スタマイ*短編 | ナノ

桧山貴臣『君を(と)結ぶ』後編

婚約者 庶民
事後の話

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六本木の駅に到着し、電車を降りたタイミングでLIMEの通知がスマホ画面に浮かび上がった。
『すまない。』
最初の一文。
(ああ、またか…)
またこの言葉。そして綴られるのは、おそらくドタキャンの連絡。彼は人一倍多忙な人間だ。だから、いつも仕方ないことだと”わかった”と返事をする。けれど、もうそれも意味がない気がして、私は返事をせずにスマホの電源を切った。

(貴臣さん、覚えてる…? 今日はーーーー)


目が覚めると、私は裸のまま彼の部屋のベッドの中にいた。カーテンが閉じていて正確にはわからないが、まだ外は暗いようだ。スマホを探すけれど、鞄は向こうのソファの上にあるためベッドを出なければならない。若干倦怠感を感じる体をゆっくり起こして布団を出た。
(貴臣さん…)
部屋を見回しても彼は見当たらない。どこにいったのだろうか。彼のことを考えながら、私は布団の上や床に散らばった下着を集めて身につける。彼のも集めて、シャツとズボンはハンガーへ、下着は丁寧に畳んでベッドサイドに置いた。そして、先程まで私の手首を結んでいた彼の赤いネクタイを手に取り見つめる。
『抵抗しないでくれ』
先程の彼の言葉が頭の中を巡る。強引に事を始めようとする彼を押し返そうとしたとき、このネクタイで私の手首を結ばれて、そう言われた。
(貴臣さん、怒ってた。怒ってたけど、すごく悲しそうな顔して…)
その時の彼の歪んだ表情を思い出すと胸が痛い。私はネクタイを折り畳んでギュッと握りしめた。
「起きていたのか」
突然部屋のドアが開いたと思えば、シャワーを浴びていたのかバスローブ姿の彼が現れた。タオルで髪を拭きながら、こちらに歩いてくる。こんな無防備な彼を見るのは初めてで思わず見惚れてしまった。
「貴臣さん、ちゃんと寝た?」
ショートスリーパーである彼はセックスのあとでも寝ないらしいので、心配になり質問する。タオルを首にかけながら私の元へ歩いてきて少し困った顔で答えた。
「お前を寝かせてから1時間も経っていないぞ」
「え、そうなの?」
部屋に時計がないかキョロキョロ探すと、彼が「11時だ」と教えてくれた。そして、唐突にクスリと笑い出す。
「な、なんで笑ってるの?」
「いや…お前が可愛いなと思って」
そう言って優しい笑顔を私に向けてくる彼は、先程の行為をしていた時とは打って変わって、大分和らいだ雰囲気を纏っていた。そんな彼を不思議に思い見ていると、彼の視線は私の手元に移り、徐に私の手を取って優しく撫でた。
「さっきは…酷い抱き方をして、すまなかった。体はつらくないか?」
彼は私の手首に残った赤い痕を見つめながら私に謝罪をする。酷い抱き方とは、私の手首をネクタイで結んだことだろうか。確かに少し強引で痛かったのと、結ばれたときは何をされるのかと恐怖を感じたけれど、終わったあとは私の体を拭いてくれたし、彼は冷静だったと思っている。
「すまない。痕が残ってしまったな。お前の体を傷付けてしまった」
そう言ってまた、彼は悲しい顔をする。傷付けた、そうかもしれないが、特に痛みはないし、寧ろ私の方が彼の心を傷付けてしまったのではないかとディスコフロアでの出来事を思い出す。あのとき彼は、すごく怒って…怖い顔で私の手を掴んだのだ。
「大丈夫。でも…ちょっと、怖かった。貴臣さん、怒ってるから…」
このままだと、さっきのことで誤解を招いてしまう。正直に話さなければと思い、まずは気持ちを伝えてみた。
「怒っているつもりはなかったが、お前が言うなら、きっとそうだと思う」
やはり否定されるけれど、どうしてか私に寄り添うような返答が返ってくる。彼はいつも優しいキスをくれる。初めて抱かれたときも、すごく優しくしてくれた。さっきも最後あんなに私の名前を呼んで…彼からの行為にはいつも確かに愛を感じていた。けれど、今日のは少し、怖いなと思ってしまった。
そして彼は、今も少し怒っている…というより、どこか悲しそうな寂しそうな、あまり見たことない顔で私を正面から見つめていた。
「あの、貴臣さん」
「話したいことがある」
彼は一瞬視線を逸らしてから、静かに落ち着いた声で少し食い気味に言った。同時に私の手を撫でる手は止まり、そのまま軽く握られる。
「俺は結婚は愛する人間とするべきだと思っている」
急な話に面食らう。驚いて彼を見ると、彼は仕事で何か主張をする時のような鋭い眼光で、私を真っ直ぐ見つめて話し始めた。
「お前は、金が目的で俺に婚約を申し込んできた。その意思は変わりないか?」
「…え、まあお金は大事だから…うん。でも」
「そうか。これからも気持ちが変わることはないと、そういうことか」
「え…」
お金目当てという当初の目的は今も変わらない。でも、お金がなくても今は、彼と結ばれたいと思えるくらいには、彼を好きで。
(ああ…どうしよう)
なんとなく、彼が言おうとしていることがわかってしまった。けれど、わかりたくなくて私は口を噤む。

(怖い…)

(待って、言わないで)

「ナマエ…別れよう」
なぜ、そんなことを言うのか。
それでいて、なぜ私の頬に触れるのか。
少しだけ口元に弧を描きながら、彼のミルクティー色の瞳が、愛おしいものを眺めるように私を見つめる。
(なんで、そんな泣きそうな顔をするの…?)
次第に視界がボヤけて目から雫が垂れる。泣いているのは私の方だ。その雫を彼の親指が掠めとる。目を閉じてそれに応じると、そのまま抱きしめられた。
「このまま交際を続ければ、一方的に俺の気持ちを押し付けることになる。結婚したとしてもナマエが辛い生活を送ることになるだろう?それはやっぱり良くないと…俺は思う」
彼は、泣いている私をあやす様に背中を優しく撫でる。
「次は好きになれる相手と巡り会える。大丈夫だ、ナマエは可愛いから、きっとすぐに見つかる」
違う、違うそうじゃない。
ああ、もうどうして…どうして彼はいつも。
(いつも勝手に決めて)
本当に言葉と行動が矛盾している。別れの言葉を述べるのになぜ、なぜ、彼はこんなにも離そうとしてくれないのだろう。
「私も、話したいことがあるの。貴臣さん、聞いてくれる…?」
(そういう所が…そういう所も含めて好きだから、着いていこうってもう決めてるの)
一人で勝手に抱え込んで、勝手に解決なんてさせる訳にいかない。私の話を、言い訳を聞いてもらわなければ。
「今日、約束破ってごめんなさい。私、LIMEをちゃんと読んでなくて」
体を離そうとしても、離れなかった。そのまま、彼に抱きしめられたまま、私は話を続ける。全部言いたい。全部言ってやる。私への誤解を解くために。彼との距離を縮めるために。彼と結ばれるために。
「最初の『すまない。』って言葉だけ見て、またドタキャンされたと思って…それで、あのクラブで飲んでたの」
クラブの話を始めた途端、私の背中を撫でる手が止まった。やはり、彼は怒っている様子。
(ああ、やっぱり。嫌だったんだね)
私は、彼の背中に腕を回した。
「あの人は顔見知りだったから、一応挨拶はしておこうと思って話しかけたの。そしたら、一人だって言うから流れでディスコフロアに行って…」
「もう少し警戒心を持ってもいいんじゃないか?」
反論ともとれるその言葉は、彼の口からはっきりと発せられ、どこか張り詰めた空気になる。さらに言葉が続くと思って待ってみたが、彼は口を噤み、代わりに私を抱きしめる腕に力が入るのを感じた。彼の表情は見えないが、また少しだけ、怖い雰囲気を放っている気がする。
「貴臣さん、だから、別に浮気とかそういうことじゃなくて」
「疑ってはいない。ただ、LIMEも既読されていない上に連絡もないから心配した」
「あ…ごめんなさい」
全部私が悪い。私の軽率な判断と行動がこんな事態を招いてしまった。彼を信じていないわけではないけれど、 彼が最近忙しくて、2ヶ月も会えていないことに気持ちが落ち着かず、賑やかな場所で飲もうと思ったのだ。 寂しさを紛らわそう、そういう感じに似ている。
(寂しいって、ちゃんと言えばよかった)
自分の不甲斐なさにまた涙が零れる。
「……俺は、寂しいよ」
「…え?」
「反応がないのは愛想つかされたからだと、そう思った」
(ああ、LIMEのこと)
「LIMEもそうだが、さっきお前を抱いたとき、途中から俺の呼びかけに何も答えなかった。お前は苦しそうな表情をしていた」
彼を見上げるとまた悲しそうな寂しそうな表情をしていた。苦しいのは彼も同じだ。その瞳には私を映しておらず、何かを思い出そうとしているのか、空中の一点を見つめていた。こっちを向いてほしくて、私は体を少し離し、背伸びをして彼の整った薄い唇に軽くキスをする。
「…ん」
彼は口から鈍い吐息が漏らすと同時に、驚いた顔で私を見つめる。そして、目を細めて頬を赤く染めた。
「どうして…キスをするんだ?」
「好き…好きだよ、貴臣さん。私、貴臣さんのこと本当に好きだよ」
(だから…別れるなんて言わないで…)
彼は私の言葉にまた驚いた様子で頬を染め、眉を下げて少し困った顔で微かに口元が弧を描く。これは、彼が喜んでくれている、そう思ってもいいのだろうか。今の私には、自分の気持ちを伝えることしかできなくて、もう一度浅いキスを彼に送った。
「ちょっと、なかなか会えなくて、寂しくなってただけなの」
「ん…わかった、少し待ってくれ」
彼は何かに耐えきれなくなった様子で、私の肩を掴んで距離をとる。そのままベッドに座るように促され、クローゼットから私用のバスローブを持ってきて、私の肩に羽織らせた。
(着ろってことなのかな?)
とりあえずバスローブを着ると、彼は自分のデスクの引き出しを開けて何かを取り出し、私に話しかける。
「今日が何の日か、覚えているか?」
その質問に対して頭の中で瞬時に答えが浮かび上がる。
今日は特別な日。今日、彼と会えないと思って、私は1年前のことを思い出し、あのクラブに向かったのだ。
「今日は俺とナマエが出会った日だ。1年前の今日、俺はあのクラブでナマエに出会い、プロポーズを受けた」
クラブに足を踏み入れたときもだけれど、私はあの時、彼にプロポーズしたことを思い出す。プロポーズというより、交際の申し込みのようなものではあるけれど。
「しかし、本来ならプロポーズは男がするもの。大分時間がかかってしまったが、やっと準備が整った。というより、せっかくだから今日までにと、準備を終わらせた」
彼はそう話しながら、私の正面に膝を立ててしゃがみ込む。そして、先程引き出しから取り出した小さな箱を私の手のひらにそっと置いた。
(これって…)
その箱は誰が見てもわかる、よくあるベロア生地で包まれた、ピアスや指輪が入る小さなジュエリーボックス。今の話の流れからすると安易に中身が想像できてしまう。
「俺は、一緒に暮らしていても、普段は仕事もあるし、あまり傍にいてやれないかもしれない。初めてうちに訪れたときに言っていたな、広すぎて寂しいと。きっと、部屋の広さも時間も、寂しいと感じさせてしまうことの方が多くなるだろう」
彼の鋭くて真剣な、それでいて優しい眼差しが私の心を貫く。先の詠めるこの状況が逆に緊張する。ドキドキと心臓の音が聞こえるくらい高鳴るのを感じた。
「それでも俺に着いて来られるなら、これを受け取ってほしい」
そうして彼の手によって小さな箱が開けられる。中に入っていたのは、予想以上に大きなダイヤモンドがついた指輪だった。キラキラの輝くそれは、私の女心を喜ばせるのには充分で、口元が緩む。
「さっきの言葉、嬉しかった。てっきりもうダメだと思っていたから、お前にはっきり好きだと言われて、今すごく、気が舞い上がっている」
ニヤけているのも束の間、彼はそう言って困ったように私に微笑んだ。 彼の笑顔に愛おしさが込み上げて、今すぐ抱きつきたくなってしまう。代わりに彼にバレないように小さくため息をつくと、彼も小さくため息をつき、口を開いた。

「ナマエ、愛してる。生涯を共に生きる誓いを結ばせてくれないか?」

それは紛れもないプロポーズの言葉。
ああ…やっと、彼と結ばれる。

私は涙を流しながら何度も頷いた。彼はまた困ったような笑顔で私の左手を取り、薬指に指輪をゆっくりはめる。二人でそれを眺め、見つめ合うと互いの想いが通じ合い、本当の意味で結ばれるのを感じた。


今日は特別な日
特別な日に特別な場所で、特別な貴方と共に
特別な一日を

そう思っていたのに
思っていた以上に
私達の赤い糸は絡まっていて

解きほぐすのに時間がかかってしまったけれど、
もう大丈夫
ちゃんと結び直せたから

「愛してる」
(愛してる)
互いに呟き口付けを交わす。
この愛は、ちゃんと届いてる



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