「お前またピラニアに食われたのか」
立ち寄った磨羯宮、エルシドに呆れたように言われてつい唇を尖らせてしまった。
逆毛を立ててセットしている俺の髪には黒薔薇が八本咲いている。
先程、教皇宮に野暮用があり、双魚宮を通過したついでにアルバフィカの顔を褒めちぎり尻を掘らせろと執拗に強請ったら、有り難くも八本、ご親切に蟹の足に見立てて生け花をしてくれた。
記念なのでそのままの頭で爺――教皇に謁見し、小言を腐る程貰い、今はその帰り。
聖衣はもう聖衣箱に収めてしまったし、今日は街に出て飲み明かすつもりだった。決して不貞腐れている訳では無い。
「美人を見たら口説く、これ常識だろ」
「アルバフィカがそれを嫌うのを知っていながらやるならばただの嫌がらせだろう」
「エルシドさんみたいな童貞にゃあ判らんよ」
エルシドはあかさらまに眉間に皺を作って不愉快そうに黙り込んだ。とても判りやすい。
この男は二十四にもなって未だ童貞だ。彼の想い人からも童貞の匂いがするので、あの想い人あってこの男が居ると常々思う。
俺なぞは九の歳には身体を売って、十二の歳には女を知ったから、貞節という観念自体が無い。彼と話す時は大概この辺りで価値観が擦れ違う。
「……お前が見境無さ過ぎなのだろうが」
「出たー、童貞の嫉み」
ピラニアに食われた頭と小言にタコが出来た耳の憂さ晴らしをするには、いたいけな黒山羊は手頃な良い獲物だった。
「何ならケツ貸してやろうか?お前がケツ出すんでも良いぜ」
彼がそういうのを嫌うのが判りながら言ってしまうのだから、俺も大概臍曲がりだとは思うが、この捻くれた性格は筋金入り、そう簡単には矯正しようも無い。
瞬間、たいていの事では動揺しない彼が僅かに狼狽たえた。顎を引いて少しばかり居心地悪そうに視線を逸らす。
普段ならば「そういう行為は心に決めた人と」とかの俺の曲がりくねった臍で茶が沸きそうな説教を喰らうのだが、様子がどうにも可笑しい。
思い起こせばこの男、カノン島に治療に行ってから少し雰囲気が変わったような気がしないでも無かった。
具体的に何、という程ではないのだけれど、強いて言うなら人としての丸み、それがほんの僅かに増したようだ。
これ迄がまるで機械人形の如く四角四面過ぎていただけの感も否めないのだが、時折人間らしい、可愛いげのある表情をするようになった、かもしれない。
「……エルシド、お前まさかカノン島で童貞捨てて来たのか…?」
「馬鹿、違う」
彼は慌てて首を振ったが、それが現時点童貞である事実を完全肯定している事に気付いていない辺り、些か間が抜けている。
「だったらバージンロストか」
「……い、いや」
明らかな狼狽の色、視線が落ち着き無くあちらこちらとさ迷い、脚が半歩程後退った。
俺は思わず口角を釣り上げ、髪に刺さった阿呆臭い黒薔薇を払い落としてから彼との距離を大股で一歩詰める。
彼はまた後退り、俺もまた詰める。彼の背中は直ぐに柱に追い詰められた。
「エルシドちゃーん、好きな子以外に尻使わせちゃ駄目でしょうがー」
「違う、そういう事ではない、断じて違う」
エルシドは頭を振って必死に下手な言い逃れをするが、どうやら誰かに抱かれてきたか、少なくとも性的な触れ合いをしてきたのは間違いなさそうだった。
ちくりと胸が痛む。妬けてしまうのは彼が俺の一番の友人、否、悪友であるからなのだろう。
彼がシジフォスに対し、憧憬に近い、淡く幼い恋心を抱いていたのは知っていた。けれど、その恋が叶わない事も俺は判っていた。
シジフォスは亡きアスプロスに手篭めにされていた。
俺はそれを偶然知ってしまって、アスプロスの秘めた狂気にぼんやりと気付いた。アスプロスが謀叛を起こしアスミタに誅殺されたと爺から聞いた時、驚愕し落胆すると共に何処かでやはり、とも思った。
シジフォスは清廉な男だ。男に抱かれ慣れた身体で他の男の想いに応える事等考えはしないだろう。
エルシドがどんなに誠意を以って想ったところでシジフォスと結ばれる事は有り得なかった。
だから俺は、多分、安心していた。
「……誰だよ」
俺は笑っていたけれど、声音に苛立ちや嫉妬、ほんの少しの寂しさが混じってしまった。
「……違う、何も無かった」
エルシドは頑として口を割らない。
今この場で無理矢理にでも組み敷き、俺自身で真偽を確認してしまおうかと不埒な考えが頭を過ぎる。
そのくらいには、俺はこの堅物の黒山羊に執着していた。
追い詰めた柱、彼の頭上に左手を付き、鼻頭が触れ合いそうな距離迄顔を近付けると、彼は可哀相な程あからさまに肩を揺らし緊張を滲ませる。
「退け、マニゴルド」
俺の胸を掌で押し返してくるが、構わずに頬に右の掌を這わせた。
「俺にもケツ貸してくれたって良いだろ?なあ」
「質の悪い冗談は止せ」
彼の訴えにも苛立ちが混じり出す。
ほんの少し声が上擦っているのは、性としての男に恐怖を覚えているせいか。それは俺自身、まだ聖域も戦女神も知らず、追い剥ぎと身売りで漸く食い繋いでいた頃の記憶にある感情。
「冗談じゃねぇって教えてやろうか、カ・ラ・ダ、で」
頬から顎のラインを指先で辿り落とし、首筋、鎖骨へと滑らせる。
エルシドの眉間の皺が途端深くなり、瞬間的に身の危険を察知したが、避けようとする前に髪にトストストス、と軽快な衝撃が刻まれた。
それに気を取られている内に腹に一発、容赦無く拳がめり込み呆気なく膝が折れた。
「ぐ……っ…!」
「天誅」
エルシドの冷酷な一言が降り注いだ。
「全くその男は万年発情期だな」
俺の頭にまたしても生け花をした男の声が追い討ちを掛ける。
「エルシドは甘やかし過ぎだ。だからこれが調子に乗る」
「直接殴らんだけお前の方が甘やかしていると思うがな」
頭上の会話は楽しげだ。だが、俺はこの二人に甘やかされた記憶等一つも無い。
「直接殴りたいのは山々だが万が一があるとセージ様に顔向けが出来ない」
「成る程、では今度お前の分も殴っておこう」
「気遣い感謝する。是非に頼む」
打たれた腹を摩りながら胡座を掻いて二人に向き直り、怨みがましく睨んでやる。
アルバフィカは聖衣も纏っていなければ聖衣箱も担いで居なかった。堅苦しい黒のコートの代わりに上品なキャメルのコートに白手袋。任務という雰囲気ではなさそうだ。
「……出掛けるのか?街?」
他に興味を惹かれれば俺の怨みなぞ三秒で消えてしまうのが常。その程度には自分の事には頓着無い。ただ一つを除いて、だが。
「ああ、少し買い物にな」
アルバフィカはその秀麗な顔を俺に向けて頷いたが、直ぐに迷惑そうに顔を顰めた。
「言っておくが」
「行く、俺も行く」
先制され掛けた台詞を遮って勢い良く立ち上がる。
可愛い黒山羊との戯れを妨害したのだから、そのくらいは許してくれても良い筈だ。
「断る。私は一人で」
「三十秒で着替える。コロッセウム前で待っててくれ」
蟹の鋏はそう簡単には外れない。アルバフィカの迷惑なぞ俺の知った事ではなかった。
エルシドの事情も気にはなるが、それはまた、邪魔の入らない日に改めてじっくり追い詰めて引き出せば良い事。
「んじゃ、エルシドちゃん、またな。アルバちゃん、待ってなかったら百万回キスすっからな」



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