「引き裂いたのは俺だ」
嘲笑する仮面の三日月型の双眸はまるで道化。
道化の嘲笑は涙にも似ている。
「……お前は……誰、だ」
聞かずとももう判っていた。
胸が酷く軋み、尋ねる声はみっともなく震える。
俺に影を落とす男は未だ仮面を取らない。
「纂奪者、だ」
彼は俺の発した薄汚い言葉を繰り返した。問い掛けで確認する事は無く、自身に言い聞かせているかのような断言だった。
「あれの持っていた全てが欲しかった」
――暇潰しの、そういう喜劇。
「地位も、名誉も、友も、憧憬も、愛情も、全てが妬ましかった。俺の物にしたかった」
そう口にする事でアスプロスとアスプロスを慕う者を守ろうとしているかのようで。
「俺を殺す気概もないのなら、お前も奪って喰い殺してやろうか」
低く囁かれる声は無感情だった。首筋に唇が這い、尖った牙が皮膚に突き立ち肉を刔る。
「……お前が、討ったのか」
痛みを覚えたのは血を流す傷ではない。
「ああ、そうだ。俺が罪を唆してあれは騙された。だから上手く始末出来た」
紺碧の髪に穢れの色は無かった。
木陰に隠れ身を丸めていた影、薄汚れた服、醜い仮面。
宿命の、凶星。
――誰がそれを決めた。
「……違う、だろう…」
――俺は何を望んでしまったのか。
本当に、本当に凶星ならば、もっと穢れた、それこそ悪魔よりも醜い姿でなければならなかった。
こんな哀しい姿であってはならなかった。
――本当に奪ったのなら、何故今も、顔を、姿を、黒く隠そうとしている。
勢いで髪を引いても力を奪う鎖が鳴るばかり。
「何も違わない。お前の考えた通りだ」
「やめろ…っ…!」
再び首筋を噛まれ皮膚の裂ける痛みに顔を歪めたが、男はそれに却って安堵したかのように小さな傷に舌を這わせる。
「……奪う。お前が兄の物ならば」


