エルシドという男は変わり者だ。
聖域内での噂を聞く限りでは、真面目で実直、禁欲的、礼儀正しく、戦女神への忠誠は殊更強い。シジフォスを良く慕っているが、人付き合いは余り上手くないらしい。
確かに噂も正しい。自己の鍛練への没頭は最早執念と言っても良いくらいの真摯な物だし、凶星の双子の弟である俺に纏わる他人の噂話もある程度素直に信じているようだった。
しかし、どうにも頭が固過ぎる。そして間が抜けている。変なところで隙もある。
何でも真面目に律義に取り組み過ぎて空回りしている感が否めない。
例えば、教皇から送られた戦女神の加護を受けた枷。拘束と小宇宙の封印を兼ね現在彼の右手首に繋がれているが、それを外せとは言うものの、俺の腰にある鍵を奪う素振りは見せない。
意図して俺の役目を立てているのか、単純に鍵を失念しているのかは判らないけれど、どちらにせよ、やはり間が抜けている。
数日前、彼の物言いに苛立って強引に組み敷いた時も、抵抗するどころか下手な嘘を連ねてぎこちなく股迄開いてみせた。緊張と恐怖はあからさまだったし、性交経験自体無さそうな様子だったが、それでも俺の苛立ちに律義に付き合おうとしていたようだ。
気の遣い方も言葉の選び方もとにかく不器用で、どうやら一生懸命らしいのは辛うじて伝わってくるのだが、煩いと一喝したくなるような、もう良いだろうと止めたくなるような、何とも言い難い複雑な心持ちにさせた。
芯は決して弱い男ではないし、寧ろ強靭なのだろうと思う。
しかし、機械人形のような精密で繊細な規則性を持つが故にそれを崩されれば脆く、その上更に自身を追い込み過ぎる。
要はマゾヒスティックな性質。そういう印象だった。
気分屋で他人に合わせる事をしない俺とは対極にあるように思う。
教皇も面倒な男の世話を押し付けてくれた物だと頭を抱えたくなるが、そこは借りがある身、途中放棄する訳にもいかない。
というよりは、不思議な事に途中放棄する気が、余り、起こらない。
喜怒哀楽は殆ど顔に出ない寡黙な男だが、良く観察していると指先が落ち着き無く動いていたりして、何と無く面白いせいかもしれなかった。
その愉快な黒山羊に遣る餌、山菜と獣を捕るべくカノン島でも少ない森に入り、取り敢えずの仕事は済ませた。
小休憩、倒木に腰を下ろしてみたが、考えるのはあの男の事ばかり。
今迄は兄と自分との事を思索するばかりだったのに、彼が来てからどうにも調子を崩されているようだった。思わず溜息が漏れてしまう。
良く判らないが、ともかくこれはいけない兆候だとぼんやり考えながら、瓶の冷水を呷ったところで不意に強い気配を感じた。
周囲に気を張るが、位置を特定出来ない。まるで囲まれているかのようだが、感じる存在はただ一つ。
意識を集中して腰を上げた途端、人影が木々の間から飛び出して来た。
強者、そう判断して纏うローブを翻し腕を振って拳圧を飛ばしたが影は突然掻き消える。
気配に振り返るのとその手刀が首筋に押し当てられたのはほぼ同時だった。
風に舞っていたのは黒のコートだったけれど、強大な小宇宙が金色の翼の錯覚を見せる。
「……珍しいな、デフテロスよ。些か気を抜いていたか」
そう言って口角を釣り上げたのはシジフォスだった。彼は兄と深い関係にあり、同時に俺の数少ない旧知。
手刀はゆっくりと下ろされ、いつもの柔らかな表情に変わった。
俺が頭から被るローブのフードは落ちていない。彼の手刀には一分の無駄も無かった、という事だ。
「……お前、何の真似だ」
「お前の真似だよ」
微かな笑気と共に冗談半分に告げられて肩が落ちた。俺もまだまだ未熟者だ。
「エルシドが世話になっていると聞いてな。少々立ち寄らせて貰った」
明るく屈託のない笑顔に再び溜息が漏れる。
「……見舞いなら邸宅に行け」
「見舞いたいのは山々だが、却って畏まらせてしまいそうだから。取り敢えずはお前にだけ、挨拶」
シジフォスは楽しげに双眸を細め、見舞いの品らしい籠を差し出して来た。この男も大概律義で真面目で間抜けだ。
取り敢えずは受け取ったものの、してやられたのが悔しくて、仮面の下、思わず眉間に皺が寄った。
シジフォスの実力は兄アスプロスと同等、舐めて掛かれば、あっという間に黄金の矢の餌食になる。
俺は未だそれに確実に対抗し得るだけの実力に達していなかった。
「……挨拶等要らん」
つい拗ねたような物言いになってしまう。
反逆した兄とは言え、想い人を殺した俺に反感を持っていない筈はないのに、シジフォスは全く頓着していないように時折こうして接触してきた。
心根が優しい。懐が深く世話好きで、要は他人に甘過ぎる。
「そう言うな。上手く付き合えているか?お前は勝手だしエルシドは無愛想だし仲良くやれているか少し心配しているのだが」
「……確かに面倒な男だな」
ほんの数日前の彼の幼ささえ感じる痴態を思い出してしまって、気分は複雑なそれに変わる。
目許を隠す仮面はしていても唇の微細な変化で何かを悟ったのか、シジフォスの人差し指が俺の鎖骨の辺りを突いてきた。
「お前、何か無礼な振る舞いをしたのではあるまいな」
眉間には深い皺、しつこく鎖骨を突いて来る人差し指を払った。
「無礼はあの男の方だろう。俺は宿代と慰謝料を貰っただけだ。そんなに奴の貞操が心配なら檻にでも入れて保護しておけ」
「なっ!お前!」
シジフォスはあからさまに顔を紅潮させ狼狽を露わにした。
散々兄と淫行に耽っていた割に彼は何時迄経っても反応が初だ。兄がぼんやりと物思いに耽っては嘆息していたのを思い出して少し懐かしくなった。
教皇候補として彼と兄が並ぶ事さえなければ、あんな悲劇は起こらなかったかもしれない。返らない過去の可能性は考えるだけ虚しいけれど。
「……と言っても安くしておいたぞ。少し悪戯をしただけだ」
「安いも何も悪戯等けしからん!」
顔を赤くしたり青くしたり、全く彼は表情がころころと変わる。
後進の前や闘いの場となれば凛々しく精悍なそれに変わるのだが、普段のこの緩急は何とも愛くるしい。つい揶揄いたくなる。
「合意だぞ」
「……何……?」
シジフォスの顔が途端引き攣った。
「だから合意だ。エルシドが股を開いて早くと急かしたものだから」
「無い!それは無かろう!彼はそんな…っ…もっと慎ましくて純粋でだな…!」
シジフォスはエルシドにどんなイメージを抱いているのだろうか。
二十も半ばな良い大人に三十近い良い大人が慎ましいだの純粋だのと全く理解不能だ。
「此処ではする事も無し、溜まっていたのだろうよ」
俺は惚けて答えてみるがシジフォスはわなわなと震え未だ狼狽の色が濃い。
「そんな……良いか、デフテロス。仮にだ、幾ら……あれだ、その、劣情を覚えたとて、そういう行為は心に決めた人とだな」
兄に無理矢理脚を割られ身体から篭絡していった癖に良くもまだ綺麗事を並べていられる物だと感心してしまう。
俺が生欠伸をすると「聞け」と叱責された。
「ともかく、あれだ。ほら、その……責任を取れないならば、そういう行為はしてはいけない」
「何の責任だ。男は孕まんだろう」
「馬鹿者!エルシドは部下からも良く慕われているしマニゴルドやカルディアにも懐かれていて」
「ほう、無愛想な割に随分人気者なのだな」
「だから」



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