失った何かを埋めようとするかのように、誤魔化そうとするかのように、恋人じみた睦言を互いの耳元に囁き合った。
性器の濡れ様は増して、腰を揺らす度に擦過の水音が密閉された室内に響く。
「ふ、く……っ…有り得ねぇ、も、駄目…っ…」
もっと触れ合っていたいのに身体の快感が限界に近付いてしまう。
「……ん、ぁ…」
しがみつくように掻き抱いてくれる腕に応えて強く彼を抱き締めた。
閉じた瞼の裏は白く明滅する。
何も、何も、映らなかった。
「……ッ…!」
二人同時に息を詰める。
意識した吐精は、呆気なく、けれど酷く穏やかなもの。


■ ■ ■ ■ ■


心地良い倦怠感に任せて怠惰な睡眠を貪った。
目が覚めた時はカーテンから僅かに注いでいた陽光もすっかり消え失せ、室内は暗闇と静寂が支配していた。
何となく握り合っていた手は未だ離れていない。
温もりが掌で溶け合っていた。
「……デスマスク」
彼の本当の名を思い出す事が出来ないのに、ぎり、と胸が軋んだ。
否、きっと俺は覚えているのだけれど、思い出してしまったら、今まで沈黙で守られ続けていた俺達の薄氷の均衡が壊れてしまうような気がした。
彼は本当の名前を呼ばれるのを頑なに拒み続け、とうとう名前を無かった物にしてしまった。
彼の生活と居住区は荒れ始めたのは丁度その頃。
彼は或いは、自分そのものを緩やかに殺し続けているのかもしれなかった。
失いたくない、そうぼんやりと思う。
俺には彼が必要だった。
彼は俺の過去と歪んだ今を曖昧にさせ、それどころか正当化さえしてくれる。
酷く利己的に彼を利用しているのは判っているけれど、俺の脆弱な心根が未だ折れずにいるのは、彼がこうして寄り添ってくれるからに違いなかった。
彼は俺の唯一の隠れ場所なのかもしれない。
今から逃げ出せる訳ではないが、彼と二人きりで居ればほんの数時間でも、俺は何かに操られる事はなければ、見付けられる事もない。
錯覚――錯覚でも良かった。
繋いだ手に力を篭める。
「……いつまでこうしていられるのだろうな」
漏らしてしまった言葉は声にはならず吐息が響くだけだった。
――いつまで俺達はこうしていなければならないのだろう。
神代から繰り返された聖戦、俺達は主神アテナの意志に背いた咎人。
神の罰が下る日が来るのかは判らなかったし、その罰に打ち勝てる程の強さがあるのかも判らなかった。
仮に打ち勝ったとしても、その先に解放があるとも思えなかった。
「……苦しい」
彼はまだ眠りに支配されている。だから声にした。
「苦しい、辛い」
彼の閉ざされた瞳、その瞼にそっと口づける。
床にはまだ酒瓶が転がったまま、黒い影のような液体が円形に広がっていた。
――月。
ふと思った。
彼の瞳は皆既月食の紅い月の色そのものだ。
皆既月食は太陽の光を地球が遮り月に影を作る現象。
部分月食はただ月を黒く染めるが、太陽と地球と月が一直線に並ぶ皆既月食は月を紅く光らせる。
青色の光線は地球の大気により弱まり、赤色の光線だけが残り、月を鮮血の色に燃やすのだ。
――蝕で欠ける、黄道の光。
「嫌だ……苦しい……っ…デスマスク……」
そこで俺はまた思考を放棄した。
それ以上考えたら、本当に彼が、緩やかに、けれど確実な死に至って、消えてしまう気がした。
どうしても彼を失いたくなかった。
見たくない物が、知りたくない物が多過ぎた。
だから、暗闇の中、唯一確かめられる掌の温もりに、隠れる。



END



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