スタマイ*短編 | ナノ

都築誠『The moment the hand touched』

作家都築誠のファン 眼鏡女子
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偶然同じタイミングで同じ本を手に取ろうとして、お互いの手が触れ合う。なんて、小説の中でしか見たことない状況が、今まさに目の前で起こっている。
「あ、すみません」
瞬時に謝罪の一言を述べるも相手からは特に何も反応がなく、伸ばされた手はそのまま平積みの本の上に置かれ、その本を手に取る様子もない。そして、私の手は相手の手が動かない限りは動かせない。つまり、その人の手は私の手に重なって平積みの本の上に置かれている。私より大きく骨ばったその手は、相手の姿をまだ見ていない私でも男の手だとわかった。しかし一体どういうことなのか、普通なら反射的に手を引っ込めるのにそれをしない彼は何を考えているのか、何者なのか。これは所謂、偶然を装った変態…痴漢なのかもしれないという考えが頭を過ぎるが、そんなまさかとも思う。
「…ぁ」
退かしてほしい。その言葉を言おうと口を開こうとした瞬間、しゃがんでいる私の右後方に立っているその手の人物から声をかけられる。
「君は、運命を信じるか?」
その声色はとてもダンディな低音ボイスで、全く感情を感じられない淡々とした表情で右後方から鳴り響く。いったい何を言っているのか。この状況が、運命の出会いだとでも言いたいのか。彼の意図が見えないまま、ただ不信感が募る。
「す…すみません、手を退」
「これは運命だ」
再度手を退かしてほしいと言おうとした瞬間、彼は重ねていた私の手を掴んで引っ張り、彼の方へ私を引き寄せて立ち上がらせる。自然と向かい合う形になり、気がつくと目の前で整った顔立ちの人間が、その顔にはめてある綺麗な茶色の瞳で私をじっと見つめていた。
(近い…)
キスするかと思うくらい顔が近くにあって、ドキドキするというより単純にビビって動けなくなる。いや、動けないのは右手は掴まれたまま、彼が私の腰を引き寄せているからだ。
「君の様な女性をずっと探していた」
目の前で綺麗な顔が表情一つ変えずに謎の口説き文句のようなことを言ってくる。これは、痴漢とはまた別の、新手のナンパなのか。よくわからないまま、私は拒否しようと空いている左手で彼の肩を押し返した。しかしやはり男性の力にはかなわず、彼との間に隙間らしいものは生み出せずに諦める。
「あの…」
「君はこの偶然を運命の出会いだと思うか?」
抗議しようと口を開くが、またもや謎の質問で遮られる。これって運命かも、と思えない状況に怖くなり冷や汗をかいた。助けを呼ぼうかとも思ったが、そういう訳にはいかない。何せこの本屋では明日、私の大好きな作家である都築誠先生のサイン会イベントが行われる。こんなタイミングで痴漢騒動なんか起こしたら、明日のイベントが中止になる可能性が…。それは避けたい。
(どうしよう…)
考えながら視線を泳がす。というより、かなり動揺していて視線が泳ぐ。今はただ密着しているだけだが、いつ何をしてくるのかわからないこの男をどうやって退治しようか。視線を泳がしたところで、閉店間際のこの時間帯にこの店内奥には誰もやってこない。店員はこの時間、レジに追われる。
(もう…だめだ。都築先生のサイン会は諦めて助けを)
そう思って、彼の後ろの柱に貼ってある明日のサイン会のポスターを眺める。ポスターには、サイン会の詳細と新刊の表紙、それから都築先生本人のお写真が載っている。綺麗な顔立ちの先生。前のサイン会では不注意で眼鏡を壊してしまい、ちゃんと先生のお顔を見ることができなかった。明日はやっと拝見できると思っていたのに…。
「君、聞いているのか?」
私は仕方なく声の主へ顔を向ける。都築先生並に綺麗な顔をしたその人物は、相変わらず私をじっと見つめている。本当に都築先生のように綺麗な顔で腹立たしく感じたとき、私は気がついた。
「…え…もしや、都築先生では?」
「ああ、そうだ。やっとこちらを向いたな」
そう言って、今まで私を捕まえていた痴漢…もとい都築先生は、あっさりと私を離して、何事もなかったかのように話しを続けた。
「それで、君はこの様な形で出会った場合は、運命だと感じるか?それから、俺のとった行動にときめいたり、ドキドキしたり、何か恋の予感がしたりしただろうか?」
「え…あ、はい。ドキドキ、しました」
確かに、ドキドキはした。違う意味で。やばい人なんじゃないかと疑った。彼の言っていることがよくわからず、何か返答したくてもできないでいると、彼はポケットからペンとメモ帳を取り出し、何か書き始めた。私は現状がいまいち把握できていないが、今、目の前に都築先生がいるという事実に段々と興奮してくるのを感じていた。
(どうしよう…先生になんて言おう。それより、さっき先生と距離がすごく近くになって…先生、先生がこんなことする人だったなんて思わなかった。こんなところで会えるなら、普段からサイン色紙とペンを持ち歩いていれば…あ、でも明日サイン会あるし。先生、なんで今日ここにいるんだろう?)
考えた結果、疑問が浮かんだ。これを都築先生に直接聞けばいい。都築先生に質問する理由ができて、私は改めて口を開く。
