「要は尻を狙っている男が多いのだな。全く聖域の女人禁制の掟は相も変わらず厄介よな」
「デフテロス!」
シジフォスの説教もいい加減飽きて、睨み据える双眸を無視し、ゆっくりと伸びをした。
陰気臭い島だが、この森ばかりは空気が澄んでいる。
この木々があって良かった。質素ではあるが、あの黒山羊にそれなりの食事は作る事が出来る。
大きく深呼吸をして改めてシジフォスを見遣ると、何時の間にか彼の表情は穏やかなそれに変わっていた。もう少し小言を続けるかと思ったが拍子抜けだ。
「……何だ、もう説教はおしまいか」
人の好さが滲み出る柔らかな印象を受ける瞳、やはり彼は温かい。
俺は兄と彼と三人で居る時間がとても大切だった。
「シジフォスは信用出来る男だから仮面等外してしまえ」と兄は優しく言ってくれて、シジフォスもまたそれを当たり前のように受け入れてくれた。
小さな小さな幸せと安らぎ。それはもう、永遠に戻る事は無い。
「……セージ様がエルシドを此処に送り込んだ理由、少し判ったやもしれん」
シジフォスは謎掛けをするように口角を釣り上げた。
「……養生だろう」
「エルシドが負った傷は小宇宙の力に左右される物では無い。そもそも傷よりは疲労の方が深刻だ。此処に来たところでそう見違える程早く回復するとは思えん」
「……あの鍛練狂いを見張るには……黄金に、近い、力を持って暇をしている俺が適任という事なのだろう」
「お前は黄金に近いのではなく双子座の黄金聖闘士だ。だが、見張りで済むならば戦女神様の枷さえあれば侍従にも出来る事だろうよ」
双子座の部分は微妙だが、エルシドの事は確かにそうだった。思わず考え込んでしまうと、肩を軽く叩かれた。
「養生に加えて目的は恐らく二つ、かな。流石はセージ様だ」
「……それに気付く事がエルシドに向けられた課題か?」
「そう容易く自覚出来る物ではないかもしれない。まずはお手並み拝見という試みやもな」
シジフォスはコートの裾を翻した。どうやら本当に立ち寄っただけのようだが、この服装で来ているという事はまた任務か、或いはその帰りか。
彼もエルシド同様、もしかするとそれ以上に身体を酷使しているような気がする。
「それと」
シジフォスは肩越しに振り返り、意味ありげに悪戯っぽい双眸を向けた。
「セージ様に試されているのはエルシドだけではないぞ」


