スタマイ*短編 | ナノ

青山樹『Blue wedding』後編

カードSSR青山樹『純白を抱く』の絵柄より
料理が下手な恋人

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純白のドレスの上から彼女を組み敷いて、キスを送る。ドレスを愛撫するように体をなぞり、彼女の存在を確かめる夜を繰り返してどれくらいになるだろうか。

「こうしてる時が、一番幸せ」
「そうだな」
二人でベッドで眠るとき、彼女はよく”幸せ”と言う。素直で、可愛い笑顔でよく笑う、そしてベタベタに俺に惚れているのが分かる。それは俺も全く同じで、彼女といると素直に”幸せ”という言葉が頭に浮かんで、頬が緩む。そして俺も、彼女にベタベタに惚れていると改めて思うことが多い。
「ねぇ、幸せすぎたからかな?結婚式のこと全然覚えてないの」
「奇遇だな。俺も何も覚えてない」
結婚式の日以降こうやって、何故か記憶がないと彼女は言う。何日も前から二人でプランをたてて、ドレスを買って、準備をしてきた結婚式。確かに迎えたはずなのに、俺の記憶は式の直前で途切れている。
「ごめんね、私のせいで」
「違う。お前のせいじゃない。ナマエは何も悪くない」
突然謝る彼女に慌てて否定の言葉を並べる。俺には彼女が何故謝るのか、理解ができなかった。それは、記憶が途切れているせいなのだろうか。何かを思い出そうとすると、怒りに似たよくわからない感情が湧き上がってきて、頭痛がする。途端に思い出すことに少し恐怖を感じて、思わず彼女を抱きしめた。
「樹…」
彼女の優しい声が聞こえると同時に、沢山の彼女の表情が頭に浮かんでくる。これは、今までの彼女と俺の記憶。
彼女と出会ったときの引きつった顔。
教室のメンバーで飲みに行ったときの緩んだ顔。
初めて二人でデートしたときの緊張した顔。
付き合うことになったときの恥ずかしそうに笑った顔。
最初のキスでビビって固まって。
彼女を初めて抱いた夜は嬉しそうに微笑んでいた。
モーニングコーヒーすらまともに作れない彼女を指摘して泣かせて、一緒に朝食を作って仲直りして飯が美味くて喜んで。
仕事が忙しくて会えない時期は毎晩寝る前に電話してたけど、寂しそうな声で笑ってた。
俺が怪我して家事が出来ないときは下手くそだけど毎日料理を作ってくれた。
3年付き合って結婚を意識し始めて同棲したいと言ったら断られて落ち込んだけど、「結婚はしたいと思ってるの」と必死に弁解してきた彼女の顔が面白くて笑った。
逆プロポーズされたことを根に持ちながらも、婚約指輪を用意して綺麗な夜景が見える一流ホテルでプロポーズしてみれば、初耳が如く驚いた顔で指輪の値段を聞かれて、俺はちょっと怒った。
お互いの両親に挨拶をし終えた夜は、美味い飯を食べて、愛を確かめ合うように長いキスと、ずっと見ていたくなるような艶っぽい顔のまま、二人で行為に溺れた。
結婚式当日まではバタバタと準備と仕事で忙しい日々を過ごし、あっという間に時が過ぎた。
籍を入れる前だけれど、彼女を一日でも早く迎え入れたくて、結婚式の前日に彼女の引越しが完了した。
インターホンが鳴って、玄関のドアを開けると明るく元気な彼女が満面の笑みで立っていた。

俺が「愛してる」と言えば、少し目を細めて「私も」と口に小さく弧を描いて微笑む彼女が愛おしくて。

そんな記憶と思い出が走馬灯のように巡る。スーッと音が聞こえるみたいに現れて積み重なる彼女の表情が、浮かんでは消えていく。まるで記憶から無くなるように。
「樹。いいんだよ、忘れても」
「待ってくれ」
「無理しないで。樹には、樹の人生があるんだから」
「やめろ。そんなこと、言わないでくれ」
俺は忘れたくない思いに駆られて、ドレスごと彼女をもう一度強く抱きしめる。しかし、何故か腕の中の彼女は柔らかい感触が無くなり、身体が薄くなっているように感じた。
(俺が今、抱きしめているのは何だ…?)
違和感を確かめようと自分の腕を見ると、そこに彼女の姿はなく、残ったのは彼女のウェディングドレスだけだった。
「ナマエっ!」
消えてしまった彼女を呼び止める。視線で部屋を見回しても彼女の姿はやはり見当たらず、消えたまま。
「樹、今までありがとう。私、しあ……だっ…よ」
遠くから彼女の声だけが聞こえてくる。
「ナマエ、行くなっ!お願いだ、俺を置いて行かないでくれ」
叫んでも意味が無いことは分かっていた。けれど俺は、ドレスを抱きしめながら彼女の名前を呼び続け、次第に意識が薄れていった。

あのとき、俺がもっとちゃんと止めていれば

「ナマエっ!」
自分の口から出た大きな声で目が覚めた。ベッドに横たわったまま、左手を天井に向けて伸ばし、右手は布団を握りしめている。体は少し汗ばんでいて、喉がかれていた。もちろん傍らには、彼女のウェディングドレスが眠っている。
(夢…か…)
俺は体を起こし、伸ばしていた左手で額の汗を拭い考える。目が覚めて、こんなにはっきりと見た夢を覚えていることは、今まであまりなかった。毎晩見る夢に彼女は必ず出演しているが、内容まではいつも覚えていないのは、ぼんやりと彼女のことを考えて眠ることが習慣だったからと自分では意識している。
(電話のせいだな)
最初に彼女のご両親から電話があったのは、事故があった結婚式の日から半年が経った頃だった。それから1ヶ月ごとに返事の催促があり、昨日また電話があったのだ。事故からもうすぐ1年が経つわけだから、ご両親も植物状態の彼女の世話をいい加減終わりにしたいと思っているのが、受話器越しに伝わる。
(終わりって、そんな…)
実の娘に対して本当にそれでいいのかと何度も問い詰めそうになった電話だったが、拳を握りしめ冷静さを保っていた。これでも一応、俺のことを気遣って電話をしてきてくれているのだろうと思えたから。
ふと、さっきの夢に出てきた彼女の言葉が頭を過ぎる。謝る彼女の声は本当に彼女の言葉なのだろうか。忘れてほしいと彼女は願っているのだろうか。自分に問いただすことしかできない現状に、答えが出せずにずっと悩んでいたんだと、夢を見て気付かされる。
(ナマエ…お前はどうしてほしい?)
助けを求めるように、傍らのドレスを見て心の中で彼女の名前を呼んだ。もちろん返事をしてくれるはずもなく、ドレスは静かに眠っている。毎晩傍らで眠っているにも関わらず、ドレスに汚れや皺は一つもなく純白を保ち続けていた。それはそうだ、最高に綺麗好きで最高に寝相の良い俺が隣で寝ているのだから。そんな俺が今、初めてこのドレスに皺を作っている。寝ている時から握りしめている右手を見ると、布団ではなくドレスの袖を繋いでいた。
「俺がお前のことばかり考えてるの、知ってるだろ…」
隣で眠るドレスに問いかける。そろそろ決断しなければならない時がきたみたいだ。ずっと彼女の抜け殻と眠る夜を過ごすこの生活に、終わりを告げる時が。
「俺もお前のドレス姿、楽しみにしてたんだ。だから…」
決意を固めるため、俺はその日仕事を休んで一日中、病院で眠る彼女の傍に寄り添った。


