スタマイ*短編 | ナノ

桧山貴臣『蜜柑の花嫁』

2019年イベント『幸せ初めの新年会』実装記念夢
婚約者 庶民

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インターホンが鳴り玄関のドアを開けると、何やら大きな紙袋を抱えたフィアンセが嬉しそうな顔で立っていた。
年が明けて初対面する彼は珍しく疲れた様子はなく、部屋に入るなりさっさと荷物を置いて、私を抱きしめキスを迫る。全くもって甘ったるい雰囲気でもなんでもなかったんだけど、彼の口付けは、そのなんでもない空気を一新するかのように、甘くねっとりと濃厚なものだった。
「ナマエ…会いたかった」
そう言って彼は嬉しそうに微笑み、自然と私をソファに座らせてまたホールドする。
「ちょ、ちょっと待って!」
「ん?どうした?」
「いや、どうした?じゃなくて」
私の言いたいことがわからないようで、彼はキョトンとした表情で私を見つめる。なお、ソファに私を押し倒そうとする姿勢は変わらない。
「とりあえず、一旦退いてくれる?」
「なぜだ。まだ足りないんだが」
「足りないってもう…」
真昼間からこのまま流されるわけにはいかないと思い、「それ何?」と彼が持ってきた紙袋を指さした。すると彼はやっと私の上から退いて、嬉しそうに紙袋を開けて中身を取り出した。
彼の手のひらに収まる大きさの丸い…オレンジ色したそれは日本人なら誰が見てもわかるそれで。
「蜜柑だ」
「うん、そうだね」
「正月は会えなかったからな。気分だけでも一緒に庶民的な正月を過ごそうと思って持ってきた。蜜柑、それに炬燵。庶民的な正月の過ごし方を俺が聞いたときに教えてくれただろう?」
そういえばそんなことを年末に聞かれた気がする。セレブな友人と泊まりで正月を過ごすとか言って、よくわからないけど庶民的な正月の過ごし方を実践したいという、庶民からしたら何でわざわざと思うプランだった。彼の様子からすると、そのセレブ新年会は楽しめたようで、それはそれで独身貴族を謳歌できて良かったねと思う。
「友達との新年会楽しかった?」
「ああ、みんなで生涯ゲームやNinidendoStickで遊んだんだ。勿論、蜜柑も沢山食べた。みんな、また是非やりたいと絶賛だった」
「ふーん。良かったね」
こんなに嬉しそうにする彼を見たことがない。それほど、大切な友人と過ごす時間が楽しかったのだろうと、ちょっとだけ妬けた。別に、先約があるなら仕方ないし、ただでさえ秒刻みのスケジュールで動いている彼は、友人と時間を合わせるのは本当に大変だろうと思う。私だって同棲しているわけではないから、彼と過ごせる時間は極僅かだったりする。彼が友人を優先したのが嫌とかではないが、なんだろう、羨ましいような気持ちと気を張ってないと落っこちてしまいそうな、危ない感情が体の中で揺れている気がした。
「それで、この蜜柑はそのとき食べた品種のものなんだが…ナマエ!」
ぼーっと考え事をしている私を呼び止めるように、彼の声が突然部屋に響き渡った。
「…な、なに?」
彼を見ると険しい表情で部屋をキョロキョロと見回していた。
「炬燵がないぞ」
「炬燵…?」
「ああ、庶民の家には必ずあると聞いていたんだが、ここにはないのか?」
そんなものうちにはない。別に暖房があるから寒くないし、一人暮らしだから一緒に囲む相手もいないわけで、正直必要なかった。炬燵に入るのなんて実家に帰ったときくらい。
「ないよ」
「そうか。やはり持ってくればよかったな」
「うん、そうだね。って、え?持ってくるの!?」
「ああ、新年会のときに使ったものがあるからな」
「あ、そう」
(お下がりってこと?)
また新年会の話になり、なんとなく嫌気がさす。別に彼らのことが嫌いとかそういうのではないのに。私はもやもやする気を紛らわそうとお茶の支度をし始めた。
「そういえば、夜にはみんなで枕投げをしたんだが、あれはなかなか運動になるな」
「そう、良かったね。大の大人が枕投げって面白すぎ」
彼に背中を向けたままキッチンで相槌を打つ。ケトルのお湯が沸くのを見つめながら、段々と落ち込んでいった。
(結婚しない方が、貴臣さんは幸せなのかも)
「来年も、友達と新年会したらいいんじゃない?」
本心ではなかった。ただ、なんとなくその方が彼の重荷が減るかもと思ってしまって。
「あっ…あっつ!」
「どうした?」
考え事をしていたら急須にお湯を淹れすぎて零してしまった。支えていた指を軽く火傷し、流水で冷やす。
「火傷したのか」
「ちょっと考え事してて」
私の声に駆け寄ってきた彼が心配そうに私の手を見つめた。
「病院に行こう」
「そんな、大した火傷じゃないから大丈夫だよ」
「大丈夫なわけないだろう。大事な花嫁の体に傷を残すわけにはいかない。結婚式だって控えているんだ」
いつも大袈裟で、私からしたらとても突飛な発言の多い彼は、こんな些細な怪我でもすごく心配してくれる。その物言いに慣れたつもりでいたけれど、私は照れ隠しに彼から顔を背けた。
「結婚式なんて、いつになるかわからないし」
「近いうちにするつもりだ」
「え…?」
驚いて彼を見ると、彼は水道の蛇口を閉めて、真剣な表情で私の手をキッチンタオルで拭う。そして私が火傷した指をじっくり観察し、安心したような表情を見せた。
「跡は残っていないようだな。痛みは?」
「あ、大丈夫。全然痛くない」
「そうか、よかった。…考え事か。悩みがあるなら話してくれ。一人より二人の方が、より良い解決策が浮かぶかもしれない」
そう言い残し、彼はソファに座り直した。私は引き続きお茶を淹れて、彼の元へ運ぶ。急に静かになったと思えば、彼は蜜柑の皮を剥いて食べるわけでもなく、遊んでいた。
「お茶、冷めないうちにどうぞ」
「ああ、ありがとう」
返事はしたものの、彼は蜜柑の皮を剥くことに集中してこちらを見ようともしない。しかも、よく見ると彼は手ではなく、カッターで切り込みを入れたあとに手で剥くという、とてもアーティスティックなことをしている。最早食べることを目的とした行動ではなかった。
「貴臣さん、それ食べないの?」
「もちろん、後で食べる。この蜜柑は通常の蜜柑ほど皮が柔らかすぎず、蜜柑の皮アートに適した品種なんだ」
「そうですか」
(別に聞いてないんだけどな、それは)
男の人って、こういうのにハマるとなかなか帰ってこない。彼は特にそうで、気に入ったものはしばらく買うし、仕事面でもいいと思ったことはすぐに取り入れて、より良く活用できるように改良していく。止めるという概念が、基本的に無い。全然いいことだと思うけど、正直、その蜜柑の皮アートというものを彼に教えたのは誰だと思う。
(もう、一緒に蜜柑食べるんじゃなかったの?)
紙袋に入った二人分にしては多すぎる量の蜜柑を見ながら、心の中で文句を呟いてお茶を啜った。鮮やかなオレンジ色の蜜柑は、見ていると食欲をそそる。出会った頃は、彼がこんな庶民的なことをする人だなんて思わなかったとなんだか不思議に感じた。

何故だろうか、
彼が蜜柑を手にしているのは。
いつからだろうか、
彼が庶民的なことを始める様になったのは。

「よし、完成だ。見てくれ」
隣にいるのだからそんなに声を張らなくてもいいのに、彼は少し大きな声で私を呼んだ。
「これって…」
ソファに寄りかかっていた私は視線を移すと、作業をしていたローテーブルの上には見事な花が咲いていた。私の知っている蜜柑の皮アートより、何倍もクオリティの高いそれは、庶民的なアートとかけ離れているけれど、その美しさに思わず口元が緩んだ。
「やっと、笑ったな」
「え?」
「いや、なんでもない。蜜柑の皮アートは知人から教わったんだが、ネットで調べたら花の作り方が載っていたもんだから、ついやってみたくなってしまった」
なんとも彼らしい理由にちょっとだけ呆れつつ、愛おしいと感じる。どうしてそんな一生懸命に、もしかして私に見せるためかもと思ったけれど、違ったみたいだ。
「蜜柑の花言葉を知っているか?」
彼はスマホで完成した蜜柑の皮アートを写真に収めると、徐ろに残りの皮を剥き始めた。
「蜜柑にも花が咲くの?」
「ああ、見たことないか?…これだな」
彼は私の質問にスマホで画像を出して見せてくれた。画面に映るのは、花びらの少ない白い花。中心が緑色になっていて、蜜柑のヘタに似ているものがついている。
「”清純”、”純白”などが一般的だが、ヨーロッパでは結婚式に花嫁の花冠として使われているため、”花嫁の喜び”なんて言葉もついている」
彼は話しながらまたスマホを弄り、今度は外国の花嫁さんの画像を見せてくれた。さっきの白い花が綺麗にアレンジメントされて花嫁の頭に添えられている。ドレスにも同じ花がデザインされていて、見ているだけで胸が高鳴った。
(結婚式…私もこんな風にできるのかな…?)
画像を見つめれば見つめるほど、なんだか夢のように感じて不安になってくる。彼は”近いうちに”とさっき言っていたけれど、実際は忙しいし、私と違っていい友達もいるし、きっとまだ遊んだり、やりたいこともいっぱいあるのだろうとどうしても思ってしまう。
「…素敵だね」
「純白のウェディングドレスに似合う花だと思わないか?一応、ブーケに入れる花の候補にあげているが、形的に難しいかもしれないな。ああ、でもヨーロッパ形式で花冠にするのも良さそうだ。お前はどっちがいいとおも」
「そういう話はちゃんとプランナーさんと話さないと」
現実的でない彼の話が嫌で、思わず途中で遮るように口を挟んでしまった。けれど、間違っていない。だって、ちゃんと決めるなら、それはやっぱり式場の人やプランナーさんと話さなければならないのだから。彼が今話しているのは、夢のような話でしかない。
「やはり花束の方が良かったか」
お茶を淹れ直そうと立ち上がった瞬間、そんなことを言われる。急に別の話になって振り返ると彼が苦笑いを浮かべていた。
「いや、すまない。悩みがあるのは俺の方だな。正直に言おう。俺はまだ、お前の好みや嫌いなものに関して、知らないことの方が多い」
彼は話しながら蜜柑をもう1つ、皮を剥き始める。
「結婚式は、花嫁であるナマエのやりたい形で行いたい。だから、プランナーに話す前にまずは二人でプランを練りたいと思っている。今日は、その話をしに来たんだ」
剥いた蜜柑を私が座っていた前に丁寧に置くと、彼は少し私から視線を外して悲しそうな表情を作った。
「…その、年末に蜜柑の話をしたときに、懐かしいと言っていただろう?お前の喜ぶ顔が見られると思って、蜜柑を持ってきたんだが、迷惑だっただろうか?」
予想外な話になり一瞬混乱したが、彼なりに結婚式のことを考えてくれているのが分かって、さっきまで彼の友人に妬いていたことを恥じる。それと蜜柑がどう関係あるのかはよく分からないけれど、私の席の前に置かれた蜜柑はとても美味しそうなことに変わりはない。
「蜜柑、普通に好きだよ」
「…そうか、なら良かった」
そう言うと、彼は安心したように笑って答えた。まるで、怒っていたお母さんの機嫌が直ってホッとする子供のように、彼は、素直で正直で天然だなと改めて思う。
(そういうところを好きになったんだけどね)
私は手に持った湯のみをローテーブルに置いて、彼の隣に座り直した。そして、先程まで花だった彼の蜜柑を見て言う。
「貴臣さんが育てたお花も好きだよ」
花の話をすると、彼はまた違う笑顔を見せてくれる。そして突然、少し張り切った様子で話し始めた。
「…そうか。ブーケは俺が作ろうと思っている。希望の花があれば言ってほしい。なんなら蜜柑の実をつけることもできるぞ」
「蜜柑の実…?」
「ふ、冗談だ」
冗談なんてこの人も言うのかと思い、なんだか笑えてくる。色々悩んでいたのが馬鹿みたいだなと思えて顔を伏せようとしたとき、口元に蜜柑が現れた。
「ほら、食べるといい」
彼が私の口へ蜜柑を一房当てる。これは口を開けということなのか。自分で食べられるけれど、嫌な感じはしない。
私は、素直に口をあーんと開いて蜜柑を食べた。甘くてほんのり伝わる酸味がなんだか幸せで、悪くない。
「貴臣さんのことも好きだよ」
「ん?何か言ったか?」
また新しく蜜柑を剥き始めた彼には聞こえなかった様で。それはそれで、悪くない。
「結婚式が楽しみって言ったの」
言い換えたところで、そんなに意味も変わらない。彼への気持ちがもっと膨らんでいっぱいになっただけ。
「そうだな、今からすごく楽しみだ」
そう言って満面の笑みを向けてくる彼が愛おしい。私は、これからこの人と一緒に生きていくんだと、プロポーズを思い出す。
「蜜柑の花冠、私もやりたいな」
(あなたの喜ぶ顔が結婚式でも見られますように)
そして、改めて誓いをたてるように、私は彼のその笑顔にキスをするのだった。


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