スタマイ*短編 | ナノ

日向志音『いい感じの景色』

志音は大学生
淑央大学付属高校の保健医
クラスに馴染めない志音がよく通っていた保健室

*****************************
コンビニの帰り道、暖かな日射しを受けてふと辺りを見回すと、一面淡いピンク色で埋め尽くされた空に思わず笑みをこぼした。麗らかな春を感じた、そんな昼休み。
「…え」
保健室のドアを開けると、誰かがベッドで寝ているのが見えた。整った呼吸、見覚えのある派手な髪色、そして極めつけは保健室のではない枕を抱えていること。先月卒業した彼で間違いない。
「日向くん!何してるの?」
彼が寝ているベッドに近づき声をかけると片目を開けてチラリと私を見た。寝ていない。
「おはよう、先生」
「おはようじゃないよ。あなた卒業したでしょ?何してるのこんな所で」
指摘すると彼は起き上がり、立ち上がって伸びをする。そのままのそのそと歩いて私の横を通り過ぎ、半開きになっていたドアを閉めた。
「不用心だよ。カギ閉めないで」
逆に指摘されてちょっとだけイラッとする。確かに、昼休みの買い出しのときはいつも開けっ放しにしているけれど、別に盗まれて困るものは鍵付きの引き出しに閉まってあるから問題ないし、自分の荷物も貴重品は身につけているから問題ない。
「別に、盗られて困るものはないよ」
「あるよ」
「…え?」
私の言葉に彼は反論すると、こちらに戻って私の前に立ちはだかる。久しぶりに見る彼は少し成長したのか、昔に比べて私よりまた大きくなったようで、視線が前より高い位置にある気がする。
「先生」
「何?」
「そうじゃなくて、先生。盗られて困るものは先生」
そんなことを言って彼は髪と同じ色の透き通った瞳で私を凝視してきた。うっかりじっと見つめ返すと吸い寄せられてしまいそうになるから、私はいつもすぐに視線を逸らすと決めている。
「誘拐されちゃ嫌だ」
「されないから」
馬鹿馬鹿しい話にため息をついて、私は買ってきたお昼ご飯を仕事用の机に置いた。マイペースな彼の話を真面目に聞いてると昼休みが終わってしまう。私は電気ケトルに水を入れてお湯を沸かし、机に置いたビニール袋からインスタントの味噌汁を取り出して、食べる準備を始めた。
「それに、誰かが勝手に侵入してるかもしれない。俺みたいに」
「自分で言うのね」
話を続ける彼は、いったい何しに来たのだろうと考える。卒業式はちゃんと3月に終わっていて、成績優秀な彼が留年するとは思えない。進路も大学部に進学が決まって、瀬尾教授の元で引き続きお手伝いするって、今年に入ってから噂で聞いていたのだけれど。
「先生、襲われるかも」
「は?」
意味のわからないことを言われ、体ごと振り返ると触れるか触れないか彼がすごく近くにいた。驚いて彼の顔を見上げると、先程と同様に曇りのない眼で私を凝視する。そして私の手から味噌汁のカップを取り、机に置いた。
「だってベッドもあるし、ほら、大きい机だって」
迫ってくる彼に両手を前に出して距離をとろうとすると、やんわりとその手を握られて下に降ろされる。そのままスルスルと私の両手から両腕に手を這わせて、肩に辿り着いたところで動きが止まった。
「元生徒に襲われるかもよ?」
耳元で彼にそう囁かれると同時にぐっと肩を掴まれる。反射的にやばいと感じて体を動かそうとしたけれど、私の肩を掴む彼の力は強くて、身動きがとれない。彼の顔が近づいてきて、キスされると思い、目をギュッと瞑った。
(あれ…?キスされてない?…って、ちょっと!)
唇には特に何か触れる様子はなく、私はなぜか彼の腕の中に抱き寄せられていた。そしてギューッと音が聞こえるみたいに抱きしめられて、少しだけ恥ずかしくなる。何が恥ずかしいかって、こんな子供の腕の中に収められて簡単にときめいてしまった自分が恥ずかしくて、顔が熱くなる。
「先生、抱き枕にしたら丁度良さそう。…あ、それ」
悶えている私をよそに、彼は何か見つけたようで、すぐにそっちに思考が移る。私の気も知らず簡単に離れて、机の上に置いた私のお昼ご飯を見つめていた。
「ねぇ、これ桜餅?」
彼が手に取ったのは、私がデザートもしくはおやつにと思って買ったもの。今丁度外で見た淡いピンク色に染まった2個入りの桜餅だった。
「そうだけど、それがどうかしたの?」
「ちょうどいい感じ」
「は?」
体を離してニッコリ微笑みながら桜餅の入ったパックを手に取る彼は、相変わらず謎な行動が多い。また軽くため息をついて、私は電気ケトルに沸いたお湯を味噌汁の入れ物に注ぎ、彼の方へ向き直る。
(一体全体、なんなの…?昔からこの子は…)
さっきの彼の行動を思い返してみて、年甲斐も無くドキドキしてしまった自分が恥ずかしいというか、情けなく思えてくる。そして、それと共になんだか懐かしいなとも思えた。彼がまだこの保健室に毎日のように通っていた時は、同じようなことがよくあった気がする。あの頃は、すごく振り回されているというか、手のかかる子なのかもしれないと慎重に対応していたけれど、今は私の手から離れてしまっているからか、先生である自覚が少しだけない分、子供の頃親しかった親戚の子とか、学生の頃好きだった人とか、そんなのに似た感情があるようなないような。