念入りにリハーサルと打ち合わせを重ね、その日はやってきた。ここまで来るのにどれだけの時間と金を使ってきただろう。考えると気が狂いそうになるし、正直普通はこんなことしないと、俺自身思っている。けれど、彼女のことを忘れて悠々と生きていけるほど、俺は強くない。
(ナマエ、お前のことちゃんと守ってやれなくて、ごめんな)
チャペルの入口から、ウェディングドレスを着て車椅子に座る彼女と彼女の父親がバージンロードをゆっくりと歩いてくる。ドレスとベールが引っかからないように後ろから車椅子を押してくれる彼女の友人を従えて、一歩ずつ歩みを進めていく。きっと今までの人生を振り返りながら歩みを進めているんだろう。俺と出会う前は、彼女がどんな人間だったのか俺は知らない。けれど、彼女の父親の表情を見ると、とても大切に育てられてきたんだなと納得がいく。これからは家族になる、そう思いながら彼女を見つめ続けていると、いつの間にか俺の隣まで足を運んでいた。
(ナマエ、綺麗だ。後でちゃんと言ってやろう)
隣に並ぶ彼女を改めて見て思う。彼女が世界一綺麗な女性なんじゃないかと見惚れてしまう。もう少しゆっくり見ていたかったが、今は式の最中だと思い出し、俺は車椅子の肘掛けに置かれた彼女の手に、そっと自分の手を重ねた。
「新郎、そして新婦。お二人は健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、互いを愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか」
「はい、誓います」
二人分の神父の問いかけに、二人分の返事をする。彼女に意識さえあれば、一言くらいは話せただろうと思わずにはいられないが、悔やまれる気持ちを抑えて彼女の手を少し握った。
「はい、誓います!」
突然、彼女の方から彼女自身の声が聞こえた。
(今のは、ナマエの声…?)
そんなはずはないと彼女を見ると、変わらず目を閉じたまま眠っている。辺りは少しザワつき、俺はもう一度彼女の顔を窺う。ピンク色の口紅がひかれた唇が動いた様子もなく、やはり静かに呼吸しているだけだった。
何が起こったのかわからないまま式は進み、神父が指輪の贈呈を促す。彼女と向かい合い、俺は神父から受け取った指輪を彼女の左手の薬指にはめようと手を取った。そのとき、彼女の右手の下にある肘置きに何かが括り付けられているのを見つけた。
(これは…ボイスレコーダー…)
『しっかり返事できるように慣れておかないと』
そう言って、彼女が一年前の本当の結婚式に備えて前日に練習していたのを思い出す。さっきの誓いの言葉への返事は、俺が手を握ったことによって、このボイスレコーダーのボタンが押されて流れたものだったのだろうと推測できる。こんな粋な演出を考えてくれたのはいったい誰だと思いつつ、俺は目頭が熱くなりきらないうちに彼女の左手の薬指に指輪を贈った。そしてそっと彼女の左手と、薬指にお揃いの指輪をはめていた俺の左手を参列してくれた方々に並べて見せる。周りを見回すと、それぞれの両親、友人、同僚たちが俺たちの結婚を讃え、喜ばしい表情をして拍手で見守ってくれていた。
ドレスを踏まないように屈み、彼女の顔にかけられたベールを持ち上げる。綺麗にメイクされた彼女の顔を見つめて、愛しさが溢れ出て頬が緩む。彼女の頬にそっと触れて、今、俺は彼女の存在を改めて確かめた。
「本当に、最後のキスにならなくてよかった」
俺の問いかけにきっと彼女は「そうだね」と返事をする。これは俺の妄想かもしれないが、彼女はそんな顔付きをしている気がした。
「それでは、誓いのキスを」
神父の声が静かにチャペルに響き渡る。俺はそれを合図にもう少し彼女に近づき、そっと囁いた。
「ナマエ、愛してる」
屈んで彼女の耳元に愛を囁く俺に「私も」と返事が聞こえた様な気がした。そう、これは幻聴だと流石の俺も思う。分かっている、彼女が今、どういう状態なのか。それでも俺は、

『愛してる。この気持ちは一生変わらない。お前の生涯、俺に守らせくれ。俺と、結婚しよう』

あの時のプロポーズを
お前の憧れを
二人の幸せを
実現せずにはいられなかった。
「俺がお前を絶対に幸せにする」
そして俺はナマエと愛の口付けを交わした。

俺が「愛してる」と言えば、少し目を細めて「私も」と口に小さく弧を描いて微笑む彼女が愛おしくて。

純白を身に纏う彼女を抱き抱える。そのままバージンロードを戻り、外のガーデンテラスに出て空を見上げると、雲ひとつない 快晴で淡い青色が一面に広がり、太陽の光が眩しく俺たちを照らした。そして、視界の先には道路を挟んで青い海が見える。彼女とこだわって選んだ場所だ。
「あとで、二人で写真を撮ってもらおう」
そう言って俺の腕に収まる彼女を見ると、口元に弧を描いて微笑んでいるような気がした。
(一生、お前を守るからな)
彼女を見つめていると段々と視界がボヤけて、雫が落ちていく。それはまるで彼女も泣いているかように、彼女の目元から頬にかけて伝い、太陽の光に反射してキラリと輝いた。
微かに聞こえる波の音に耳を傾けながら、俺たちはしばらくその場に立ち尽くして涙を流すのだった。



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