「先生、あの」
「なるほど、実際に起こるとこういう反応になるのか。これは大変興味深い実験だった。感謝する」
そう言って彼は、そそくさと出口へ向かおうとする。せっかく会えたのにこの機会を逃したら、あとはサイン会の僅かな時間でしか話すことができない。私は勇気を出して、都築先生のジャケットの裾を掴んで引き止めた。
「ま、待ってください。先生はどうしてここに」
「ん?明日のサイン会の会場の下見に来ただけだが」
彼は普通に振り返り返答してくれた。帰るのかと思っていたが、違うらしく意外とのんびりしている。それにしても、さっき抱き寄せられたことも含め、都築先生はなんだか不可解な行動が多い。
「君は以前、サイン会に来ていたことがあるだろう」
予想外なことを言われ、私は思わず目を見開いて彼を見つめる。都築先生が私のことを覚えているという信じられない事実に、空いた口も塞がらない。
「何故覚えているか、そんな顔をしているな。それは、当時思い描いていた新作のヒロインにぴったりな女性だと思ったからだ。あの時からどうにかしてもう一度君に会えないかと毎日君のことを考えていた」
突然の告白に距離をとりたくなって、私は掴んでいた都築先生のジャケットの裾を離した。そして、一歩後ずさる。彼はまたメモをとって、話を続けた。
「俺は、今日たまたまこの書店に訪れて、その時の女性が俺の本が並ぶコーナーで新作を手に取ろうとしているところに遭遇した」
なんという偶然だろうか。まるで物語を読んでいるかのような出来事に、胸がキュンと高鳴る。探していた相手となんでもない書店で巡り会うなんて、これは運命だ。と私が物語の主人公ならそう感じた。
「だから、運命を信じるかって聞いてきたんですか?」
興奮した勢いで、私は胸の前で手を握りしめて質問した。
「俺は俗に言う運命など信じていない」
しかし、さっきまでのことを全否定するような返答が返ってきて拍子抜けする。それでも都築先生のことだ、考えがあってのその回答に辿り着いたのだろうと話を聞き続けた。
「だから、全ては手が触れ合った瞬間から始まったように感じるが、そうではない。今日、君と俺の手が触れ合ったのは、俺が意図的に偶然を装って触れただけであって、こんなものは運命でもなんでもない。ただの必然の出来事だ」
上げてきたと思えばまたすぐ落とされる。彼の不可解な行動の理由がわかったけれど、大して私はまともに反応できていただろうかと心配になる。都築先生の望むように、”これって運命!?ドキドキ”みたいな態度はとらなかったはず。なのに彼はまだメモをとり続け、話も止まらずにいた。
「何が言いたいのかというと、つまり、運命とは必ずしも偶然から成り立つものではない。必然から運命を生み出すことが可能だと今の実験で確証を得ることが出来た。協力感謝する」
彼は軽く会釈をすると握手を求められ、強引に手を握ってきた。先程とはまた違う形だけれど、都築先生に触れられて、密着したときの体温を思い出す。男の人と至近距離で接したことのない私は動揺と緊張、それからまた別のドキドキが生まれて、私は今、思い出しただけで手汗が滲み出てきている。
「頬が赤い。それから、手汗で手のひらがしっとりしている。君は今、興奮しているのか」
はっきりと言われると、恥ずかしくてたまらなくなる。都築先生ってだけでも緊張するのに、さっきから大胆なことばかりでオーバーヒートしそうになる私とは裏腹に彼は至って真面目な顔でまたメモをとりはじめた。
「最初は、少し迷ったんだ。君の手に触れようかどうしようかと」
何を書いているのか、彼は苦笑いながらそんなことを言う。
「けれど、そうでもしないと、俺の運命は切り開けそうになかったから実行した」
彼の口から紡がれる言葉が、別世界すぎて脳がついて行かない中、またもや”運命”という単語に翻弄されて、気持ちが舞い上がる。
「今後は、これが運命の出会いになるように進めていくつもりだ」
そんな言い方をされると彼の言う”運命の出会い”がどういう意味なのか、期待してしまう自分がいる。
(いや、別に私は都築先生のことを恋愛感情で好きというわけではなくて、1人のファンとして好きなだけで…)
私は、膨らむ気持ちを抑えようと深呼吸をした。
「そういえば君は俺のファンだったな。芸能人ならスキャンダルものだが、俺は小説を書いているだけの一般人だ。問題ないだろう」
そう言って彼は徐ろに、書き終えたメモを1枚破いて私に差し出した。メモには何故か都築先生の連絡先が書いてある。天からの恵みを授かったかのように、私はそっと両手でそのメモを受け取り、あまりの信じられなさにメモを凝視する。
「明日のサイン会の後、その番号に連絡してくれ。君には新作のモデルとして家に通ってもらいたい」
「…は、はい」
(うそ…でしょ…?)

これが運命の出会いなのかは、わからない

でも、何か変わるような、そんな気がした

「これからどうなるかは、君次第だ」
彼は最後にそう言って口に弧を描いた。
なんとなく、何かを期待されているような眼差しに背筋がゾクッと…ううん、胸がドキッと運命のときめきを感じた。


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