「妙な所で会うな、林檎ちゃん」
その姿を見せた途端、響いた声。相変わらず彼の口は人を不快にさせる。
グラディエーターサンダルの紐すらまともに括られていない。靴底をだらし無く引きずりながら歩み寄り、馴れ馴れしくミロの肩に腕を回した。
「俺は磨羯宮を通る故の挨拶だ。それよりお前、また無断で俺の宮を」
「空けてるお前が悪いんだろ。職務放棄はお互い様。万が一にも何かあれば仲間外れにされてる下の馬鹿猫がどうにかするだろうさ」
アルデバランは任務で聖域を離れている。ムウは元より聖域には寄り付かない。双児宮の主は姿を消した、事になっている。
侵入者があっても十二宮前には白銀聖闘士が控えており、彼等は有能だ。
アテナの降誕は聖戦の前兆ではあるが、海界、冥界の動きは未だ確認されていない。
戒厳令も敷かれていない現在、そう簡単に突破される事は有り得なかった。
仮にあったとしても、双児宮より先に進める可能性は限りなく零に近いだろう。
「口を控えろ、デスマスク」
ミロは苛立ちを隠さず彼の腕を払い退けた。
「何だよ、逆賊の弟とか言っていつもハブってる癖によ」
デスマスクは片眉を上げ、大仰に肩を竦めてみせた。
「俺は裏切り者の血統と馴れ合いたくないだけだ。それと、陰口は、違う」
「ハ、より傷付くのはどっちかね」
言葉に詰まったミロは怒りを露わにし、今にも掴み掛からんばかりに拳を握り締めている。
「……で、お前は何の用だ」
此処で暴れられては迷惑極まりない。不仲の仲裁をする理由は無かったが、喧嘩の邪魔をする理由には十分成り得た。
「あー……暇潰し?」
デスマスクは白々しく首を傾げてみせる。
予想していた返答に思わず嘆息が漏れてしまった。
「ミロ、行け」
取り敢えずは純朴な少年を、この絵に描いたような悪役の似合う男から逃がしてやる事にする。
「……あ…」
ミロは少し困った風に眉を下げて俺を見た。意外だが、本当に俺に用事があったのかもしれない。
しかし面倒事は御免だ。気付かぬ振りを貫き顎で元来た道を示した。
不意打ち。
デスマスクが腕を伸ばし、ミロの手持ちの籠から二本の瓶を引き抜いた。
「オリーブオイル、と……シェリーか」
「あ、こら、デスマスク!」
「上等だな、これ貰っとくぞ」
「駄目だ、返せ、返せ」
恐らくはカミュと楽しむつもりだったのだろう。
デスマスクは厭味たらしくその長身に加え高く腕を掲げ、二本の瓶をミロの手の届かない位置に遠ざけてしまう。
本当に、面倒臭い。
「返してやれ」
底意地の悪いデスマスクに一言だけ告げてみるが、彼は薄く笑うのみ。
「その籠も置いてきな」
どうやら徹底的に巻き上げる気らしい。
「デスマスク」
年長者として余りに情けない。関わり合いにはなりたくないが、流石に見過ごす訳にはいかなかった。
しかし、これもまた不意打ちに、ミロが俺に籠を押し付けてきた。
素直に巻き上げられる気ならば渡す相手が違うのだが、まさか此処で一戦交える気だろうか。
「おい」
「オリーブオイル」
呼び掛けをミロが遮る。
「母が、送って来た。うちの侍従は、料理が、上手い。シェリーは……」
ミロはデスマスクを睨んだままだ。
「……い、いつも通らせて貰っているから」
籠が離され、咄嗟に両手で受け止めてしまう。
「お前は絶対食うなよ!絶対飲むなよ!」
デスマスクに向かって叫ぶと同時にミロは弾丸の如く走り出してしまった。その元気の良い後ろ姿を唖然として見送ってしまう。
「……林檎ちゃんは律儀というか真面目というか」
完全にその姿が見えなくなるとデスマスクは楽しそうに喉を鳴らせた。
「……何が、起こった」
俺は未だに状況を把握出来ずにぽかんとしている。
俺の持つ籠に瓶を差し戻すついで、デスマスクは布を捲り中に綺麗に収まっているサンドイッチを確認すると高く短い口笛を吹いた。布を戻したその手に籠は奪われ、流れる動作のままに彼は勝手に俺の邸宅へと踏み込んでいく。
「おい」
「まだなんだろ?」
肩越しにデスマスクが振り返る。
血の色に近い赤みの強い双眸が細められていた。
実に、楽しそうに。
「メリエンダ・メディア・マニャーナ」
また勝手にどんどんと歩を進めて行くから、俺も取り敢えずは扉を占めて、彼の後を追う。
此処の主は俺なのに、これでは彼の住まいのようだ。
メリエンダ・メディア・マニャーナ。
ギリシャに落ち着いて長いが、俺は未だ出生地の食習慣が抜けずにいる。
「昨日な、スペイン人は一日五食食うって教えてやったんだよ。ミロの奴、驚いてたぜ」
常に軽食を摂る時間――十一時過ぎには少し早い。
「だーが、これは二人分には少ないし、一人分には多過ぎだ。詰めが中途半端、ついでにせっかち。そういう所が命取りにならなきゃ良いがな」
デスマスクの背中が慣れた様子で居間へと入り、テーブルにその籠を置く。
いつもは俺が座る二人掛けのソファに、当たり前のように陣取って「まあ座れよ」等と言うものだから、思わず、思わず、笑ってしまった。


■ ■ ■ ■ ■


朝飯を食っていないと執拗に漏らすデスマスクに昨晩残りの魚介――特に蟹の良い出汁が出ているスープを付けてやったら「厭味か」と漏らしながらもしっかり完食した。
サンドイッチの足りない分はロドリオ村で買ったパンにミロから貰ったオリーブオイルを塗り付けて食べる。
ミロの出生は此処、ギリシャ。当然というべきか、そのオリーブオイルはとても良い香がした。
「お前、ミロの行動を読んで飯をたかりに来たのだな」
「ご名答」
シェリーには些か早いので、カミュから貰った軽いワインを食事の共に添えた。
極たまに、忘れた頃、デスマスクはこうして俺のメリエンダ・メディア・マニャーナの一時に朝食を摂りに来る。
彼は意外にも料理は上手いのだが、性格がずぼらなせいか、自炊は殆どしないらしい。彼も俺と同様、侍従は置いておらず、普段何を食べて生活しているのかまるで見当が付かなかった。
「あの趣味をどうにかすれば侍従くらい置けるだろう」
彼の宮にはいつの頃からか任務で討伐された――巻き添えも多いらしい――死人の顔が収集されるようになった。
その残酷さ、不気味さ故に殆どの者が彼の守護する宮を嫌う。俺も常々悪趣味極まりないと思っていた。
「要らんね。他人と関わり合いになるのは御免だ、面倒臭い」
その返答は判ってはいた。彼もまた、俺と同種の人間――けれど先のように、彼は何かと回りにちょっかいを出し、顰蹙を買う。
他人が寄って来るのはあからさまに嫌うが、気分次第では自分から寄って行く積極性も見せる。まるで残飯を漁り渡る烏のような男だと思う。
早熟のワイン、深みはないがさらりとして飲み易かった。
カミュは時折フランスのワインを持って来る、というよりは通過がてら、手紙と共に勝手に守護宮に置いていく。
添えられている手紙にはやはり、宮を通らせて貰っているから、という良く判らない理由が書かれている事が多かった。
フランスのワインは有り難いし、突き返しに行くのも面倒なので頂戴はするが、全く意味不明な行動だ。



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