(昼休み終わったら帰るよね。またしばらく会えなくなるのかな…。って、なんで私こんな気持ちになってるんだろう…?)
私はあの頃からずっと、彼を生徒ではなく、別のものとして意識していたのかもしれない。
「1個ちょうだい」
「いいけど、それで結局、日向くんは何しに来たの?」
味噌汁をかき混ぜて机に置きながら、当初の目的を聞いてみる。本当に何をしに来たのだろうか。せっかくの昼休みなのに、私のところにやって来るなんて。もしかしたら大学で馴染めないとか、そんなところだろうか。それなら少し大問題だと彼の現状況が心配になった。
「先生とお花見」
にっこり笑って私の方を向く彼は、いつもよく分からないことを言う。なんというか、説明が足りないし、急に別のことを話したり、どこか別の視点からものを見ていたり。普通とは少しズレているというか、マイペースすぎるというか。
「…お花見?」
「うん。卒業式、会えなかったから会いに来た」
「ん?ああ、卒業式…?」
言われてみれば、卒業式当日は忙しくて、よく保健室を利用していた生徒全員とは会えていない。彼もその一人で、だから卒業してから会いに来てくれたのは嬉しいけれど。
(今、お花見の話をしてなかった?)
突然話が変わってしまって面食らう。けれど彼は何やら勝手に私のお昼ご飯を持って、先程寝ていたベッドに並べ始めるという、さらに驚く行動をする。
「ちょっと日向くん、なんで食べ物ベッドに広げて…」
「ほら、こっちから桜見えるよ、先生」
言われて彼が指差す方を見ると、窓から淡いピンク色の花をたくさんつけた大きな木が見えた。風に吹かれて、花びらがヒラヒラと吹雪いているその景色は、さっきのコンビニの帰り道によく似ていて、風のない保健室の室内でも春の香りを感じさせる。
(そういえばこの木、桜の木だったなぁ)
普段は生徒がいるのでカーテンを締め切っていることが多く、外を見ることも少ない。冬休みは比較的に人が来ることが少なくてカーテンを開けているけれど、木には枯葉が数枚ついているだけで殆どなにも無く、静かな空間が広がっている。それなのに何故だろうか、私はこの桜の風景になんとなく懐かしい感じがしていて、思い出せないでいた。
「先生」
「…ん?」
「窓開けたら、いい感じになりそう」
ぼーっとしている私に声をかけた彼は、突如そんなことを言って窓を開いた。その瞬間、風が吹いて桜の花びらが室内に舞い込む。一瞬で白いベッドの上に花びらが舞い降りて、淡いピンク色の斑模様ができた。
「え、ちょっと!あとで掃除しなきゃ」
床にも散らばった花びらを見てため息をつく。彼を見ると驚いた表情で私を見ていた。
「ねぇ、前にもこんなことあった気がする」
「え?こんなことって?」
「俺が初めて、保健室に来たとき。窓開けたら桜が入ってきた」
彼に言われて気づく。そう、あの麗らかな春の日、彼は勝手に入ってきて、勝手に窓を開けて、勝手にベッドで眠っていた。それに対して私は…
「”あとで掃除しなきゃ”ってあの時も言ってたね。俺は寝てたけど」
「それ、寝てないじゃない」
懐かしくて思わず口元が緩んで笑ってしまった。あの時から、毎日のように彼はこの保健室に通っていたんだと、ゆっくり思い出が頭の中を巡る。
(本当に、大きくなったなぁ)
私は改めて彼を見上げながら、彼の頭についた花びらを払ってあげた。
「先生、お花見しよう?」
「まさか、このベッドの上でしようって言わないよね?」
「このベッドの上で。だからご飯持ってきた」
そうだろうなとは思っていたけれど、正直気が進まない。もしかしたら、誰か生徒が休みに来るかもしれないと思うと、保健医としてはOKできないのだ。
「俺、春になるといつもここから見てたから知ってる。ここが穴場」
「ここが穴場って、保健室のベッドをなんだと思ってるのよ」
「大丈夫。鍵は閉めたから。さあ、座って座って」
またもや彼の発言に驚くも、彼に後ろから押されて無理矢理ベッドに座らされる。彼も隣に座り、私のお昼ご飯を勝手に開け始めた。
「もう、今日だけだからね」
「次は先生の手作り弁当がいい」
「えぇ?何言ってんの…まあ、考えとくけど」
「やったぁ!その方がいい感じだと思う」
そう言ってにっこり笑う彼の顔につられて、私も笑顔になった。そして、小さくため息をついて、桜餅を一口かじる。甘じょっぱい味がなんとなく今の心に染みて、とても美味しく感じた。それは味付けなのか、桜が綺麗だからなのか、それとも彼と一緒にいるからなのか、まだ私にはわからないけれど、でも…
(いい感じ…かもね)
そんなことを考えながら私は、綺麗な桜の木をバックに彼が桜餅を美味しそうに頬張る姿を眺めるのだった。



[ back ]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -