スタマイ*短編 | ナノ

大谷羽鳥『例えばそれが都合のいい愛(ソレ)でも』

社畜気味のキャリアウーマン。羽鳥と昔1度だけ体の関係を持ったことがある。
※バーの設定は捏造です

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疲れた。
仕事で疲れたそんな日は、家にすぐ帰って明日に備えて眠る。でも今日はたまたま、なんだかお酒が飲みたくなって久しぶりに昔通っていたバーへ足を運んだのだ。
「あ、…古いんですけど、これで入れますか?」
会員制であるバーの入口には警備スタッフが立っていて、会員証カードか紹介状を提示しないと入れない。私がまだ学生だった頃に作った会員証カードを見せると、スタッフはじろりとカードを睨みつけるように確認し、すぐ様笑顔になる。そして「どうぞ、いらっしゃいませ」という言葉と共に入口のドアが開き、私はバーの中へ足を踏み入れた。
(懐かしい…)
煌びやかなシャンデリアと上品なインテリア、落ち着いた雰囲気ではあるものの、やはりゴージャスでオシャレな内装から華やかな社交場だということが伝わってくる。もちろん、ここで談笑を交わしているのも著名人や財閥の御曹司、芸能人に政治家と見ているだけで疲れる華々しい人間ばかりだった。
(ちょっと、選択ミスしたかな。でも、今日は酔いたい気分だし)
来てしまったからには仕方なく一人でカウンターの端の方に座る。そしてすぐにマスターにお気に入りのカクテルを注文した。
まだ何も口にしていないのに、この場所にいるだけで簡単にほろ酔い気分になってしまう。今の会社に入社したての頃も、今日みたいに仕事でのストレスが辛くて何日か足を運んでいた。深夜近くまで飲んだあと、疲れて家に帰って眠る。そんな夜を数日過ごしていると、その男性(ひと)は現れた。
隣に座り、荒れている私の様子を見て心配の声をあげる彼は、言葉巧みに諭して私を落ち着かせる。正直、ほとんど酔った勢いだったけれど、そのあとは上の階にあるホテルの部屋のベッドの上で、甘い声で甘い言葉を囁かれ、優しい表情で私を慰めてくれて、私はその男性(ひと)と朝を迎えた。
「どうぞ、テキーラサンセットです」
目の前に出されたお気に入りのカクテルを見て、昔の記憶が更に鮮明になる。そう、このカクテルのように彩やかな赤い髪が印象的な彼だった。
(好きだったなぁ…)
懐かしい気持ちと一緒に、懐かしいカクテルを口に運ぶ。抱かれた夜からしばらくの間、私は彼のことが好きだった。ベッドの上では「かわいいね」とか「好きだよ」って、まるで恋人に告げるような愛の言葉を私に降り注いでくれて、私は彼の愛(ソレ)に酔いしれて舞い上がる。でも、彼から発せられる言葉からは本気のソレを感じることは一度もなく、ベッドから離れるとどこかつまらなそうに世の中を見ている、そんな表情をしていた。
数日後の夜、またここに足を運ぶと彼が別の女性を誘っているのを見かけて、私は苦い想いをすることになる。今思えば、あれは一夜限りの関係でしかない。地味で目立たなくて、頼まれたり誘われたりしたら断らない私は、ただの都合のいい女、それだけだったのかもしれない。
(あー、やめよ。もう忘れよう)
私は彼の姿を脳内から消し去ろうとカクテルを一気に喉に流し込んだ。
「いい飲みっぷりだね」
飲み終えて思わず溜め息が漏れたその時、隣に誰かが座ってきた。カウンターの席はまだたくさん空いているのに、どうして私の隣に座るんだろうと思い、視線と首を少しそちらに向けた。
「…!?」
驚いて思わず息を飲む。たった今、頭の中から取り払ったばかりの人物が、少し大人っぽくなって隣りに現れた。私は思わず身を引いて距離を取ったけれど、彼は昔と変わらない気軽さで話しかけてくる。そのまま当たり前のようにマスターにお酒を注文して、話を続けた。
「随分と疲れた顔してるみたいだけど、大丈夫?何か悩みがあるなら聞くよ」
まるで私たちの間に何も無かったかのように、躊躇することなく切り込まれたその言葉は、私には思い当たる節がありすぎて応えに戸惑う。そして、数年振りの再会に少しばかりのときめきを感じてしまった。
「…悩みっていうか、気分転換のような」
「ストレス発散とか?」
「そ、そう。気晴らしにお酒でも飲んでと思って 」
話しかけられて不思議と嫌な感じはしない。それは、以前彼を好きになってしまったからだろうか、それとも彼の表情が優しいからなのか。
「へぇ、テキーラサンセット…。なるほどね」
私のカクテルを見て、彼は一瞬ニヤりと笑ったような気がした。そして少しだけ真面目なトーンでまた話し出す。
「あんまりやけ酒はオススメしないなぁ。まだ少ししか飲んでないのに、君の顔赤くなってるし」
「…まあ昔からお酒には弱いけど」
(あ…れ…?…もしかして、私のこと覚えてない?)
