デフテロスという男は変わり者だ。
不吉な凶星。温情に甘えるばかりか兄アスプロスの輝かしい軌跡を嫉み、執拗に付き纏う、醜く卑しい影。主を失った双子座の聖衣を盗むかのようにして姿を消した――そんな噂を聞いて、俺自身少なからず信じてもいた。
しかし所詮噂は噂に過ぎなかった。
まず、そもそも卑しいどころか彼は人に媚びない。媚びないばかりでなく、彼のペースを無理矢理押し通してくる。
こんなに我の強い、身勝手で無遠慮な人間も珍しい。
マニゴルドやカルディアも大概身勝手だが、それでも彼等は彼等なりに人を気遣かっているし、あそこまで傍若無人には成り切れない。
本当に卑しい影ならば、もう少し影らしいしおらしさがあっても良いと思う。
療治で来ている此処での俺は厄介になる身。当然ながら恩義を感じるし、俺の放った心ない言葉の数々は謝っても謝り切れない程だ。
愚かな失言をせず、誠意と感謝をもって接していれば、普通は大きな波風等立たずに過ごせただろう。
しかし、彼はきっと、何が起こらずとも大波で全てを飲み込んでしまう。
筋金入りの身勝手なのだ。
そんな風にして飲み込まれ掛けている事に、俺は漸く気が付いた。
何とか自分のペースを取り戻そうと試みたが、彼はあらゆる意味で苛烈で刺激的だ。
俺の抵抗等、彼に掛かれば葉の一枚が大海を相手にしているかのようなもの。毛程も譲ってくれなかった。
そればかりか、抵抗した分だけ俺の縄張りが少なくなる気がしなくもない。
まず初っ端から殴られ、荷物を取り上げられ、小宇宙を封じる枷を嵌められたが、それはこの際仕方がないとしよう。
食事の面倒を見てくれるのは有り難いのだが、まともな衣服も与えられず、排泄時間まで管理され、彼の言に逆らえば三倍の嫌がらせを受ける羽目になるのは、きっと間違っている。
もう随分具合も良くなったし逃げるつもりもないから傷の処置と風呂と排泄は自分一人でしたいと言ったら、したたかに頭を叩かれた。
彼の目を盗み、装飾の刀剣を借りて型の練習をしていたら、その刀剣は無情にも投げ捨てられた。
簡素な長衣を羽織るだけでは心許なくて衣服を借りたら、今朝起きたら箪笥は勿論、本棚迄忽然と姿を消していた。
お陰で俺が借りている部屋にはテーブルと椅子とベッド、そして申し訳程度に残された数冊の本しか無くなった。
この事態は恐らくきっと多分何かが可笑しい。
俺も比較的頑固な自覚はあるのだが、彼の頑固は俺の比ではない。
彼の思う通りに全ての事が運ばれてしまう。
加えて厄介な事に彼はかなりの気分屋だ。
牙のような犬歯を剥き出して悪態を吐いたかと思えば、次の瞬間に穏やかに口許を緩めたりする。
これはとても困る。
単に強烈に押しが強いだけならば何とか押し返す事も出来るかもしれないが、不意打ちで柔和な態度を見せるものだから、思わず押し返す意志が緩んでしまう。
そうするといつの間にか更に押されて、結局押されっ放しだ。
とても困る。困ってはいるが、不思議と余り嫌ではない。
この妙な気持ちが正直なところ一番困る。
俺は悠長に休養を取れる身ではない。
技はまだまだ未熟、心根に至っては脆弱ですらある。自分を強く律し磨いていかなければならないのだ。
それが戦女神に忠誠を誓う聖闘士の正しい姿。
シジフォスの負担を減らす事にも繋がる筈で、俺のささやかな願いでもある。
にも関わらず、だ。
彼と居ると緊張すると同時に何かが緩む。
同居するとは思えない状態が内に宿り、混乱も伴った。
一人部屋に居る時でさえ、頭には彼がちらついて、この雑念もどうにも良くない。
彼の仮面の事等、俺が気にしても詮無いし、彼とて迷惑だろうが、仮面を外して欲しいと思ってしまう。
彼の聖域での扱いに同情的になっているのかもしれないと考えたが、理由はそれだけではないようだ。
俺が、彼の顔を見たい。
目を見て話をしたい。
彼を、抱き締めたい。
それらの思いの出所を思索してみるが、実体はちっとも判らなかった。
ただ漠然と彼の孤独を否定したくて、けれど本当に彼が孤独なのか俺は知らないのだ。
色々知りたいとは思うが何から聞けば良いのか、そもそも具体的に何を知りたいのかさえ判らない。
俺はマニゴルドやカルディアに揶揄されるくらい話下手で、人付き合いがどうにも不得手だ。
この歳に至ってまだ色っぽい話ともまるで縁が無い。
淡い恋慕の対象であるシジフォスにも率先して触れたいと願う事さえ無かった。
人の温もりは甘えを生む。
俺のように心根のしっかりしていない人間は、そんな事を考えるだけで更に弱さを露呈するに違いない。
望んではいけないと決めて、実際望んだ事は無かったのに、彼を前にしてその決め事を自発的に破ってしまった。
常々、情交は心に決めた人とするべきだと口にしているにも関わらず、想い人でさえない彼と身体を繋ぐ事に殆ど抵抗感を覚えなかった。
決して流されている訳ではない。俺が俺の意志で彼を望んだ自覚はある。
では、何故、と考えるとやはり判らない。
彼と出会ってまだ十日も経っていないし、俺は彼の事を殆ど知らないのに、何か異例の存在になってしまっているのだけは間違い無かった。
「弛んでいる」
自分を律するべく口にし、拘束されている手首を振って鎖で大腿を叩いてみたが、昨晩ダメージを負った下肢に響き、却って雑念は深まる。
朝目覚めたらベッドに俺以外の体温は無く、部屋は閑散として、ほんのりと温かい朝食がサイドテーブルにぽつんと置かれていた。
このベッドに大の男二人は狭過ぎる。
当たり前の事なのに、情交の夜は共に休んで翌朝を迎えるものだとぼんやりイメージしていたせいか、どうにも気落ちしていた。
「……本当に駄目だな」
寂しい、等と思う事自体可笑しな話だ。
彼にとり俺との情交は、良く考えて遊びの一つ、悪く考えれば勢い故の過ち。どちらにせよ、大して意味は持たないのだと思う。
そう考えただけで胸がずきりと痛んだ。
後悔はしていない。けれどきっと俺は何かを期待していたのだろう。
その何かは判らないけれど、心に穴が空いたようなやり場のない切なさ。
折角の食事も、一人のせいか、味気無い物に思えた。


■ ■ ■ ■ ■


俺は彼の来るのを待っていた。
強制された休養、本当にやる事が見付からない。
数冊残されていた本の頁を捲ってみたが、まるで頭に入って来なくて放棄した。
怠惰にベッド潜るのは性に合わないのだが、結局そうするしかなかった。
彼と顔を合わせたら何を話そうかと考えてみるものの、話題等まるで思い付かない。
昨晩の行為が頭に過ぎる度に寝返りを打って振り払う。
忘れて良い、忘れた方が良い、そう自分に繰り返し言い聞かせて、そしてまたいつの間にか同じ思考のループ。
彼が来て話し掛けてくれれば気は紛れるに違いないのに、肝心な時に彼は傍に居てくれない。
何度となく漏れる己の嘆息が情けなくて、枕に顔を埋めていると豪快な足音が聞こえてきた。
鍛練なのか彼は殆ど常に気配を消しているが、足音を忍ばせる事はない。
思わずベッドから跳ね起きたら傷とは違う嫌な場所に鈍痛が走り、思わず背中を丸めてしまった。



[*前] | [次#]

>>TITLE | >>TOP 




「#オリジナル」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -