シュラは逆賊を討った英雄、対し俺は聖闘士最高位の黄金聖闘士に相応しくない、道徳も理性も知性も失った落ちこぼれ。どうしたって釣り合わなかった。
俺が因縁を付けて絡みに行き、シュラに嫌がられる構図でないと、英雄の名に傷が付いてしまう。
扉が閉まると邸宅はいつもの暗く澱み閉鎖された空間に戻り、それで俺は漸く安堵の息を吐いた。
「……相変わらずだな。換気くらいしないと折角の書庫が全滅するぞ」
「そんな物はとっくに黴だらけだろうさ。何の用だ。此処に来るなと何度言ったら判る」
「お前という奴は」
早速眉間に寄る深い皺、書庫のお小言を喰らう前に取った腕を引いて唯一まともに清掃している客室に通す事にした。
その部屋は、俺の待ち人が何時訪れても良いように調度も何とか揃えてある。
しかし、その部屋に到達する前にシュラは俺の腕を解いて勝手に調理場へと脚を向けてしまった。
「おい、行くな、汚いぞ」
「知っている」
ふと気付けば左手に籠。時間を考えるとシュラの二食目だった。
シュラは一日五食摂る。スペインの習慣らしいが、一日一食か二食の俺からすれば驚異的な胃袋だ。
山羊は繊維豊富な紙を食うくらいに強靭な胃袋を持つというが、何もそこ迄律義に星座の導きに忠実である必要は無かろうに――そういえばアルデバランも大食いだった。そして牛は胃袋を四つ持つ。
俺は思わず嘆息しながら黒い有蹄類の背中を追った。
調理場の扉を開くとシュラは室内を一瞥した。
俺は一応、人らしい食事は此処で摂る事にしているが、無理矢理押し込んだ四つ脚のテーブルには俺でも良く判らない紙類とがらくたの山、辛うじて一人分の皿を置けるスペースもパン屑が落ちたままだ。
当然洗い場には食い散らかした食器が無秩序に残っている。皿洗いは皿が尽きるか、洗い場の限界を向かえてからやるのが俺の流儀だった。
「酷いな」
シュラは端的に評したが躊躇する事無く脚を踏み入れ、件のテーブルに歩み寄り突然右手を横に薙ぎ、強引にがらくたの山を全体的にずらした。
大量の紙類に混じり無くしたと思っていた第二次大戦時のイタリア戦闘機のデフォルメ玩具の幾つかががちゃがちゃと音を立てて落ちる。それは俺の宝物だった。
「……ああっ!酷いのはお前だ、壊れたらどうしてくれる!」
俺は散らばった紙を踏み付けながら慌ててその宝物の戦闘機を一つ一つ拾い上げる。
「そんな大切な物ならばきちんと仕舞っておけ。布巾は何処だ」
「……雑巾で良ければ探せばあるが俺の服を使った方が早い」
「どちらも要らん」
シュラは取り敢えず籠をパン屑だらけのテーブルに置き、籠を被っていた布を取って洗い場へ向かった。それを布巾にするつもりらしかったが、きっとそれはもう俺のテーブルに乗った時点で雑巾になる。
怨むならシュラを怨んでくれと心の中で念じながら、戦闘機をテーブルに戻し、椅子の上に詰み上がった良く判らない物を、一応三脚ある椅子の内の一つに纏めてみた。
やはりと言うべきか、あっという間に雪崩れて落ちた。均衡という物は常にぎりぎりの状態で保たれているのだと、こんなところでも実感する。
山盛りの皿の上で布巾となったその布を濡らすと、シュラは豪快にテーブルを拭き始めた。また俺の戦闘機が無情にも叩き落とされたが、もう拾う元気すらなかった。
「よし」
テーブルの半分が使えるようになった事にシュラは満足したようだが、引き換えに俺の調理場は更に物が散乱したようにも思う。
そして案の定、布巾は雑巾に早変わりしていた。
「朝飯はまだだな?」
此処迄してからそれを問い掛ける神経が信じられなかったが取り敢えずは正直に頷いておいた。
つい先日、俺がシュラを訪問し、朝飯をたかったばかり。そのシュラがまた朝飯を恵んでくれるとはどんな気紛れかと思う。
朝飯――そう期待しても良いのだろう。
俺は死人の顔に囲まれていると空腹を感じない。その分、生きた人の顔を見ると何故か腹が減る
今、生きているシュラが目の前に居て、俺は急激に空腹を意識していた。
「……小言ついでに飯を恵みに来たのか」
二人で順番に手を洗い直し、俺が椅子を引いて腰を掛けると、シュラがそれに続く。湯等当然沸かしていないし、元より茶を出す気は無い。
俺自身、茶葉を最後に見たのは何週間か前。飲みたければ捜すより巻き上げた方が断然早い。
「……蟹に説教をしたところで言葉は通じないのだろうな」
「その通りだ」
「ならば俺は蟹の餌遣りに来たのだろう」
「お優しい事で」
籠から次々に並べられていく物は小分けにされた紙箱。一つを開けば何やら珍しい白米の塊が入っていた。
「何だ、これ」
「握り飯。お握り。アフロディーテから教わった日本のファーストフード」
「ああ、あいつ確か勅命で日本に行ったな。たまたまセイブドーム?……で、オールドローズの何とかが有ったとか無かったとか言って、任務なのに珍しく少しばかり機嫌が良かった。だが、ニギリメシってスシじゃないのか」
「スシは握り飯の一種だと聞いた」
「へぇ。で、何を掛けて食うんだ。ソイソースか」
「いや、中に具が入っている」
「……画期的だな」
俺は思わず感嘆の息を吐いた。並べられたシュラ持参のフォークを手にする。スプーンの方が有り難いのにと思っていると、シュラは自慢げに鼻先で笑った。
「馬鹿め。これは素手でいくんだ」
「何だと……?」
シュラが目の前で白米の塊を鷲掴むのに倣い、俺も素手で取ってみる。
良く良く見ると米の形が違う。この辺りで収穫される米と違い丸みがある。感触も少し粘り気があるようだ。
「新潟、魚沼産のコシヒカリ。アフロディーテの土産だ」
「俺には東京タワーのキーホルダーだったぞ。三つ目だ」
「それは俺も貰った、やはり三つ目だ。コシヒカリはお前が何時飯をするか、作るかも判らんからお前の分も置いて行った」
成る程、アフロディーテの気転には恐れ入る。
確かに俺が白米を貰ったところで何時それを炊くかは俺にも判らない。律義で堅実なシュラに預ければ有効に活用、分配をするだろうという算段。
「……アフロディーテが来れば良いものを」
「あいつはそう気安く下りては来ない」
その通りだった。アフロディーテは本当に徹底して聖域住人との接触を避けている。
此処まで下りて来るには、シュラを除いても宝瓶宮、天蠍宮、処女宮、そして獅子宮の主に通過を告げる必要があった。
だから、強風に舞い散った赤い薔薇の花びらを追って気紛れに下りて来ても、その脚は大概磨羯宮で止まってしまう。
「俺はあれきり会えていない。シュラばかり贔屓か」
「会いに行けば良い。気紛れはお前も得意だろう」
「気紛れ同士だとその案配が難しい。俺はこの三ヶ月で五回無視をされた」
「声を聞かせるだけでも違うさ」
「そうだな、今度行ったら大声で喚き立ててやろう」
シュラがニギリメシに食い付いたので、俺も見習い三角の頂点をかじってみる。
「……海老、か」
「これを天むすと言う」
「テンムス……」
海老に何かの衣を付け揚げて甘辛いタレに漬けたらしい物が中に収まっていた。これが日本ブランドの甘くしっとりとした米に良く合う。パエリアとは全く違う味わいで、ボリュームも良い。
――しかし。
「甲殻類」
「好きだろう」
「……好きだが」
先日飯をたかった時は魚介類、特に蟹の味の効いたスープを出された。これは何かの陰謀なのだろうか。



[*前] | [次#]

>>TITLE | >>TOP 




第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -