旅の口実を作ってくれたデジェルに感謝さえ覚えながら、船の中でカルディアから投げ付けられた林檎をかじり、荷物の三分の一を占める大量の林檎のほんの一部を減らした。
カノン島は噂には聞いていたが訪れるのは初めてだ。麓には村があったが、小規模な物で宿屋も一軒しかないとの事だった。
取り敢えずは傷が早く癒えるという火山の奥を目指す。半日養生をし、半日は鍛練に費やす算段だった。
聞いていた通り火口から下りてマグマの流れを辿って行く。
養生中の者は他には居ないようで、監視者らしき人影も見えない。
これならば養生の場所で丸一日鍛練に費やす事も可能だろう。
こんな大きな負傷をした事自体、十分過ぎる失態。痛みはするが、これしきの傷で養生等と甘える訳にはいかない。気を引き締めて歩みを進めた。
マグマ溜まりのある岩盤、そこが傷を癒すと名高い場所だった。
荷物含め衣服も発火しないよう小宇宙で保護はしているが、煤で視界は極めて悪い上、噎せ返る程の熱気、肺腑迄焼けそうだ。
一応周囲を再確認し人の気配の無いのを確かめてから荷物を置き、羽織っていた黒のロングコートを脱いで、スカーフと共に荷物の上に放った。
長く歩いて来た分、傷が酷く痛んでいたが、この程度の痛みではやはり休む気にはなれない。
改めて気合いを入れ、静かに呼吸をしながら右腕に意識を集中する。
沸騰し絶え間無く流れる溶岩の音が洞となっている空間を支配していた。
瞬間、感じた攻撃的な気配。
考えるより先に右腕が空を薙いでいた。
しかし、踏み出した脚、軸となる左足の大腿に激痛が走り不覚にも気が逸れる。
振り抜いた腕の直線上に走る斬撃は岩壁を刔ったのみ、唐突に現れた人影の動きは目で追う事が出来なかった。
呆気無く人体の急所である喉を鷲掴みにされ、背中を岩盤にしたたかに叩き付けられた。傷という傷が苛烈な痛みで燃える。
「……大人しくしていろ」
首を掴む手の力には全く容赦が無い。煤に加え、マグマの熱に空気自体が揺らいでいて、俺を捕える男の腕も輪郭が定まらなかった。
――何者か。
問い質したいが勁部を強く締め付けられているせいで声どころか呼吸すらままならない。
力任せに身体を引き上げられ、足先が地面から離れてしまい、頭が警鐘を鳴らし出す。
養生の聖闘士は見掛けなかった。そもそも同胞ならば相応の敬意を持って接触する筈。ましてや黄金聖闘士である俺に直前迄その気配を悟られずに接近する事等同等程度の能力を持たない限り不可能。
――ならば、敵か。
遅れは取ったものの、判断さえ出来れば戦闘準備は整ったも同然。不利な体勢ではあるが、同時に体術を得意とする俺にとり最も能力の発揮出来る攻撃射程圏内でもある。
剣を振り抜けば敵の腕は両断される。弾き出した答えのままに右腕を下段から振り上げたが、手刀は驚く程簡単にその男の左手に捕えられた。
触れる物を全て断つ意志を持つ剣、その柄を押さえたかのように手首は背後の岩に縫い止められ、勁部の圧迫は強まる。
「……ッ…!」
視界が更に不明瞭になっていく。
腕が塞がれたのならば脚。咄嗟に判断はしたものの、行動に移すより早く右手首が解放され、その一瞬の内に拳で腹を強く打たれた。
傷が開き、血が吹き出したのを自覚する。
激痛の中、不甲斐なく意識は白く飛んでいった。


■ ■ ■ ■ ■


視界に飛び込んで来たのは極一般的な民家の天井。
自分が何処に居るのか判らず、慌てて身を起こせば途端右胸から左腹、斜めに走る熱い痛みに思わず背中を丸めて息を詰めた。
「……ぱっくりいったぞ」
掛かる声で襲撃された記憶が蘇る。
咄嗟に視線を走らせた先には黒衣の男が佇んでいた。
頭から被ったフード、ローブはくるぶし迄届いており、まるで魔術師の如き面妖な出で立ち。
顔にはフードの影が色濃く落ちているが、目許を含む鼻上から半分は女聖闘士が使うような銀の仮面で隠されており、その目は釣り上った、気味の悪い、三日月の歪んだ笑みの形が象られていた。
まるで道化の嘲笑のようだ。
俺は手当を施されたらしく、着ていたシャツは脱がされ、真新しい包帯が胸から腹に掛けて巻かれている。下肢も下着を残して剥ぎ取られたようで、負傷している左の大腿の包帯を替えられていた。
同時に右の手首には枷が付けられ、その鎖の先を目線で辿ればベッドの脚への繋がる。
力を込めて左手で引いてみたが耳障りな金属音が響くのみ、千切る事は叶わなかった。
つまり、ただの鉄ではない。
「それは取れん。鍵は此処に」
男はこれみよがしに金の鍵を掲げて見せた。赤銅色に焼けた手指、聖域でも中々見掛けないその肌の色にらしからぬ不安を覚える。
「……何者だ」
動揺を押し殺して低く問い掛けると、男は緩く首を傾げながら鍵を腰に巻く装飾の革紐に括り付けた。
「……監視者、だったか?」
答えた本人が何故か疑問符を付ける。
「……貴様、何が目的だ」
俺の養生を見張る為に付けられた監視者が攻撃を繰り出して来る筈はない。
或いは本物の監視者はこの男に始末されたのやもしれない。
いずれにせよ何等かの目的を持って俺を捕えたに違いなかった。
「だから、監視、だろう?」
男はやはり疑問符を付け、俺に確認するかのように返答する。
「ふざけるのも大概にしろ。元より生き恥を曝すつもりはない。同胞の足手纏いになるくらいならば俺は」
「煩い」
覚悟の口上をそんな単純な一言で遮られ、頭に血が上り掛けたがどうにか押さえ込んで平静を意識する。
「……何故監視をする。何故俺を捕えた」
「お前が聞きたがりの割に人の話を聞かない奴だという事は良く判った」
またしても人を小馬鹿にした態度、苛立ちのままに右腕を捕えている鎖を力任せに引いてみるが、手首が枷に擦られるばかり。
「ほらな、聞いていない」
「聞いている!」
どうにも調子を崩されてしまう。仮面の表情そのままに嘲笑されているようで苛立ちは募るばかり。
「面倒だ。取り敢えず名乗れ」
飽き飽きといった様子で溜息を漏らされたが、溜息を吐きたいのは俺の方だ。
「……デビル」
名乗って良いものか判り兼ねて咄嗟に磨羯宮を表すタロットのカード名を答えた。
「デビル……悪魔……タロットでは正位置が拘束、裏切り、堕落。逆位置は回復、覚醒、新たな出会いを表していたか」
男は数秒考えるように小首を傾げていたが、納得したかのように頷く。
「成る程、確かに拘束は正しいようだ。面白い奇遇だな、エルシドよ」
やはり知っていて捕えたのだと確信する。
「貴様」
「『何者だ』」
先に台詞を取った男は身を翻し扉に向かった。
「俺は監視者なのだろう?いい加減人の話を聞け」
そうして名乗りもせずにさっさと部屋から出て行ってしまった。
取り残された俺が苛立ちをぶつける対象は煩わしい手枷と鎖だけだった。


■ ■ ■ ■ ■


水と食料は与えられたが、排泄の時間迄決められ、ベッドから離れる事が許されない日が丸二日が続いた。
荒っぽいが開いた傷の手当は定期的に施され、身体を清めるタオルも与えられる。
今のところ危害を加える動きは見られないが、聖域に何等かの脅迫めいた要求をしているのかもしれないと焦躁が募った。
ただでさえ俺は未熟、力が足りない。この傷もそれが故、休む等と悠長な事は言っていられないのだ。



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