力こそ正義。
そう自分に言い聞かせてもう七年の歳月が過ぎた。
俺の聖戦は俺という確固足る意志が確立する前に始まってしまった。
これは言い訳なのだろう。――間違いなく言い訳だ。
けれど、あの時、あの瞬間、俺は何をすれば、どう在れば良かったのか、本当に判らなかった。
十の歳、教皇の死を知った。師を早くに亡くし、俺の依り所は教皇と、聖闘士の最高位でありその中の年長者であるアイオロスとサガだけだった。
その敬愛するサガが、同じく敬愛する教皇を討った。
緊急の召集で教皇宮に上がると、そこには教皇の法衣を纏ったサガが居た。
俺は崩れ落ちるようにして膝を折った。
呼び出されたのはデスマスクとアフロディーテ、俺の三人。その三人は皆一様に、連なるようにしてサガの前に平伏した。
「アイオロスがアテナを連れ去った。これは謀叛、反逆だ」
サガは教皇の座に凭れ、酷く気怠げに告げた。
誰も、誰も、「違う」とは言えなかった。「どうして貴方がそこに座っているのか」と問い詰める事さえ出来なかった。
サガの右手には黄金の短剣が握られていたが、それは呆気ない程簡単に、カラリと乾いた音を立てて落ちた。
サガの手は震えていた。
地中海の空をそのままに映したような鮮やかな色だった筈の髪には禍々しい黒が混じっていたが、その髪色の変化に疑問を覚える余裕さえなかった。
ただ、サガが乱心した事、もう教皇シオンは居ない事、アイオロスが降誕したばかりのアテナを守護する為に行動を起こした事、それらは辛うじて飲み込めた。
そのくらいの状況は、サガの口より語られずとも理解出来てしまった。
愚かな俺は、ただ、依り所を二人一遍に失い、サガのみが残った事実を漠然と考え、得体の知れない恐怖と不安に身を震わせていた。
この時、俺にもう少し己の意志があれば、こうやって言い訳を思う事は無かったのかもしれない。
分岐点は確かにあの瞬間だったに違いなかった。
サガが次に発する言葉は予感――否、もう確信していた。
デスマスクもアフロディーテも緊張を漲らせ、息苦しそうに顔を歪めて俯いていた。きっと俺も同じだった。
その役が自分でないよう、必死に何かに祈っていたのだと思う。
「……お前、アイオロスを良く慕っていたな」
顔は上げなかった。上げられなかった。血の気が引いて、体温が失われていくようだった。
「お前ならば上手くやるだろう」
サガは流石にアテナを討てとは口にしなかった。それが俺の中に在る敬愛するサガの姿を辛うじて護ったけれど、サガの何かが狂っていて、その狂気に塗れた本意は十分に判っていた。
「逆賊を、討て」
俺は深く深く頭を下げる事で応答に代えた。
俯き、サガの顔を見る事のないまま立ち上がる。
脚は勝手に動き出していた。
石床を叩く自分の踵の音だけが響いた。


■ ■ ■ ■ ■


守護宮に隣接する、居住区。
聖闘士最高位である黄金聖闘士とともなれば侍従を十数人は使っているのが慣例だったが、俺は一人も置いていなかった。
体裁を整える為、週に一度、清掃する者を入れるが、俺は出来る限り聖域の者とは関わりたくなかった。
十二宮の階段を上がる先、宝瓶宮の主と、逆に階段を下り主を失った人馬宮を抜けた先、天蠍宮の主が仲の良かった為、彼等は頻繁に俺の守護宮を行き来していたが、彼等とも基本的には社交辞令程度の挨拶を交わすのみ、無駄話は極力避けていた。
そのせいか元来人懐こく情に厚い性質のミロからは「逆賊を討った我らが英雄は無愛想で取っ付き難い。守護宮もさることながら居住区まで殺風景だ。もう少し偉そうにしたらどうだ」等と厭味とも恨み言とも付かない忠告を貰う事もしばしばだった。
ミロの本当の心情は判らないでもなかった。
真下、天秤宮の主は長らく不在、七つの時に人馬宮の主も討たれた。
同胞に近付こうにも天秤宮の下は、アテナの聖闘士としては異例の仏教徒、その下は逆賊の実弟、その更に下は死人の顔を飾る宮が待ち構える。
それならば上へと上がる方が気分的に楽というもの。カミュと親しくなったのもそれが最たる要因なのだろう。
今日もミロの気配が近付いて来るのを感じていたが、俺はいつものように居住区より出なかった。
「おい、シュラ。通って良いか」
相変わらず律儀にミロは居住区に回ってきたらしく声を張り上げる。
儀礼を貫くにせよ、カミュのように思念で通過の意を伝えれば良いものをミロはわざわざ肉声で話し掛けるのが常だった。
正直、煩わしいし、面倒だ。真っ直ぐなミロの声はそれだけで胸を刔る。同時に、いつも何と無く温かい心持ちにもなった。
ミロは俺の抱える曖昧な寂寥に気付いているのやもしれなかったが、そんな事を語り合う関係にもなかった。
「構わん」
俺はいつものように、辛うじて彼に届く範囲の声量で端的に応答した。一々顔を出す事もしない。これでは無愛想と言われても当然だった。
「感謝する」と常はそれで会話が終わり、ミロは宝瓶宮へ向かう。しかし、今日は何故か立ち去る気配がない。
俺にまた忠告でもしたいのだろうか。
執務机に置かれた時計を眺め遣る。十時半を少し過ぎたところ。
ただ立ち尽くすだけの三十秒は存外長い。一分、二分と経過してもまだミロは動かない。時計を見てから三分丁度に俺は腰を上げた。
無駄に広い邸宅は先代からそのまま受け継いだもの。部屋数がそのまま本来置くべき侍従の数を表している。
「……何か用か」
玄関、大扉を引きながら声を掛けると、ミロが突然雪崩れ込んで来て、俺の胸を拳で打った。
攻撃、ではない。どうやら扉を打とうとしてバランスを崩してしまったらしい。
ミロは「ひぃ」と珍妙な声を上げて飛び退った。
ミロは十四。十七の俺から見てもまだまだあどけない。
「す、済まない」
扉に近付く俺の気配に気付かなかったのは十分過ぎる失態。だが、それだけ物思いに耽っていたのだろう。
「何か用か」
俺は再度問い掛けた。
ミロの背丈は俺の肩程度。手足は大きいから近い将来俺と変わらない長身になるだろうとぼんやりと思う。
「いや、あの、その」
タイミングを外した彼は動揺あからさまにまた二、三歩後退った。
左手に持っている籠が不安定にぐらぐらと揺れる。麻の布に被われているそれの口から何かの瓶が二本覗いていた。
「……落とすぞ」
落とせば惨事、一応の注意をして扉を脚で支え戸口に寄り掛かった。元より余り話すつもりはないし、ミロも同様だろうから中に招き入れはしない。
「ああ、あの」
ミロがもごもごと口篭っている内に、もう一人、階段を上がって来る気配を感じ取った。
彼と鉢合わせるのはミロにとり、余り幸運とは言えない。通り過ぎてくれる事を祈っていたが、残念ながら彼の気配はこちらに向かって来るようだった。
俺に用事、というのは思い当たらない。揶揄か暇潰しでもしに来たか。
未だ動揺の色は濃いものの、流石のミロも気配には気付いた様子だった。
途端眉間に皺を作り、不愉快そうに彼の姿を現すであろう方向に視線を流す。



[*前] | [次#]

>>TITLE | >>TOP 




第3回BLove小説・漫画コンテスト結果発表!
テーマ「人外ファンタジー」
- ナノ -