その上、敵に捕われたとあれば、恥の上塗り、同胞に申し開きが出来ない。
しかし、元より熱が続いていた身体は、傷が開いてから更に体温を上げ、動くにも些か辛いのが実状。
「……マニゴルド……シジフォス……」
情けない身体を丸め、目を閉じ同胞を思う事で気を紛らわせるが、焦燥は募っていた。
もう少し傷が回復すれば、せめて熱さえ下がれば、何としてでもこの鎖を断ち、あの男を仕留める覚悟はあった。
与えられる食料には手を付けていない。仕方なく水は飲むが、何か毒でも盛られていたら回復が遅れてしまう。
「今度こそ食ったか」
男はノックもせず無遠慮に扉を開け放ち、室内に大股で踏み込んで来た。
一瞥のみをくれて俺は沈黙を貫く。
男はサイドテーブルに置かれた病人食らしいパンとスープを見下ろし呆れたように嘆息を吐いた。
「本当に治す気がないのだな」
「……敵から送られる塩に縋って生き延びる程恥知らずではない」
「誰が敵だ」
またしても平然としらばっくれる。
「貴様以外の誰がい…ッ…」
額を掌で押さえ付け、仰向けになるよう強引に首を捻らされ、後頭部が枕にめり込んだ。
首の筋までおかしくなりそうで、仕方なく身体ごと仰向けに体勢を変える。
「成る程、熱の譫言か」
「貴様、また愚弄するか」
「余りに阿呆だと馬鹿にしたくもなる」
手を離しながらベッドに腰掛けてくる男から少しでも距離を取りたくて壁側に身体をずらそうと試みたが、その目的を達する前に腕を引かれ半ば強引に上体を起こされた。
傷が引き攣れて痛み、思わず眉間に皺が寄る。僅かながら眩暈も伴い、不調を改めて実感した。
傷を負った当初よりも、昨日よりも、心身の衰弱は著しい。
やはり水にも何か盛られているのではないかと不安が過ぎる。
蓄積した疲労で状態を悪化させるような軟弱な身体とは思いたくなかった。
「取り敢えず、食え」
俯いた顎を強引に掴まれ、上向いた唇に無理矢理パンが押し付けられた。
「……ん…っ…」
開いて堪る物かと歯を食いしばり、気色の悪い仮面の双眼を睨み据える。
パンの屑が落ちるのに男はまた小さな溜息を吐き、唇に押し付けられていたパンを彼自らの口許へと移した。
やたらに尖った八重歯を見せて大口で噛り付く。
ゆっくり見せ付けるかの如く咀嚼しながら半円の歯型のくっきりと残ったパンを再び差し向けて来た。
「食え」
口いっぱいのパンにくぐもった声。何を企んでいるのかさっぱり判らずどうにも緊張したが、当人が口にしたからにはそこ迄酷い毒物は盛られていないのだろう。
歯型に尖る三日月型の端を恐る恐る噛る。
「よし」
固形物を口にした途端、耐えていた空腹を強く自覚し両の手でパンを押さえると、男は手を引いて口角をゆるりと上げた。
スープに口を付けるのは抵抗があったが、取り敢えずパンは食べ切った。
胃液に焼けたのか腹も少し痛んだが、確かに食べなければ回復は遅れると自分に言い聞かせた。
「……風呂を手伝ってやる。来い」
スープを残したまま再び睨み据えていると、諦めの色を滲ませ、身を屈めてベッドに繋いだ枷を外す。
機会だと薙いだ右腕は自分でも情けなくなる程に力無い攻撃、当然再び彼の右腕により呆気なく捕らえられた。
「タロットの悪魔は暴力の象徴でもあったな」
気の無い揶揄をして、枷は彼の左手首に止められる。やはり簡単に逃がす気はないようだった。
肩から麻の長衣を掛けられ、鎖を引かれて連行される。
体重を掛ける度に左の大腿の傷がじくりと痛んだ。
任務を終えて帰還し聖域に居た時は殆ど意識しなかったから、旅の行き道の負担、極短時間とは言えこの男と一戦交えたせいなのだろう。全く不甲斐無い脚だ。
排泄以外では初めて部屋を出る事を許されたが、古びた民家ではあるものの予想していたより広いようで、窓は全て木戸により固く閉ざされていた。
脚を引きずりながら出来る限り扉と窓の配置を覚える。
この男以外の気配は感じられないが、これだけの部屋数、仲間が居ても不思議はない。
カノン島内なのか、或いは他の土地なのかは判らない。
だが、この男の使う居室が判れば、最悪逃走と決めた場合、時間が稼ぎ易いに違いなかった。
――逃走。
情けないが今は身体が十分な力を発揮出来ないのは認めざるを得ない。
とは言え、無論、仕留める覚悟はある。
同時に、侮るつもりもなかった。事実、この男は、出来る。
開いた扉が無いのが悔やまれたが、帰りにも再度注視しておこうと決めた。
男が初めて開けた扉は脱衣所らしき小さな空間。
帯をもってローブの袖と裾を上手い事括るのみ、男は仮面を取り払う様子を見せない。
グラディエーターサンダルは紐を解いて放り捨て、悠長に身を屈めて黒のボトムの裾を捲り上げながら、俺を見上げて来た。
「……脱衣の手伝いも必要か?」
元より纏う事を許されているのは肩に掛けられた長衣と包帯、下着のみ、馬鹿にされているとしか思えない。瞬時に耳が熱くなって思わず奥歯を噛み締める。
挑発に乗って堪るかと耐えていると男の手が当たり前のように下着に掛かった。
「……っ……自分で」
「なら、もたもたするな」
男は姿勢を戻す。仮面に隠されていてもその視線は無遠慮だった。
居心地は頗る悪かったが、この男がどうにも気が短いらしいのは判り始めていたから、また腕を伸ばされる前に肩に掛かる長衣を籠に掛けた。
次に幾重にも巻かれた包帯を解いていく。胸から斜めに走った朱い引き攣れた傷が露わになった。
大腿の包帯を外しに掛かると男は口を開いた。
「……聖衣を纏っていて出来る傷ではないな。拳圧とも違う」
観察眼があり、聖衣の性質も熟知している――その言葉で十分に察せられた。
「斬撃……しかも熟練の技とは思えん」
その通りだった。
先日の討伐任務の先、待ち構えていたのは年端もいかぬ子供と女。鎧も纏わず、ただ武器のみを持ってやみくもに斬り付けて来た。
何者かに意志を操られているのは想像に容易かったが、まともな武装さえしていない女子供に手刀を振るう訳にもいかない。
共に居たマニゴルドと一時退却を試みたが、操り人形にされた哀れな女子供は自害をもって俺達の脚を引き留め、聖衣を纏う事は勿論、防御さえ叶わなかった。
俺の技は一撃で致命的なダメージを負わせる事も可能な反面、その攻撃射程は振り抜いた腕の軌跡上にあり、断つ物を選べない。
人質の壁を作られてしまっては攻撃そのものも許されなかった。
隠れている首魁の小宇宙をマニゴルドが辿る間、彼の盾となって結果的にこのような傷を負ったが、特定対象に向けて遠距離攻撃が可能な者が同行していなければ、犠牲者は更に増えた筈。俺も傷では済まされなかったやもしれなかった。
未熟――それを痛感せざるを得ない。
シジフォスの支えになるにはやはり到底足りなかった。
「……慢心の招いた傷だ」
屈辱的ではあるが、言わずとも判ってしまう事だろうから素直に白状した。
「成る程。あれと同様、甘い奴という訳か」
『あれ』が誰を指したのかは判らなかったが、彼が湯殿に続くらしい引き戸を開いたので、下着を脱ぎ背中に続いた。
湯煙が立ち込めるそこは天然の露天風呂らしかった。



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