズズっと吸い込む。よく舌の上で転がすように味わい、香りと共に飲み込んだ。
(これは…!さっぱりとしただしの風味と醤油の旨味が、いつも俺が食べるラーメンのガツンとくる旨みとは違い、じんわりと体の奥に、五臓六腑に染み渡るこの感じ)
「ナマエさんがこれを…」
「スープと麺は、私が一から考案してお父ちゃんに手伝ってもらいながら、やっとここまで出来ました。麺も食べてみてください。あと、トッピングもお持ちしますね」
そう言って彼女はもう一度厨房の奥へ行き、トッピングの準備を始めた。その間に、彼女に言われた通り、まずは1本、麺を食してみる。いつも食べているこの店の程良いコシのある麺。弾力ともちもち感が絶妙なバランスで、いつも何杯も替え玉を頼んでしまう。それくらい大将の打つ麺は美味くて、この麺もそうなのかと疑ったけれど、しっかりと彼女の手にも受け継がれているようで安心した。
(ん?なんだろう、別の香りが…これは、柚子胡椒!?)
もう一束、箸で掬い食べてみると、柚子の爽やかな香りとピリピリと辛みが口の中に広がった。これはおそらく、麺に柚子胡椒が練り込まれている。和風なスープとマッチした味わいに思わず顔を上げて彼女を見た。しかし眼鏡が曇っていて何も見えず、俺のすぐ隣から彼女の声が聞こえる。
「お待たせしました。こちら、トッピングの天ぷらです。揚げたてですので、是非すぐにお召し上がりください」
「なるほど、天ぷら蕎麦ならぬ天ぷらラーメンですか」
彼女は食べ途中のラーメンの横に天ぷらの乗った皿を置き、そのまま天ぷらの種類を説明し始めた。彼女の説明を聞きながら、一口ずつ味わって天ぷらを食べていく。半分に割られた煮卵、1センチ幅と少々厚めに切られたチャーシュー、モヤシとキャベツの炒め物、それから定番の大海老、これらに全て薄らと衣がついて焦げめなく揚げられている。一つ一つがこの店のラーメントッピングのレギュラーで、俺も馴染みのあるトッピングメニューであることが嬉しくて頬が緩んだ。
「そのまま食べても最高に美味い。この店の味がします」
「お父ちゃん自家製のトッピングメニューですから。私はこのラーメンに合うように、天ぷらにしてみただけです」
「親子で作るラーメン、素晴らしいです。では、次はスープにつけて」
ラーメンに天ぷらを全部乗せ、少しスープに浸してから、また一つずつ天ぷらと麺を一緒に食べていく。天つゆではないけれど、天つゆの代わりには充分なスープに漬けることによって、素材そのままとはまた違う味わいが口の中を制圧し、ずっと噛み締めていたいと思えるほど、俺の舌は喜びを感じていた。
(なんて美味い、これは惚れる以外に選択肢が見つからない。これを生み出した彼女に伝えなければ!)
感動のあまり溢れ出た今の気持ちを伝えるべく、食べている途中にも関わらず俺は立ち上がった。そして、隣で俺の様子を見ていた彼女の両手を取り、ぎゅっと包み込むように握る。
「こんなに胸がときめくラーメンを食べたのは、初めてです。口に入れた瞬間、恋に落ちてしまいました」
「…きょ、恐縮ですっ。あの、実は私…ずっと朝霧さんのことを考えながら、これを作っていたんです」
「…俺のことを、ですか?」
「はい。朝霧さん、お仕事でお忙しいから最近お会いできていなかったので、その、次にいらっしゃった時にお疲れになった体を私のラーメンで癒してあげられたらと思って…」
慌てて喋る彼女は褒められて照れているのか、頬を少し染めて話す。
「新メニューのつもりが、朝霧さん限定ラーメンになってしまいました。すみません」
彼女の思わぬ告白に一瞬戸惑い、手の力を緩めた。しかし、すぐ様彼女の手を握り直し、俺は今の正直な気持ちを伝えることに決め、彼女の名前を呼ぶ。
「いいえ、謝る必要はありません。ナマエさん、あなたが正直な気持ちを明かしてくれましたので、俺も正直な感想を言いましょう」
俺の言葉に反応して顔を上げた彼女の頬は、やはり少し染まっていて…

「あなたにも、恋に落ちました。俺と、付き合ってください」

とても愛らしく、驚いた表情で俺を見上げている。


三賀日最終日。
客がみんな帰って静まり返った閉店間際のラーメン店で俺は、この店の新メニューのラーメンと、看板娘に恋をする。

ああ、どうかずっと彼女の作ったラーメンが食べられますように。そう願ってもう一度、初詣に行こうか。
今度は彼女と一緒に。

そんなことを思いながら俺は、彼女に微笑み、彼女の素晴らしい手にキスを送るのだった。




[ back ]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -