スタマイ*短編 | ナノ

由井孝太郎『君がため』

付き合って2回目の誕生日
*****************************
炊飯器から焼けたであろうスポンジ生地を取り出して、竹串で刺してみる。抜き取ると特には何もついた様子はなく、中までちゃんと火が通ったようで安心した。炊飯器の釜より一回り小さいホールケーキ用の型を押し当てて形を整えていく。綺麗な円形にくり抜いたそれは、見た目だけならこんがりと狐色に焼けたケーキに見えた。
(味見しておかないと)
不要な切れ端を一切れ摘んで食べてみる。ゆっくり噛み締め、舌で味が生地がダマになってないかを確認してからゴクリと飲み込んだ。
(ちょっとねちっこい…かも)
人気お料理ブログに載っていた『初心者でも簡単に!炊飯器で作れるケーキレシピ』を参考にクリームチーズを加えたせいか、なんとなく水分が多く、食感がねっとりする。もっとふわっとしたスフレチーズケーキを目指していた身としては、やり直したい気持ちが募るけれど、今からだと夕食に間に合わない。仕方なく、悩みつつもケーキの切れ端を型から外して作業を続けた。
「ただいま。…何してるんだ?」
「あ、孝太郎さんおかえり」
ケーキをお皿に置いて、生クリームを泡立てようとしたとき、孝太郎さんが仕事から帰ってきた。せっかくの休みなのに、急ぎの鑑定が入ったとかで朝早くから職場に向かった彼は、遅くなるかもしれないと悔しそうにしていたけれど、思ったより早く帰ってこれたことに安心する。
「何の実験?」
「実験…じゃないけど、ケーキ作ってる途中」
「ふーん、じゃあ俺も味見を手伝おうか」
帰ってくるなりそんなことを言って、彼はケーキの切れ端を一口頬張った。
「え、ちょっと孝太郎さん!手洗ってないでしょ」
ゆっくり味わうように口を動かし、ゴクリと飲み込む。そして何か考え込むように眉間に皺を寄せて、もう一口頬張った。
「うん、いいと思う」
表情とは裏腹に、彼は一言だけ感想を言って夕食の準備を手伝い始めた。もちろん、手を洗ってから。


「ああ、わかった」
食事を終えて、お風呂から出てきた孝太郎さんは、突然に一人納得の声をあげた。
「ん?」
「いや、前に食べたことのある味だなと思って。もしかして夕食は、ブログとかを見て作ったのか?」
図星をつかれて一瞬思考がフリーズする。まさか、最低限の料理しかしない孝太郎さんにブログの存在に気づかれてしまうとは思いも寄らず、なんとも言えない焦りが生じた。恐る恐る彼の方を向くと、部屋着姿の彼はタオルを首にかけて、髪が濡れたままの状態で、私が座るソファの隣側に腰掛けた。屈んだ瞬間、髪から雫がポタポタと落ちてきたのを見兼ねて、私は自然と彼のタオルに手が伸びる。
「樹の家に泊まったときも同じものが出たことを思い出したんだ」
タオルで彼の髪を拭きながら話を聞いていると、聞き覚えのない名前が出てきた。彼の交友関係についてはあまり詳しくないけれど、数少ない記憶を辿った。
「その人元カノとか…?」
「樹が元カノ?気色悪いこと言わないでくれ」
「そ、そう。あー、えっと、あおぴょんって人のブログがすごく人気で、美味しそうだったから作ってみたんだけど」
どうやら思い過ごしの様子だけれど、元カノがいたのかどうなのかはわからないままである。それよりもその元カノ疑惑の人が同じ料理を作っていたことが気がかりで、やっぱり比較されてしまっているような気がした。
(美味しくなかったのかな…)
ケーキだって、あおぴょんのブログにあったものを少し別の味にしようとアレンジしたもの。さっき味見をしたときの孝太郎さんは微妙な顔していたことを思い出す。
(やっぱり、美味しくなかったのかも)
彼の髪をある程度拭き終えて、彼にお礼を言われた瞬間、重く心に何かがのしかかる感じがした。
「どうかした?」
俯きかげんの私に異変を感じたのか、心配のような声が私の耳に入ってくる。ほんの数秒、堕ちていた意識が彼の柔らかいトーンの声によって我に返り、そのままするりと言葉が出てきた。
「ごめんなさい。料理、美味しくなかったよね…?」
「ん?いや、そんなことはないよ」
「ううん、正直に言って。私、ブログみたいに作れてないもん」
エゴでしかない回答を求める自分が情けないと思いつつ、聞かずにはいられない。そんな私を見兼ねてか、彼は間をあけて考える素振りを見せてから、小さくため息をついた。
「君がそう言うなら正直に言うけど、不味くはない。普通に美味しいと思う。でもまあ、樹の家で出たものの方が美味しかったとは思う。あれは、プロ並の友人に教えてもらったとかなんとか、樹が言ってたからな、比べる対象が違う」
気を使ってくれているのか、正直に答えてくれたものの彼の言葉は優しい。比べる対象が違うと言われればそうかもしれないけれど、どうしても過去の人の方が良かったということには変わりなく、素直に落ち込んでしまう。どうにか会話を繋げようと、私は口を開いた。
「今年はちゃんとお祝いしたくて、色々悩んでたら時間がなくてブログに頼って。せめて、ケーキだけはってブログのレシピをアレンジしたら失敗しちゃうし」
考えていたことを口にした瞬間にボロボロと言い訳がましい言葉しか出てこず、余計に情けなくなり涙が滲み始めた。
(孝太郎さんに喜んでもらいたくて…)
泣かないように、そしてきっと酷い表情をしているであろう顔を彼に見られないように、私は彼と向かい合っていたソファを正しい向きに座り直す。そんな態度をとってしまう自分に嫌気がさして、ため息をつくと
「失敗?…そうか。だからそんな顔をしてるのか」
横から彼に抱きしめられた。そして、慰めるように私の頭を撫でて優しい声が降ってくる。
「大丈夫、気にしなくていいんだよ。人には得手不得手がある。大事なのはそこじゃなくて」
「孝太郎さんは一人でなんでもできるから、私が何かするより、自分でやった方が料理だって、好きなもの買うのだって」
彼の言葉を聞きながらも言い訳はどんどん私の口から零れ、同時に涙も零れ始める。私のくだらない懺悔に心配してくれるのが、申し訳ないと思いつつも甘えて話し続けた。
「…プレゼントも孝太郎さんの好きなものを用意したくて、でも、それって私が選ぶより孝太郎さんの方が自分で研究してるから詳しいだろうしって思ってたら、わかんなくなってきちゃって… 」
「ナマエ。君の悪いところは、すぐに何でも自分を責めるところだ。自分一人ではできないこと、俺にだってあるよ」
名前を呼ばれて話を制止され、驚いて彼の方を向く。彼は涙を優しく手で拭いながら、切なげな表情で私を見る。
「君といること。君と一緒にいられることが嬉しい。君が隣に座って、君が作ってくれた誕生日ケーキを一緒に食べられること。それは、自分一人ではできない」
言葉を紡ぎながら彼は私の前髪を払い、また私を抱き締めて、そのまま後ろ髪を梳かすようにいじり始める。彼が私とベッドで眠る前によくやることだ。私は彼の腕の中でこれをされると、なんとなくいつも安心して眠れる。そのせいか、落ち込んで嘆いていた気持ちも少し落ち着いて、さっきに比べて彼の話が耳に入ってくる感じがした。
「キスだってそうだ。それから、抱き合うこと。そして愛を確かめ合うこと。俺はいつだって、君としたい」
「待って、話の主旨がずれてる」
「ずれてない。これは全部、自分一人ではできないことだ。ナマエとじゃないとできない」
ツッコミを入れるも彼はゆっくりとソファに私を押し倒すように触れてくる。抵抗しようと手を掲げたところで無駄なのはわかっているけれど、急にそういう気分にはなれない。私の無駄な抵抗に少しも躊躇することなく、彼は私の首筋に顔を埋めてきた。
「孝太郎さんっ…ちょ」
彼の息が首にかかって一瞬体がビクッと驚く。顔をあげて微笑みながら彼は話を続け、服の裾から手を入れて私のお腹に手を這わせた。
「それから、自分一人でするのと相手にしてもらうのでも大分意味が変わってくる。性行為においてもそれは言えることで」
「私まだお風呂入ってないから後でにして」
はっきりと抵抗の意を示すと、彼の動きはピタリと止まり、徐ろに私を抱き起こす。そして、視線を逸らしてバツが悪そうな顔で聞いてきた。
「落ち着いた?」
「…え?」
彼が何を聞いてきたのかはすぐにはわからず、間抜けな声をあげる。もしかして、私が落ち込みから回復するように、わざと触れてきたのだろうか。少しして意味を理解してから、小さく「うん」と頷くと、彼は話を続けた。
「まあ、つまり俺が言いたいのは、君が俺のために何かしてくれようとするその気持ちが、嬉しいんだ」
そう言ってニコリと微笑む彼から続けて「ありがとう」とお礼を言われる。その瞳は真っ直ぐと私を写していて、本当に喜んでくれているのだと感じた。
(孝太郎さんの言う通りだな。私も…)
私も彼に同じことをされたら、きっとどんなに料理が下手でも、変なものをプレゼントされても、彼が私のためにしてくれたことだと思うと、嬉しくて、愛おしくてたまらなくなるだろう。
「そうやって、俺のために表情を歪めて苦悩に満ちた姿も大変興味深いけど、やっぱり笑ってるときが君は一番可愛いと思う」
いつの間にか頬が緩んでいたらしく、孝太郎さんにそんなことを言われる。一見おかしく聞こえるけれど、そんな彼が愛おしい。
「ケーキ、食べようか」
私の額にキスを落としてから、彼は立ち上がり冷蔵庫から私が作ったケーキを取り出す。そして嬉しそうにワインセラーからお気に入りのボトルを取り、テーブルに並べた。
「さっき味見したときに思ったんだ。このチーズケーキ、あんまり甘くないけど、ワインに合うんじゃないかって」
「あ、チーズだから?」
(そっか、あのとき眉間に皺を寄せてたのは)
彼が味見をしたときのあの表情は、どのワインが合うか吟味していた顔だった様子。それに気づいた私は、なんだかおかしくて、思わず笑ってしまったのだった。


