「やっぱりお前はガキんちょ共に好かれてるな」
ラベルからフランスのワインと気付いたらしい。
「そういう訳ではない」
「いや、間違いなく憧れの対象さ。何と言っても、あの逆賊を討った英雄様。他とは格が違う」
「……厭味か?」
「そう、聞こえたか?」
彼はグラスを揺らしながら横目をくれた。
同じ歳、長い付き合いだが、この男の本音と冗談と厭味は余り区別が付かない。
聖闘士に成り立ての頃は素直で無邪気――それこそミロのような真っ直ぐな少年だったのに成長するにつれ、どんどん捻くれて判りにくい複雑な人間になってしまった。
――あの頃は良くサガの背中を追い掛け回していて、とても可愛い奴だったのに。
俺が隣接する人馬宮の主に懐いていたように、彼もまた隣接する双児宮の主を慕っていた。
俺達にとり、サガとアイオロスは憧憬の対象であり、兄のようでもあり、第二の師でもあった。
そんなデスマスクがサガの背中を追うのをやめ、独りを好むようになったのも、やはりあの一件からだ。
あれに関わったアフロディーテもまた、突然居住区一帯を毒薔薇で埋め尽くしてしまい、それを理由に身辺には誰も近寄らせないようになった。
ギリシャを離れた別邸には侍従がいるようだったが、公私を完全に切り離していて、聖域の住人とは殆ど挨拶すら交わさなかった。
しかし、そんな彼も、忘れた頃に、俺の元を訪れる。
「忠義だ何だと偉そうな事を言ってたが、結局は逆賊だろ、あの人は」
デスマスクは俺から視線を外し、中空を見据えながらぽつりと零した。
「あの人は弱かった。負けたんだ。負けて逃げ出した末にお前に斬られて死んだ。弱者は正義を語れない。だから、あの人は逆賊、お前は英雄だ」
――その理屈はおかしい。
そうは思うが、俺達が俺達の罪深い沈黙を正当化する理屈はそれしかなかった。
「……そう、だな」
だから俺は淀む澱に目をつむる。
斬った感触は今でもまだ、この右手に残っていた。
しくじればきっと俺は始末され、残る二人のどちらかが、或いは両方が刺客になるのだろうと思った。
デスマスクとアフロディーテでは、アイオロスを討ち取れない事も予感していた。
だから、初めて、本当に人を殺す覚悟で斬った。
俺はもしかしたら無言で奇襲を掛けたのかもしれないし、錯乱に泣き喚きながら襲い掛かったのかもしれない。
その時の明確な記憶は残っていない。
だが、斬った。
何かしらの弾みで、アイオロスが致命傷を負った事は判った。
あの人がそうなったのは、赤子のアテナを護るという大きなハンディキャップを背負っていたせいが大きい。
もう一つの理由は、きっと俺が刺客だったから。
アイオロスは子供の俺を誇り高きアテナの聖闘士として認め、同等に扱ってくれていた。俺を本当に信用してくれていた。
それが故に迷いがあったのだろう。そうでなければ俺の斬撃が当たる筈もなかった。
サガの人選は正しかったのだ。
俺は崖から落ちたアイオロスとアテナの遺体を確認するまでは出来なかった。
大量の返り血を浴びて無言の帰還をした俺に、教皇となったその人は、何の言葉も掛けなかった。
二人も同様だった。
翌朝、アイオロスの謀叛が聖域中に知らされ、一晩にして逆賊の弟の汚名を着せられてしまった何も知らない幼い少年は幽閉された。
同時に、十歳でしかなかった俺は、逆賊よりアテナを護った英雄となった。
暫く後に恩赦を受け、解放された逆賊の弟は俺の元を訪れ、深く深く頭を下げ、震える声で感謝と謝罪を告げて帰っていった。
その小さな背中を、俺はただぼんやりと見送る事しか出来なかった。
俺達三人は教皇となったその人に何を言い置かれた訳でもなく、特に示し合わせた訳でもなく、ただ沈黙を貫いていた。
そして、いつの頃からか、時折こうして会って昔話をする時、正義と忠誠の象徴である筈のアイオロスを「力を持たなかったあの逆賊は悪である」と確かめ合うようになっていた。
歪んでいると思う。歪んで、しまったのだと思う。
俺達三人の沈黙が故にアイオロスの逆賊の汚名は晴れる事はなく、彼の実弟のアイオリアは同胞から蔑まされる日々を送っている。
「……アイオリアはどうしていた」
巨蟹宮の上は獅子宮、此処まで来たからには必ず通過している筈だった。
「別に。いつもと変わらなかったぜ。糞真面目に鍛練に励んでたからちょっと遊んでやったが」
彼は鼻先で笑う。
「お前、それをやるから嫌われるのだろう」
デスマスクは誰でも玩具にしてしまうが、特にアイオリアを突き回して遊んでいた。遊んでいるように見えた。
しかし、恐らくは彼が一番アイオリアを気に掛けているのだと思う。
最近の様子、顔色、体調、気分、侍従との関係――聞けば大概の事を知っていた。
自らを罰するかのように獅子宮に閉じこもっていたアイオリアの元に、半ば強引に侍従を送り込むよう陰から口利きしたのもどうやら彼らしい。
というのも獅子宮の侍従は彼の命に何故か逆らわないし、アイオリアが居留守を使おうが中に通してしまうのだ。
普通の侍従ならば有り得ない挙動だった。
「逆賊の弟は不出来、不出来な主人に仕える侍従もやはり不出来だ」とデスマスクは吹聴して回り、その度にアイオリアは侍従を庇った。
逆賊の血を引く自分に仕える事がどれだけ屈辱的か、それなのにどれだけ尽くしてくれているか――ただひたすらに訴え続け、無理矢理押し付けられた侍従の名誉を必死に守ろうとしていた。
アイオリアはやはりアイオロスの実弟、その正義と誠実が折れる事はなかった。
それが故か、近頃十二宮や白銀聖闘士に仕える侍従の間でのアイオリアの評判は良くなりつつあると伝え聞く。
反して、デスマスクの評判は下降の一途だった。
「嫌われて良いんだよ」
デスマスクはグラスを傾けながら唇を緩める。
「俺はそういう役回りだ」
笑っているその横顔は酷く寂しげだった。
――デスマスクは誰からも憎まれる悪人の役、アフロディーテは本当に誰も近寄らせない孤独の役。
そうやって誰に命じられた訳でもなく沈黙を成り立たせ、作られた筋書きを良く判らない流れのままに守る。
「……ならば俺は金メッキの英雄役、か」
つい自嘲気味に漏らしてしまう。
「ばーか、お前はれっきとした英雄だろうが」
彼はけらけらと調子っ外れの耳障りな笑い声を上げた。
「お前は貧乏くじを引いちまったのさ。ガキんちょ共に慕われるなんてさぞかし面倒だろうよ」
――それは、違う。
俺が、俺だけが血を浴びたが為に、デスマスクとアフロディーテはその先いつまで続くかも判らない、何万何億の針で刺されるような、辛く苦しい役を甘んじて引き受けた。
――沈黙の、予定調和。
「貧乏くじは……お前達だろう」
グラスの残りを一気に呷る。少し感傷的になってしまっているらしい。
ミロの後ろ姿を思い出し、やたらに胸が痛んだ。
「ハ、馬鹿言うなよ、無理だ。俺には耐えられない」
即答した彼もまたグラスを呷り干した。
「あいつらにあんな目で見られたら気が狂っちまうわ」
彼は静かに、囁くように零し、背凭れに背中を預け天井を見上げた。
「シュラ……俺はお前が思うより、余程、弱いんだ」
掠れた、呻くような声だった。
掛ける言葉が見付からず俺は沈黙してしまう。何かを訴えたいのに言葉にならない、出来ない。



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