彼の今の口振りでは私のことを覚えていない、そう感じる。てっきり顔見知りだから話しかけてきたのかと思っていたけれど、もし彼が私を覚えていないとすると、これは新規ナンパなのではないかと疑った。
「へぇ、そうなんだね。だったらほら、話してみて」
「愚痴、聞いてくれるの?」
「いいよ、仕事の悩み?それとも失恋でもしたの?」
「…仕事…のこと。悩みとかではないんだけど」
それでもどうしてだろうか、やっぱり彼のその態度に心許してしまう。普段より、本心がすんなりと言葉になって自分の口から出ていく感じがした。会社じゃ、何も言えなかったのに。
「部下が、とられちゃって」
今年入社した部下を急な部署異動でとられてしまったことを彼に話す。一生懸命に指導して育てて、次の企画を一緒に頑張っていこうとしていた矢先の出来事で、部下本人も張り切っていたし、とても伸び代のある優秀な部下だっただけに、上司から聞いた異動理由が「元々、ある程度育ったらって話だった」ということにショックと同時に怒りが込み上げた。
「私は聞いていなかったし、本人も知らなかった。でも、異動の話、社長令嬢の下に就くことになって、本人もすごく喜んでて。私に育ててもらったことについては何も思ってないみたいで、お礼の一言も何もなかった」
ここ数日の間に起きた社内でのことを思い出すと吐き気がする。都合良く私を使って育てさせて、都合のいいタイミングで勝手に持って行ってしまう。表向き部下にとっては昇進、ただの部署異動でしかないから、誰も何も不思議に思わない。誰も私の頑張りを見てはいなかったと後になって気付かされるなんて。
「みんな、都合のいいことばっかり」
「なるほどね。でもそれが普通じゃない?人間はみんな、自分に都合のいいことしかやらないし、都合のいいものしか欲しいと思わないよ。だから、何でも都合良く利用していかないと」
辛辣な言葉に胸が痛くなるけれど、私も彼が言っていることは実際に身に染みていて何も言い返せない。もう考えても仕方ないことだけれど、考えて考えてそれでも納得のいく答えなんて出てこなくて、言葉にできない想いだけが溜め息として口から出てきた。
「それじゃあ、お酒飲んじゃおうか」
「…え?さっきやめた方がいいって言ってたのに」
「一人酒ならやめた方がいいけど、俺が一緒にいるよ。潰れたら俺が介抱してあげられるし。ここ、ホテルあるからゆっくり休めると思うよ」
何を言ってるのか、一瞬思考がフリーズした。けれど今の状況を思い出すと、もしかしてこれは誘われてるのかもしれないと少し不安が過ぎる。
「慰めてほしいんでしょう?だったら本気じゃないわけだし、俺のこと都合良く利用すればいい。そう思わない?」
彼は決してイヤらしくない優しい笑顔を向けて、私を諭すように誘う。それは、私が昔に出会った彼と変わらなくて。
(都合良く利用…そっか。あの時も、本気じゃなかったってことだよね)
数年経った今では分かりきっていることだったけれど、あの時も今も抱いた彼への想いは本気のソレと同じもので、この後の私の返答によってはきっと、また苦い想いをする。
「なんて…、本当はそんな顔で一人で飲んでる君を、俺がただ放っておけないだけって言ったら、信じてくれる?」
誰かを嘲笑うような語尾を付け足した彼は、少しだけ溜息混じりにカクテルに口を付ける。そしてどこか楽しそうに、綺麗な金色の瞳を輝かせて私に視線を合わせてきた。
(そう、この瞳が私を見透かす)
私のことなんか誰も見てくれないと思っていたのに、彼は私をちゃんと見てくれている。例えばそれが都合のいいソレだったとしても。それでも、私は幾度となく彼のソレに助けられていたのかもしれない。
(ああ、嫌だなぁ)
もう分かっているのに、止められない。私は意を決したようにマスターにカクテルを注文する。昔と変わらない、昔から好きな私のお気に入りの甘いカクテル。それは私を優しく慰めて、高揚させる甘いひとときをくれる都合のいいソレと同じ。
「あれ?飲む気になった?」
「あと1杯だけ。あと1杯飲んだら…」
彼の問いに、私は熱くなった顔を背けて小さな声で答えた。自分から誘う言葉は言いたくない。それはこのお気に入りのカクテルが担う役目だって、さっき知ったのだけれど。
「それじゃあ、俺もあと1杯」
彼は私の返事を聞いてか、マスターに注文しながら、膝に置いていた私の片方の手をそっと握る。急に触れられたことに少し驚きながらも、私は平静を装って彼の手の温もりを感じていた。
(また連れてってくれるよね、都合のいい場所へ)
新しく注がれたグラスに口付け、本日最後の1杯を丁寧に味わう。甘い香りが口の中に広がるように、彼に握られた手から温かいものを感じながら、私はその手を握り返すのだった。



※テキーラサンセット
カクテル言葉:慰めてほしい




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