■ ■ ■ ■ ■


誰かと身体を重ねた事は無かった。
想い人に操を立てるとか、そういう良心故では無く、多分、体温そのものを恐れていたのだと思う。
俺は心根の弱い人間だった。だからこそ自分を研磨しないといけなかった。
シジフォスに惹かれたのは、戦女神だけでなく腕に抱く全てを守ろうとするその清廉な姿を見た為だったのだろう。
憧れて焦がれて、彼のような誇り高い人間になりたかった。
けれど彼のようにはなれない事も何処かで判っていた。
他者に関われば俺はきっと元来持った己の弱さを露呈する。
――堕落、する。
だから、他人の体温が怖かった。
シジフォスとアスプロスにはきっと心を交わし、重ねる温もりがあったのだと思う。
不思議と、羨ましいと、そんな単純な思考は無かった。
ただ、俺の臆病と脆弱だけを痛感していた。
この男の手は体温を持っている。
抵抗をすれば、間違い無くあっさりと退かれるのだとは思う。
きっとその方がこの男は傷付かないのだとも思う。
けれど、独りにしたくは無かった。
月夜に隠れ、ひっそりと外されていた仮面。
自分の物でない、対極にある名を呼ばれ、黙して寂しげに、苦しげに俺を見詰めた瞳。
俺の願いの欠片でも叶えようと、この男は俺が必死に伸ばした手を、取った。
あの温かく、優しい謝罪の声が今更耳に響く。
俺は何処迄も身勝手で、今、この男を両の腕で抱き締めたいと思ってしまった。
――纂奪者。
その言葉は穢らわしい俺にこそ相応しい。
指と舌は抵抗の意志を求めているかのように俺に苦痛を齎していた。
傷口を爪で掻き、浮き上がる血の玉を唇で吸い取る。
だから俺は敢えて男の髪をまさぐって掻き抱いた。
荒くなる呼吸を抑える事もしない。
情欲等欠片も無かったけれど、初めて知る――否、本当は昨晩に教えられていた彼の体温は、俺の常より高い熱を更に上げるには十分だった。
「慣れているのか」
蔑み露わに吐き捨てられても俺は否定しなかった。そうすれば、きっと男は引き下がれなくなる。
下着を乱暴に引き下げられ、下肢を剥き出しにされたが、羞恥さえ起こらなかった。
「……奪え、早く」
肢体の造形を隠すローブ、その袷を留める装飾の革紐を引いて剥ぎ取る。
男の唇が嘲笑うかのように釣り上がり、乱暴に性器を掴んだ。
「阿呆だと思っていたが予想以上だな」
俺は取り返しの付かない呪詛を吐いて、男の尊厳を踏みにじった。侮蔑は構わない。
それで俺の罪が許される訳では決して無いが、与えられる罰がある方が余程良いに違いなかった。
これも俺の身勝手。
性器を扱く所作も酷く雑で快感よりも痛みが勝る。けれど、乱れた包帯、上体の傷を舌が辿ると身体は勝手に興奮し、性器は硬度を持った。
男同士の情交の仕方は聞いている。男がそこ迄怒りを保つかは判らないが、自ら脚を開き膝を立てて行為を促した。
「……あれに抱かれていたのか」
亀頭の割れ目を親指に強く擦られ内股が震えた。
「…ッ……は……抱かれたくても……相手に、されなかった」
『あれ』はアスプロスなのだろうと思う。だから俺は平然と嘘を吐き己の穢れをより色濃くした。
男は数瞬、動きを止めたが、直ぐに呼吸を荒くして開く俺の口に人差し指と中指を押し込んでくる。
喉まで突かれて嘔吐感が込み上げるが寸でのところで堪えた。喉奥が詰まるのにそれが判ったのか、指の侵入は浅くなり舌を挟んで弄ぶ動きに変わる。
「……ん、く…っ…」
「成る程。あれならば当然か」
侵入と同様唐突に引き抜かれた指に口内に溜まっていた唾液が銀糸を引き、室内を照らすカンテラの炎を反射した。
指先は当然のように下肢に向かう。流石に身体は緊張に強張ったが、目を閉じてその瞬間を紛らわせた。
濡れた指が後孔の縁を捉え、艶やかな髪を掴む指に思わず力が篭る。
「……は…ッ…ぁ…!」
力任せに潜り込んで来た男の熱い指に背筋がわなないて反り、みっともなく震えてしまう。
身体の内側を強引に開かされる圧迫感は考えていた以上に強烈で、必死に奥歯を噛んでも引き攣れる吐息が唇を開かせた。
肉襞を掻き分けまさぐるかのように擦られると否応無しに肌が粟立ち、排泄感に似た悪寒に下肢の震えが止まらなくなる。
髪を掴み直し、腹筋に力を入れて覆い被さる逞しい上体の肩に目許を押し付けると、傷が燃えるように痛んだ。
指の押送に手加減は無かった。異物に張り付く内側の肉を引き剥がしては擦り上げて来て、苦痛に呼吸が更に乱れる。
手荒に扱って拒絶の言葉を引き出したいのだと思ったから、臆病になる胸の内に溜まる言葉を懸命に押さえ付けた。
指が浅い部分を割り開いて熱い体内に冴えた外気が入り込むと悲鳴が口を突きそうになる。
「…は……ッ…早、く…っ…」
そう強請れば色情狂にも見えるだろう。身体に纏わり付く美しい紺碧の髪はすっかり俺の体温に馴染んでしまっていて、胸が、軋む。
「……何を、焦る」
左腕が頭を抱き込み耳元に問い掛けてきても、首を横に振る事しか出来なかった。
「早く……ッ…!」
馬鹿のように繰り返して、苦痛に閉じようとする内股を意識的に開く。



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