「ほお。よくもまあ研究対象にならず、生きてこれたな」
「まあそこは私もなんとか手を回してね」
「ご苦労なこった」
「どうも」

 私の契約能力は、目が合った者の心を読むこと。いわゆる、シンメトリーというもので、対価は感情が消失している契約者には似つかない涙を流す、だった。人を殺めるために心を覗き、その度に無感情のままで涙を流す。まるで心を覗いたことに罪悪感を感じて流すようで、その対価が大嫌いだった。

だけど、ある日の任務の帰りに涙を流しながら歩いていた時、一般人の男が私に近寄り、聞いてきた。何か、悲しいことがあったんですか?と、純粋無垢な嘘のない心を持って。

「驚いたよ。何かしら邪心を持っているのが人間で、どの人間の心もそうだったのに」
「絶滅危惧種のような男だな」
「ほんと。それでその人とはその日だけ話をした関係だったのに、何の因果かな。喪失者になった日に再会しちゃったんだ」

 出会った時と同じようにただ道端ですれ違っただけなのに、彼は私に気付き、今日は泣いてないんですね、と言って笑った。嘘などとは無縁な笑顔で。心を読むという能力を失い、感情を取り戻しつつあった私は、心が読めない人……黒以外の人が怖かった。一体何を思い、何を考え、何の為に行動しているのか、わからずに人と接するのは。

今ならそれが当たり前だということがよくわかる。けど、当時はまだ能力を失ったばかりで、突如戻ってきた、人間らしい感情は、、人への恐怖しか生み出さなかった。だから、気さくに話しかけてきた彼にも最初警戒をした。私を利用しようとするために近づいてきたのではないかと、怯えた。しかし、そんな私の恐怖心を掻き消すかのように、彼は優しく、温かく、思いに正直に、私に接し、そして会う回数を重ねる度に抱いていた彼への恐怖心は……。

「そいつの純粋な好意に当てられ、消えていったってことか」
「うん。初めだったよ、黒以外の人で心を知らなくても接せられる人間は」

 そう呟く私に猫は大して興味がなさそうに、2年見ないうちに、お前も大分丸くなったな、と言う。丸くなった、か……。心の中でもう一度復唱し、私は苦笑を溢す。契約者だった頃の私を知る猫から見れば、今の私は大変生温く見えるのだろう。人の中でぬくぬくと生きていく私が。

 事実、私が温くなったのは、見えるというより本当のこと。もう血の匂いを2年も嗅いでいない。あれほどまでに染み込んでいた匂いだというのに。私は一度赤毛の少女を見た後、身を隠すようにしていた草むらから立ち上がる。

「あのね、猫。私、その彼と結婚することになったんだ」
「ほお。そりゃめでたいな」
「ありがと。猫から祝いの言葉を聞けて私は嬉しいよ」
「そこまでわざとらしく言われちゃ、言わないわけにはいかないだろ」

 昔の私を知る人から祝って欲しくて、わざとらしく吐いた言葉に猫は呆れたように首を竦める。人間臭い動作に思わず頬が緩む。見た目はどんどん可愛くなっていってるのに、中身はおっさんのままだなあ。

そんな猫に目を向けてから、ふと道の向こう側を見てみると、最も愛しい彼の姿があった。一緒に街角を歩いていた私が忽然と消えたので、彼は心配になって探し回ってくれているのだろう。……どうやらもう過去を懐かしむ時間は終わりを迎えるようだ。

「私もう行くよ。じゃ、もう二度と会わないと思うけど、元気でね」
「本当にいいのか? ……黒と話さなくて」


 彼の元に行こうと一歩踏み出した瞬間、猫から問われる。動かしていた足を止め、私は彼を見つめたまま猫を見ず、首を横に振る。いいんだ。このまま、黒とは話さないまま去っても。例え、これから先、もう二度と黒を見ることは決してないとしても、だ。

「そうか。お前もその希少な男に愛想を着かれないように精々頑張れ」
「うん。ありがと」


 猫の別れの言葉を背にして私は走り出す。その途中、流れる景色の中で私はもう一度だけ黒に視線を向けた。すると、何の引き合わせなのか、ずっと赤毛の少女に注がれていたはずの黒の視線が、何故か上がっていて、黒に向いていた私の視線とかち合ってしまった。私の目には、黒が、黒の目には、私が、それぞれが映し出される。

 そして、私が瞬時に黒のことをわかったように、黒も私だということに気づいたのだろう。黒は一瞬、驚いたように目を見開かせる。私でさえこんなにも驚いたのだから、存在すら気づいていなかった黒の驚きはきっと計り知れないものだろう。私は一瞬悩んだ末に、ぎこちない笑顔を作って、またね、と口にすると、黒は、


「ああ。またな」


 2年前と変わらない優しげな表情を私に向けて、そう答えてくれた。





 私にとっても、黒にとってもこの2年という月日はあまりにも大きかった。この2年の間に私は能力を失ったのと引き換えに、人を、黒以外の人を、信頼できる心を持ち、初めて黒以外に大切だと思える存在ができた。黒もまた、私の知り得ない2年の間に何らかの変化が訪れていたのだろう。その証拠に、黒の隣には今、赤毛の少女然り、私の知らない大勢の人々で、黒の周囲を形成している。

 時の流れが齎す変化は私にとって、黒にとって、良いことなのか、はたまた悪いのことなのか誰にもわからないだろう。何故なら、それの良し悪しを決めるのは自分しか存在し得ないのだから。でも、またバラバラになった欠片が繋がる時がきたとしたら、それはきっと、とても素敵なことだ。




流れの重みに窒息する

( それでも私たちはもがき、それぞれの道を歩んでいく )



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