石床に放置していた聖衣箱を背負い、俺は一度も振り向かず弾丸の如く駆け出していた。
だから、その後の二人が何かを耳打ちし合っていた事に気付けなかった。


■ ■ ■ ■ ■


予想通りアルバフィカは俺を待ってはいなかったが、その程度でへこたれる俺ではない。
微かに残る小宇宙の痕跡を辿り、野良犬に吠えられたりしながら四時間の徘徊の末、一軒の飲み屋で漸くアルバフィカに追い付いた。
アルバフィカは一人安っぽい寂れた店の一番奥のテーブル、壁に向き合って陣取り酒と夕食を楽しんでいたから、俺は何事も無かった風にそのテーブルに着いた。
「ワインボトル。赤。何でも良いからイタリアのがあれば」
ウェイターに声を張り上げる。飯はアルバフィカの注文の品を巻き上げれば良い。
アルバフィカは盛大に溜息を吐いた。
「私の傍で飲み食いはするなとあれ程」
「お前の自然に漏れる香気に当てられる程柔じゃない。それにお前、抑えているだろ」
アルバフィカの小宇宙の残滓を辿るのは中々に骨が折れた。それは彼が自らの小宇宙を最小限に抑えた上で周囲に強力な防御膜を張っていたからに外ならない。その細やかな神経を証明するように、食事中でも左の手袋は外されていなかった。
買い物を済ませたらしいのは増えている手荷物で判った。食料と衣類、その他生活用品の買い溜めをしたらしい。
そんな物は侍従に頼めば良いのに、アルバフィカはそういうところでも他人との関わりを極力最低限に抑えていた。
彼のまだ手を付けていない側のサーモンのマリネを指先に摘み口に放り込む。やはりというべきか、彼は良い顔をしない。
彼の強毒は主に血中に含まれるが、唾液にも当然、一般人に害を齎す可能性のある毒気は混じる。
だから彼は街で食事をする時はその美しい容姿からは想像も出来ない暴挙に出る。右手で食物を掴み、唾液の付かないよう口に放り込むのだ。
唾液程度ならば聖闘士最高位である俺には勿論影響は一切出ないのだが、彼はそれすらも恐れているようだった。
「……自分で頼め」
タイミング良く店員がワインのボトルとグラスを二つ運んで来た。
「頼んだ」
なので俺はここぞとばかりに笑ってやる。
アルバフィカの元からあったボトルは白ワイン。当然彼は直接ボトルに口を付けて飲んでいる。
だから俺もボトルを手にして真似た。
「……お前も大概……」
小さな呟き、語尾は聞き取れなかったが、責めているので無いのは判っていたから俺は遠慮無く安っぽいワインを喉に流し込んだ。


■ ■ ■ ■ ■


あからさまに迷惑そうにするアルバフィカを半ば引きずるようにして飲み屋をもう一軒梯子したら、時刻は二十三時を過ぎていた。
これから聖域に戻るのも怠いと駄々を捏ね、一人帰ろうとするアルバフィカの付き合いの悪さに地団駄を踏み、根負けした彼と共に宿屋で一泊する事にした。
酒もほろ酔い、だがまだ飲み足りずにボトルを数本持ち込んでベッドに腰掛けながら口にする。
俺もそれなりに強い方だが、アルバフィカは俺より遥かに強い。こんな上品な女顔をして、その実、完璧な笊なのだ。
アルコール迄毒素として捉え、勝手に耐えられてしまうのかもしれないが、俺より飲んでいながら少しも酔った風がないのは些か気に入らない。
距離感は相変わらず、一定以上に踏み込むと頭に黒薔薇を喰らう。潔癖は却って俺の捻くれた根性に火を付けるだけなのだが、彼はそれでも俺を冷たくあしらった。
「美人とお泊りで一発もヤれねぇのは男が廃る」
冗談半分に笑いながら酒瓶を傾けると、彼はほとほと愛想が尽きたとばかりに深い嘆息を吐く。
「お前は酒とギャンブルと性欲で生きているのか」
「ご名答。つーか、娯楽と言えばそれしか無いだろう」
「酒は判るが他は興味が無いな」
酒とて酔いはしないのに良く言う。彼もまた酒瓶を水のような勢いで傾けていた。
「なあ、やっぱりお前も童貞処女?」
俺は酒の勢いで判り切った事を問い掛ける。精液も唾液同様、否、唾液以上に毒気を含むのはまず間違いないだろう。
「愚問だな」
エルシドと違いアルバフィカははぐらかそうとはしなかった。当然と言えば当然、彼は誰も近寄らせないのだから、性交等出来よう筈も無い。
「本当に興味ねぇの?オナニーくらいはやるんだろ」
揶揄えるものならば何でも突いてしまいたい。自分でも性格が悪いと思う。
「勿論だ。自慰は排泄行為と同じだろう」
彼の返答は相変わらず淡々としていたが、俺は構わず彼の周囲を嗅ぎ回り突けるポイントを探ろうとする。
「排泄以上に気持ちイイから、じゃねぇの?」
「当然それもあるな。ストレスの解消にはなる」
まるで色気の無い返し、まだまだめげない。
「セックスしたい、とは思わねぇの?」
アルバフィカはそこで漸く酒瓶を持つ手を持ち替えて少し考える風をして小首を傾げた。
「……考えた事が無かったな」
魚が網に掛かった手応えについ頬が緩む。
「じゃあ……俺が、抱いてやろうか」
アルバフィカは探るように俺を見遣った。何時もの如く直ぐに切り捨てられるかと思ったが予想外の反応だ。
だが悪くない。上手く落とせれば今夜は未使用の穴が使える。思わず身を乗り出した。
「男同士でケツ使うのは知ってんだろ?一度ケツ使うとハマるぜ」
「……尻が良いならお前が抱かれれば良いんじゃないのか?」
「お前の毒気を中に出されちゃあ流石の俺もなァ」
「成る程、一理ある」
本当に意外だが、乗り気なのだろうか。だとすれば正に棚から牡丹餅、こんな美人を抱ける機会等そうそうあるものではない。
本気を出して落としにいこうと決める。
「だが、お前が抱くにせよ私の体液が掛かれば同じだろう。肌を重ねるだけでも危険があるというのに」
ひと度許したような言質が取れたらもうこちらのもの。今更躱したところで蟹の鋏はしつこいのだ。
「積巳気」
俺が掲げた右手の人差し指の先に青白い燐光が点った。
「霊体であっちに飛べば全て解決だ」
「……亡者に見られながらか?不謹慎だろう」
アルバフィカは眉を顰めたが、これだからあの世とこの世に無知な奴は困る。
「あそこは俺の遊び場、亡者が立ち入らない場所くらいは判る。流石に柔らかいベッドはないがな」
彼はまた考え込むようにしてボトルの口に唇を押し当てた。もう一息だ。
「物は試しって言うだろ?やってみてどうしても厳しいってなら俺はちゃんと引くぜ、紳士だからな」
一度あちらに連れて行ってしまえば、彼の意志でこちらに戻って来るのは難儀する。押し切るのは簡単だった。
アルバフィカは目を伏せる。長い睫毛が白皙の頬に影を落として香り立つ色気が増した。
たっぷりと間を置いて、漸く彼は目線を向けるが何処か不安げだ。
「……本当、に?」
正に尻穴の未使用、処女らしい反応、余計そそられる。
俺は革のショルダーバッグを引き寄せ、中身の整理されていない荷物を漁った。
潤滑油の所持は男の嗜みだ。男は勿論の事、濡れ方の足りない女にも使える。
引っ操り返して漸く発見した小瓶、それを傾けて中に入っている液体のとろみを見せてやった。



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