スタマイ*短編 | ナノ

服部耀『言葉が無くても愛してる』

3つ下の恋人
同じマンションの隣の部屋に住む

*****************************
インターホンが鳴り、ドアを開けるとあられもない姿の耀が普段通りの緩い表情で立っていた。
「おかえり!え…」
その姿を見て、私は大きなショックと共に、やっぱりプレゼントを用意しておけばよかったと思った。

朝、目が覚めると隣に眠っていたはずの彼の姿はなく、リビングのテーブルに『出勤。お留守番よろしくどうぞ』と書き置きだけが残されていた。彼の誕生日である今日、優秀な部下たちのおかげで休みが取れたからと昨晩私の部屋にやってきて、日付が変わると共に「おめでとう」とお祝いの言葉を述べてベッドになだれ込んだのだけれど、蓋を開けてみれば結局こうなるのだ。彼の職業は、警察。付き合ってしばらく経ってから知った。
「またお留守番…」
今までにお留守番を命じられたことは何度もある。テーブルの書き置きに悪態をつくことも何度も。けれど今日だけは、一緒に過ごしたかったと悔しい気持ちになり、仕方ないのにそんな風に思ってしまう自分が情けなくなる。そして、彼のいないこの部屋に残されお留守番をすることに虚しさを感じてしまうのだ。
(プレゼント、一緒に買いに行こうと思ってたのに。どうしよう)
プレゼントを渡せていない上に、考えていた誕生日デートは白紙となってしまった。緊急で呼び出されたとなると、相当問題な事件なのだろうと素人目に見てもわかる。こういう時は、大抵帰ってこない。帰ってきても日付けを越える可能性が高かった。最も、一緒に住んでいるわけではないから、普通に自宅である隣の部屋に帰ることも充分に有り得る。
だから…

正直、日付けが変わる前に私の部屋に帰ってきたことに、まず驚いた。
「何…その腕」
「んー?…ああ、折れてるよ」
白い包帯に包まれた彼の左腕は、布で首から吊るしている状態で、一目見て骨折だとわかる。私が聞いているのは状態のことではなく、どうしてそうなったのかではあるけれど、きっと彼は職場で起きたことを何も話さないだろうと私にはわかっていた。
「どうして、連絡くれなかったの?」
せめて連絡があれば、すぐに駆けつけることができたのに、彼は何かあってもいつも何も話さない。恋人の私にくらい、報告してほしいとこれまでにも何度か思ったことがあった。心配をかけたくないのか、いや、彼は人の心配を気にする人ではないような気もする。
「まあ、家族でもなんでもないからね、お前は。俺の意識がなかったとしても連絡なんてこないでしょ」
彼のその言葉を聞いて、ここ最近薄らと感じていた疑念が一歩確信に近づいた気がした。
(家族でもなんでもない…ね)
多分、彼は私を愛していない。そもそも、「好き」と言われたこともないかもしれない。私たちが、世間一般的に言われているような恋人関係だと思っていたのは、どうやら私だけだったみたいだ。
「そうかもしれないけど、言ってくれれば迎えに行ったのに」
衝撃的な言葉に少し間が空いて返答する。きっと誰が見ても落ち込んでいるとわかるくらいには、私の声は言葉とは裏腹に小さく、覇気のないものだった。
「運転、できたっけ?」
「ペーパーだけど。…車もないけど、タクシーでもレンタカーでも方法はあるから」
「は…慣れない運転で事故にでもあったら元も子も無いし、ワンコは家でちゃんとお留守番でもしてなさいな」
「お留守番ってそんな…心配くらいさせてよ」
言葉にしたことは、全て私の本心で、私なりの訴えでもあった。けれど、彼には何も届かないのか、代わり映えのしないポーカーフェイスで私との会話を続ける。
「ま、職業柄よくあることだから、心配は無用ですよ。それよりいつになったら部屋に入れてくれる?」
言われて、玄関で立ち話をしていたことに気づく。疲れた彼を休ませてあげたい気持ちはあれど、話に納得ができないから、彼を睨んでしまう。
「なるほど。俺との関係に不満があるというわけか」
「そんなこと言ってないでしょ。私は…」
私はどうしたいんだろう。不満なんて、ない。と思っている。
私は今のままでいい。耀の恋人でいたい。それなのに…
「んー?なあに?」
彼はいつものようにどこか意地悪い表情で笑う。その態度に最初は戸惑っていた時期もあったけど、今は少しだけ彼が何を考えてそうしているのか分かるようになってきたつもり。だけど今日は、彼の意味深な言葉に嫌な予感が邪魔をして、感情的になってしまいそうになる。
(私は…ただ耀のことが好きで心配なだけ)
でも耀は、違うのかもしれない。そう思ってしまうのは、やっぱり「好き」という言葉を聞いたことがないからだろうか。約束は守ってくれるし、キスやセックスも普通にするけど、それでいていつも大事なことは教えてもらえない。私の返答がないことに呑気に欠伸をしている彼が、命の危険を伴う仕事をしていることも、彼の口から直接教えてもらったわけではない。たまたま、仕事をしている姿を街中で見かけて知ったことで、隣に住んでいること以外、彼は何一つ自分のことを口にしない。

仕事も性格も想いも。
恋人に共有するべき事柄も。
恋人に伝えるべき大切な言葉は何も。

(私は、耀にとってペットみたいな存在なのかな)

言葉が出ない。
自分の想いを言って、その想いを失いたくないから。

(ただの、都合のいい女だったのかもしれない)

恋人とは程遠い自分の置かれた立場を
初めて知った。

「ねぇ、これ頂戴」
口を噤む私の相手に飽きてしまったのか、彼は突然、靴箱の上に置いている私の部屋の鍵を手にする。その言葉に反応して、俯いていた私は顔を上げた。
「…それ、合鍵じゃないけど」
「知ってますよ。これをくれたら、お礼にいいものをあげよう」
また、よく分からないことを言う彼は摘んだ鍵を元の位置に戻した。そして急に真面目な表情で私を見る。
「誕生日プレゼントまだ貰ってないけど、もしかして用意してある?」
「…一緒に耀の欲しい物を買いに行こうと思ってたから、ご飯しか用意してないけど。でも、うちの鍵が欲しいなら合鍵作ってあげるよ」
誕生日プレゼントに合鍵が欲しいなんて、そんなまさか恋人らしいことをされるとは思ってもみなかった。急な申し出に戸惑いつつも、私は若干の喜びを感じる。合鍵を作れば、少しは一緒に居られる時間が増えるかもしれない。でもきっと、いつの間にか勝手に居て、勝手に出ていく、都合のいい時に使うんだろうけれど。
(それでもいい。耀の近くに居られるなら)
それでも、彼がとる行動は”恋人”と何ら変わらない。そう思って、少し彼に微笑んでみせた。
「ほーん。まあでも、もう貰うもの決まってるし、わざわざ増やさなくてよろしい。終わりにして、ここも引き払うわけだしねぇ」
「え…?」
「聞こえなかった?もう終わりにするって」
そう言いながら視線を逸らして鍵を見る彼は、また意地の悪い顔で笑っていた。彼の話に一瞬耳を疑ったけれど、彼のその表情で確信する。私を家ごと遠ざけたいのだと。私を試しているのか、それとも本心なのかは分からないけれど、彼が今言ったことは、きっと私にとっては嬉しくない話だ。
「不満なんでしょ?それなら、今の関係を終わらせるしかないでしょうよ。それともナマエは今のままお留守番ワンコでいたいの?」
私へ視線を移し、彼の表情はまた段々と真顔に戻っていく。その視線が冷たく言葉と共に私に突き刺さる。私は強く目を見開いて彼を見続け、それと同時に体の力が抜けそうになるのを感じながら、息を止めていた。
(…ダメ。これで、終わりなの?そんなのダメ、だって)
「あ…」
いつのまにか溜まっていた涙が頬を伝う感覚がして気がついた。
「何それ。なんで泣くの」
彼は目を細めて怪訝そうな顔を向ける。私は混乱し始めていた。彼の本心が言葉の中から見つけられない。どれが本音なのか分からない。痛く突き刺さる言葉を並べるくせに、彼は私に愛情のような行動をとる。
(また、そうやって)
不意に彼の手が伸びてきて、私の涙を指で拭う。
「は…酷い顔だ。誰に苛められたの?」
そう言って彼は、両手を広げようとしたけれど、折れた腕は動かせず、右手だけがそのまま上へ、私の頭を撫でる形となった。その大きくて優しい手に涙がどんどん溢れて想いが零れてしまう。
「…っ…だって…好きなんだもんっ」
(どうして…)
「耀のことが、好きなの。終わりとか、言わないでよ」
(どうして、優しくするの…)
胸に収まりきらなかった想いが口からポロポロと落ちる。今日の彼と話して悩まされて、私の本音を自分自身、今初めて聞いたような気がした。
「そう。それはけっこう。でも、泣くのはまだ早いんじゃない?」
「どういう、意味…?」
さっきまでの表情とは違い、彼はどこか満足そうな笑みを浮かべる。そしてワシャワシャと私の髪をぐしゃぐしゃにして、視線を合わされた。
「そーだねぇ、いい子でお留守番してたご褒美に変えようか」
彼は私を撫でていた右手を引っ込め、コートのポケットから手のひらサイズの小さな箱を取り出した。そのままその箱を乗せた手を差し出され、「お手」と言われたので素直に箱の上に手を乗せる。
「よくできました。ナマエにあげる」
「何…これ?」
「卒業記念品。お納めくださいな」
私の質問に見合った答えをくれずに箱を持たされ、彼はまた手を引っ込めてコートのポケットから次は四つ折りにされた紙を取り出した。そして、また「お手」をされるかと思いきや、今度は真剣な顔で紙を渡してくる。
「これは…?」
「お留守番ワンコ卒業証書。兼、お世話係申し込み書」
またよく分からないことを言われ、私は箱を片手に紙を開いた。その紙には何やら沢山の記入事項が枠組みされていて、既に耀がいくつかの項目を記入して印鑑を押している。いったい何の書類なのか、左上に視線動かして書類名を確認すると”婚姻届”と記載があった。
「これにサインすれば、俺のお世話係に昇格できるんだけど」
「お…お世話係じゃないでしょ!?これ、婚姻届!」
「おやおや、急に吠えちゃって」
驚いて声をあげる私に対して、彼はニコニコとどこか不敵な微笑みを浮かべて私を見ていた。
(え…?待ってじゃあこの箱って)
私は混乱していた頭をさらに混乱させつつ、手に持った箱の中身に一つの可能性を感じ始めていた。婚姻届を畳んで箱を開けると中からは小さなジュエリーボックスが出てきて、私の予想は確信に変わった。
(なんで…今そんな話。寧ろ別れ話のようなこと言ってたのに)
驚きと嬉しさと少しばかりのイラつきで言葉が出ない。言わなきゃいけないことがあるのに、何から話したらいいのか、こういうときどうすればいいのか、私にはまだ経験がなかった。こんな所で立ちっぱなしで、まさかこんなものを用意されているなんて思いもせず、結局悲しみなのか喜びなのか、よくわからない涙を流しながら立ち尽くしている。
「やっぱり、つけて欲しかった?」
「え…?あ、の何が?」
「その指輪。できれば俺もつけてあげたかったけど、この腕じゃね。格好つかないでしょ」
そう言って彼は、自分を嘲笑った。その見たことの無い寂しそうな目をした表情に何だか胸がヒュッと萎む。この人もこんな人間らしい顔をするんだと素直に思ってしまった。それから、初めて彼の想いを聞いた気がした。
(あ、また泣きそう)
「いいよ。その腕が治ってからで。また改めてプロポーズしてくれたら」
これは、嬉しくて流れてきた涙。拭う必要はないから、私は空いた手で口元を抑えて返事をする。そのままどうしても彼に触れたくて、彼の腕を傷つけないように抱きついた。
「また改めて、しかもプロポーズの言葉も欲しいってこと?欲張りだねぇ、俺の誕生日なのに」
「もう、意地悪言わないでよ」
彼のコートから私の大好きな彼の香りがする。私の部屋に帰ってきてくれたことが嬉しくて、いつも迎え入れたらこっそり嗅いでしまう。これが、結婚したら毎日のように続くのかと思うとやっぱり嬉しいのと、少しだけドキドキして楽しみに感じる。
(もうお留守番だけじゃない。一緒に居てもいいんだ)
言葉にしなくても、その事実を作ってくれるなら、それでいいのかもしれない。
だって、それだけで私の心は満たされるから。
あなたの、深い愛に沈められる覚悟はもうとっくに。
(でもやっぱりプロポーズの言葉は欲しいかも)
本心を言葉で言わない代わりに、口を少し尖らせて上を向く。こんなにクタクタに苛められたのは初めてだなぁと思いながら、これからも変わらずこう在りたいと思ってしまうのは、彼を愛しているからだとは思う。
「で?結局、誕生日プレゼントにお世話係兼、お嫁さんが欲しいって言ったら、用意してくれるの?ナマエ」
だって見上げた先に見える彼が、珍しく嬉しそうに微笑んでいるから。彼の欲しい場所を作りたいの。
「ん…っ」
名前を呼ばれたかと思えば、唇を咥えられる。彼の求愛行動には私も言葉ではなく行動で返せばいいと、この数10分の間に学んだことだ。
「っ…耀」
「さて。それじゃあ早速、疲れたからご飯の所に連れてってくれる?お世話係さん」
唇を離して回れ右させられる。彼はそう言うと私に右手を伸ばして部屋に上がった。私は彼の手を取り中へと導きながら、笑顔を向けて返事をするのだった。



[ back ]


×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -