双子座のアスプロスの反逆の報は静かに齎された。
その一報を知らせてくれたマニゴルドからシジフォスが次期教皇の指名を受けていた事もその時初めて聞かされたが、アスプロスはそれが故に謀叛を企み、教皇の護衛をしていたアスミタに誅殺されたとの話だった。
マニゴルドは教皇セージ様の護衛に呼ばれなかった事に酷く憤慨していて「あの爺は薄情だ、俺をいつまでも未熟者扱いする」と散々悪し様に文句を垂れていたが、アスプロスの反逆についてはその情報のみしか語る事はなかった。
あの善良を絵に描いたような、穏やかで自律心の強い男が、そんな愚かな企てをするとは思えなかった。その気持ちは恐らくマニゴルドも同じだったのだろう。
アスプロスはシジフォスと同様、聖闘士最高位である俺達黄金聖闘士の中でも突出した、稀有な存在。仁知勇を兼ね備えた戦女神の聖闘士の双璧と呼ぶに相応しい人物だった。
次期教皇はアスプロスかシジフォスと専らの噂――戦場で同胞の傷付く事を嫌がり危機があればその先頭に立とうするシジフォスより、沈着に戦況を判断し時に後方に甘んじる事も耐えられるアスプロスの方が、支持する者は多かったかもしれない。
迫り来る聖戦に欠かせない英雄を突然失った。それも最悪の形で。
悪報に誰よりも悲嘆に暮れたのはシジフォスだった。
俺と共にその報を聞き、マニゴルドが去る迄は殆ど放心状態で立ちつくしていた。
シジフォスの涙を見たのはそれが初めてだった。
実兄であるイリアスの葬儀ですら涙を見せなかった彼が唐突に崩れ落ち、「どうして、どうして」と繰り返し反逆者となった英雄を責めながら鳴咽する姿に酷く胸が痛んだ。
シジフォスとアスプロスは肩を並べる唯一の存在であった分だけ何かしらの、俺達には判らない、強い想いと結び付きがあったのだと思う。
――俺では彼にとても足りない。
不謹慎にも、そう実感した瞬間でもあった。
俺はアスプロスは勿論の事だが、殊、シジフォスには大きな憧れを抱いていた。
旧知のマニゴルドにはそれをすっかり見透かされていて、「無い無い、あの堅物と堅物のお前じゃ手を取り合うだけで百年、身体を重ねるには百億年は掛かる」等と揶揄される事もしばしばだった。
聖域は良くも悪くも古代ギリシャの文化を色濃く残しており、男色の趣味を持つ者も多い――そう言えば尤もらしく聞こえるが、要は女人禁制の掟の為に圧倒的に性的対象の女が不足しているせいだ。
女聖闘士も仮面を着け、男として生きている。手篭めにされようものならば彼女達は舌を噛んで死ぬ事を選ぶだろう。
太古からこういう環境が保たれていれば、性欲発散の対象が同性に向くのは仕方のない話。
白銀聖闘士くらいになれば小姓を持つ者も少なくない。
黄金聖闘士でもマニゴルドやカルディア等、性に奔放な連中はそこそこ遊んでいる様子だった。
故に、マニゴルドが俺のシジフォスに対する情欲を疑うのも無理のない話ではあるのだが、俺は誓ってそういう疚しい肉欲を持っていた訳では無い。
だが、確かにこの気持ちには淡い恋心も含まれているのだとは思う。
俺はシジフォスを心から慕っていたし、ずっと彼の背中を追い掛けていた。
恋慕――軟弱ではあるが間違いない。
けれど、何か想いを伝えようだとか、そういう、彼の邁進の邪魔になるであろう事はしたくなかった。
漠然とした想いではあるが、力になりたいと、支えたいと、そう強く願うだけだった。
しかし、肝心な時に俺は無力で、憔悴したシジフォスに掛ける言葉さえも見付けられなかった。
ただ泣き止む迄傍に居る事しか出来なかった。
――俺では全てが足りない。
そう思う度に胸は軋み、無力感と共に罪悪感すら覚えた。
俺の命を差し出してアスプロスがシジフォスの隣に戻るのならば、そうしたかった。
双子座の後継にはアスプロスの双子の弟が指名された。
彼は凶星の宿命の下に生まれ、聖域の中でも禁忌とされ隠されてきた存在。聖闘士候補としての修練さえも許されていなかったと聞いている。
アスプロスはその弟をひたすらに庇っていたが、それは兄としての情愛と慈悲故。
その温情に甘え、アスプロスに付き纏っていたばかりか、その輝かしい軌跡を妬んでいる卑しい影のような男だという専らの噂だった。
俺は遠目から数回姿を見掛けただけだが、その顔は醜い仮面で覆われ、人目を避けるかのように薄暗い木立の影に隠れた姿はみっともない猫背、薄汚い雑巾のような衣服を身に纏い、酷くみすぼらしいシルエットだった。
噂通り陰気臭く不吉に見えて、声を掛ける事は勿論、近付いてその姿をしっかりと確かめる気にもなれなかったのを記憶している。
当然、とてもアスプロスの後継が務まるような人物には思えず、俺はそこでも絶望感とも憤りとも判らない、数多の負の感情が湧き出すのを禁じ得なかった。
そして、大方の不信感は悪い意味で裏切られる事は無く、その二番目の男はあっさりと聖域から姿を消した。
最高位の聖衣を賜りながら身勝手に聖域を離れる等言語道断、愚行極まりない。
教皇は黙認され、マニゴルド等はその突飛な行動を却って気に入ったようだったが、俺は到底許す事は出来なかった。
――許せる筈もない。
傷付いた黄金の翼。
彼の舞う紺碧の空を汚す事等決してあってはならないのだから。


■ ■ ■ ■ ■


謀叛の動揺、二番目の男の噂話も下火になり、聖域は落ち着きを取り戻し始めていた。
蟠りはあったものの俺も双児宮の主の不在に漸く慣れてきていた頃。
討伐命令を受け遠征した先、俺は不覚にも深手を負った。
命に別状は無いし、後遺症も残らない程度ではあったが、何十針と縫合を余儀なくされたが為に、教皇から直々に暫くの休養を命じられた。
とは言え、傷のある胸から腹に掛けてと左の大腿、その傷が故に齎される熱以外は頗る健康な身体。
それは健康とは言わないとマニゴルドには呆れられたが、ともかく大人しく休養するのも身体が鈍りそうで、縫合した翌々日には磨羯宮の裏手で隠れて独り鍛練を始めた。
ところが、運悪くそれをデジェルに発見され、「動いていたら治る物も治らない。そんなに早く治したいならカノン島にでも行って来い」と厭味とも忠告とも付かぬ小言を貰った揚句、ご丁寧に教皇に報告迄されてしまい、直接セージ様から大変なお叱りを受ける大事に発展した。
結局聖衣は一時教皇宮で保管の運び、要は没収された。
代わりに旅の荷物を侍従に纏められ、半ば追い立てられるようにして聖域を離れる羽目になった。
見送りという名目で冷やかしに来たカルディアからは「持って行け」と籠一杯の林檎を投げ付けられ、それをマニゴルドに大笑いされ、本当に散々な旅立ちだった。
「カノン島には監視者を置いている。身の回りの世話は任せて良いので養生に専念するように。真面目は多いに結構だが、治る迄は鍛練等言語道断」とセージ様からきつく言い置かれたが、聖域から離れてしまえばこちらのもの。監視の目をかい潜る事は幾らでも出来るだろう。
それこそ監視の目が多い聖域から離れられたのは幸運かもしれない。



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