■ ■ ■ ■ ■


シジフォスの見舞いの品はパン、オリーブオイル、調味料に酒といった実用的な品。これらを入手するには火山を挟んだ村に行かなければならないので、気遣いは大変有り難かった。
カノン島で俺が使っている邸宅は、邸宅と呼ぶには些か大仰な古い平屋建てだ。しかし、ただ家と呼ぶには広過ぎる。
以前は聖闘士の養生に使われていた施設、要は療養所だったらしい。
幾ら一般人の目を避けなければならなくとも、船着き場の無いこちら側は余りに不便だ。結局、火山を挟んだ反対側、村とはやはり幾分か離れた場所だが、利便性を重視してその機能は移転された。
新しい療養所は聖域の文官が管理をしているものの、その存在は表立っては知らされていない。カノン島で療治をするのも自己鍛練の一貫、そうのんびり休暇を遣る程、聖域の文官も甘くはないのだ。
俺が聖域を出てカノン島に訪れた際、迎えてくれたのもその文官だったが、中枢の庇護下にあっては此処に来た意味が無い。
一人で住める場所を確保しようとしていたところ、遅れて後を追って来た双児宮の侍従の内の五人が、この邸宅を住むに十分過ぎる形に整えてくれた。
「貴方様が双子座の正統な後継者となった今、お仕えしない理由が何処にありましょう。どうかお傍に置いて下さい」と泣きながら頭を下げる彼等に、双児宮の体裁を崩す訳にはいかない事、兄の墓守りを頼みたい事を告げ、彼等の籍は教皇宮へと移し無理を言って聖域に帰した。
彼等は俺が兄の温情に守られる形で双児宮の下男に紛れていた境遇をずっと不憫に思ってくれていた。
俺は掃除から飯炊き迄、特に不満を覚える事も無く働いていたが、彼等五人だけはまるで兄と同等の存在として扱うかのような心遣いをもって接してくれた。
夜の闇に紛れ一人鍛練をして夜明け近くに帰っても、必ず五人の内の誰かが、皆より少し早い、俺の分だけの温かい朝食を用意して出迎えてくれた。
寝不足は辛かっただろうに、それでも嫌な顔一つせず朝から夜迄しっかりと仕事をこなしていたのだから全く頭が下がる思いだった。
与えられていたばかりで何も返せなかったが、俺が本当に、双子座の、兄の後継として相応しい聖闘士になる事こそ、彼等の願いなのだと思う。
彼等は真に聖域に、十二宮に仕えるに相応しい、立派な侍従だった。だからこそ、彼等がどんなに誠意を持って頭を下げてくれても、こんな僻地に閉じ篭る未熟な俺の傍に置く訳にはいかなかった。
俺は一人でなければならないし、一人でもどうにかなる。なるだけの生活能力を下働きの仕事の中で得られたのだから、凶星どころか幸運の星だったのではないかと一人笑いたくなる時もあった。
アスミタに真実の罪を指摘され、新たな道標も見えている。
俺が俺として確固足る存在になる事、それが双子座の聖衣を与る今の俺に必要な力だった。
凶星だ、卑しい影だ、と言われようがもう何も胸は痛まない。
――その程度で痛み、揺らいではならない。
けれど俺は未だ、人前で仮面を外せずにいる。衣服も暗がりに混じり易い黒を選び上にローブを纏う。
刷り込み、とでも言えば良いのだろうか。顔は勿論、姿自体を曝す事に罪悪感を覚えてしまう。
頭では判っている。これは誤りだと。
けれど心が伴わない。
結局、俺は影のままなのだろう。
本体の光を失ってもまだ影でいる等笑い話だが、俺はどうしたって何かの影、俺自身の輪郭はぼんやりとして曖昧な物でしか無かった。


■ ■ ■ ■ ■


夕食を持って扉を脚で蹴り開けると、彼はベッドに潜り込んだところだった。
エルシドは戦女神の枷に繋がれ、小宇宙を封じられている。元々相当任務も重なっていたと聞いたが、その上にかなりの深手を負っているせいで微熱が続いており、鍛練が出来る身体では無い筈。
それなのに目を離すと平気で型の鍛練等をしているようだった。
小宇宙が使えないならばせめて肉体的な鍛練を、という事なのだろうが、全く養生する気が無いのは呆れを通り越して頭が痛くなる。
「今何をしていた」
サイドテーブルにトレイを叩き付けるようにして置き、ベッドにどかりと腰掛ければ反動で彼の身体が弾む。
「……養生をしていた」
布団を頭から被っていて逆毛の黒髪しか見えない。嘘が下手過ぎる。
布団を鷲掴んで強引に剥ぎ取った。案の定、引き出しを勝手に漁ったらしく衣服を身に着けていて、壁に装飾として下げられていた刀剣を胸に抱き締めていた。
刀剣は模造品、刃は無い。斬撃をイメージして感覚を磨いていたのかもしれない。
「家具も調度品も全て取っ払ってやろうか」
その鞘を掴んで無理矢理取り上げ床に放り捨てると「ああっ」等と嘆息を漏らした。嘆きたいのは俺の方だ。
衣類ごと彼の荷物は全て取り上げたのに、俺が同胞だと確信した辺りから態度が横柄になってきている。



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