吐き気、がした。頭も痛い。足にも力が入らなくて、視界も歪んで見える。ペトラが死んだ。オルオも死んだ。ほかにも、多くの兵士が死んだ。入団当初、たくさんいたはずの同期は、もう片手ほどしかいない。わたしも彼らのように、死んでいくのだろうか。出口のない迷路に迷っているようで果てがない。死の積み重なりが、ほんとうに人類の糧へとなり得るのだろうか。

共に戦地を生き抜いてきた同期ふたりの死は、予想以上もふかく、わたしのこころを抉った。このままでは、身体より先に精神が死んでしまいそうだった。いや、いっそのことここで死んでしまおうか。そんな考えが脳裏をかすめ、わたしは歩くのを止めた。




 ふと、目を覚ますと見知らぬ天井が目に飛び込んできた。白い靄にでもかかったような思考と視界のまま、半身を起こすと、まばゆい光が目を支配する。少し瞬きを繰り返せば段々と慣れ始め、徐々に世界がクリアとなっていく。そして、気付く。見慣れた小柄な体格の男性が、近くの机で書類整理を行っているのを。

「へ、兵長!!」
 一気に身体中の血の気が引いていくのが自分でもわかった。張り上げた声に兵長はペン先を止め、身体をこちらへと向けた。
「ようやく起きたようだな」
「はっはい! いますぐ自分の部屋へと戻ります!」

 慌ててベットから離れようとしたが、兵長がすぐさま動くな、と手で制す。しかし、と反論しようと口を開くものの、鋭い視線に押し黙らされる。わたしが動く気力を無くしたのを見計らって、兵長が馬小屋の近くで倒れていたことを告げた。そう言われ、ようやく意識を失う前の記憶がよみがえる。そうだ確かわたし、ペトラとオルオが死んだって聞かされて、動揺し、疲弊し、死に辟易していたんだった。親身ともに。

「……大丈夫か」
 ややあってから、兵長は訊く。

「兵長こそ」

 ペトラもオルオも兵長の直属の部下であり、兵長とエレン以外は今回の壁外調査で死んでしまった。わたし以上に、兵長の方が堪えているはずだ。

団長と共に冷静でときには残酷冷血な判断を下す兵長を人間ではない、と卑下するものは多いが、そんなのうそだ。むしろ、兵長は部下思いの方で、誰よりも身を呈して戦っている。表面こそ出しはしないが、ひとりひとりの死も、きちんと背負っている。そんな兵長に介抱してもらうなど、なんとも情けない。

「ありがとうございました。もう大丈夫なので、帰ります」

 ベットから出て、わたしは兵長に向かって頭を垂れたあと、部屋を後にした。が、兵長も何故かわたしと一緒に部屋を出てきてしまった。「兵長?」と首を傾げると、兵長はちらりとわたしの顔を見て、「ちょうどおまえの部屋の方向へ用事があってな」と言い、わたしの先を歩き始めた。のわりに、手ぶらの兵長にどういうことか呆けていると、何をしてる。早く来い、と鋭い視線と共に言われてしまい、わたしは慌ててあとをついていく。

 兵長と適度な距離を保ち、歩く。人類最強と呼ばれる彼の背中は、人類の希望を背負い込むにはあまりにも小さかった。しかし、わたしたち兵士は彼の背中を見ると、安心できるのだ。ああこの人になら任せて大丈夫、と。露骨な表現でいえば、母親から与えられる無条件の愛のようなものを兵長から感じることができるのだ。だから、わたしたち兵士は兵長に絶大な信頼を置いているし、彼のために死ねるのなら喜んで心臓を捧げられる。誰よりも兵長のそばで過ごしたペトラも、そうだった。

「兵長」
「なんだ」
「今までたくさん仲間たちが死にました」
「ああ」
「わたしはかろうじて生きていますが、次巨人と遭遇したとき、生きているかわかりません。もしかしたら死ぬかもしれませんね」
 兵長はこちらを振り向かず、歩き続けた。
 わたしは一歩、一歩と兵長との距離を縮め、その背中に手の伸ばす。
「死ぬのは嫌です。……ですが、大切な家族が巨人たちの犠牲になるほうがもっと嫌です。だから、戦います。死にます。だから、

勝ってください」

 背中へとしがみつき、懇願する。目から熱い雫がぽたぽたと垂れていき、床に染みを作っていく。なにをやっているのだろう、と客観的な思考が自身を責めるが、どうしてもやめることができなかった。素直な気持ちを吐露すれば、不安だった。いまさらながら、死が。

死線を乗り越えたペトラが死んで、オルオが死んで、ついに自分の死が目の前になって、現実味が帯びてきて、わたしは自分が生きている世界が、どれほど残酷なのかを今更気付かされ、怯えた。兵士なのに怖くて怖くてたまらない。だから、わたしは兵長にすがってしまった。自分の死が少しでも無駄にならないように。兵長の負担にしかなりえないというのに。情けない。きっと死んでいった同期たちが見たら、笑っているに違いない。

 しかし、兵士失格で惨めなわたしを非難することはしなかった。こちらを向かず、わたしに背を向けたまま、兵長は「てめえに言われなくとも、あいつらは全員ぶっ殺してやる」とだけ答えた。その言葉に、わたしはひどく安心をした。この人がいるかぎり、わたしの死は無駄にならない、とこころのそこからそう思え、わたしは死ぬのが怖くなくなった。


死ぬ拠り所(20130911)
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