「そういえば、プレゼントは?」
「え?」
私がお風呂から出て寝室に入った途端、ベッドに座っている孝太郎さんに聞かれる。
「あるんだろう?」
「…うん」
私は、少しだけ恥ずかしい気持ちで、お店の人に丁寧にラッピングしてもらったプレゼントを彼に手渡す。
「孝太郎さん、お誕生日おめでとう」
「ああ、ありがとう」
「孝太郎さんの好きなものは、孝太郎さんが自分で選んだ方がいいと思ったから、普段使えるものにしたの。私とお揃いの…ピンクの…」
そう、ピンクの。
中身を見たら、彼はどんな反応をするだろうか。
嬉々とした雰囲気を放ちながら包みを開ける彼を、私は隣に座って緊張しながら見つめる。
(喜んで、くれたらいいな)
元々、色んなものにこだわりを持っている孝太郎さんだけれど、きっと喜んでくれると思って選んだお揃いのもの。さっきまでは自信がなくて落ち込んでいたけれど、彼の様子を見て気持ちが穏やかになった。
「これは…!ナマエ、お揃いって言ってなかったか?」
「…うん」
返事をすると、彼の顔が驚いた表情から歓喜に満ち溢れたものに変化する。思っていたよりも喜んでくれたようで、一気に緊張がとけた。
「早速、確かめさせてもらおうか!」
そう言って彼は嬉しそうに私を強引にベッドに押し倒し、優しく口付ける。
「準備、できてるんだろう?」
優しい表情とは裏腹に艶やかな声色で問われるそれは、例え準備ができていなくても逃れられないのだろうと悟る。
(ちゃんと着てるよ。だって孝太郎さんに喜んでもらいたかったんだもん)
見上げた先には愛しい彼がいる。
今か今かと期待の眼差しを私に向けている。
私は返事をする代わりに、笑顔で口付け返すのだった。



[ back ]


×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -