教師が死んだ。

 何の脈絡もなく、唐突に。

 私は、その教師のことが大嫌いだった。説明不足のくせに、生徒に求める目標は高く、また常に、人を嘲笑っては、自分がいかに優秀かを言いたがる。ここまででも、中々反吐の出る教師であることは確かだったが、そんな中で、私が一番嫌っていたのは、話し方だった。彼が放つ言葉、ひとつひとつに厭味が含まれているように聞こえ、いつも癇に障ったのだ。思い出しただけでも、忌々しいと感じる。講義を受けながら、何度も心の中で、死んでしまえ、と吐き捨てた。そんな、教師が死んだ。あっけなく、心臓麻痺で。

話によると、その教師が、講義があるのにも関わらず、一向に大学へ姿を現さないことをコンシェルジュが不審に感じ、教師へと連絡を行ったそうだ。だが、幾度電話しても、つながることはなかった。更なる不安を感じたコンシェルジュは住まいへと訪れたが、そこでも反応はない。自分だけでは処理できないと、判断を下したコンシェルジュは各方面に連絡を取り付け、そして大家と警察と共に住まいへと踏み入れ、そして玄関先で見つけたのだ。新聞を片手に、息絶えている教師を。

心因が心臓麻痺である以上、その教師は今日、自分が死んでしまうなんて、頭の片隅にでも考えていなかったはずだ。だから、いつものように起床し、いつものように朝食を摂り、いつものように新聞を読もうと、玄関へと向かった。これが最期の行動になるとは知らず。


 彼が担当していた授業は、しばらくの間休講が続いたあと、違う教師が担当することになった。そして、その後に配られたプリントには、毎年、その教師が担当していた講義それぞれに、誰が何を担当するかのことが事細かに記載されていた。

それを見て、胸がきゅっと苦しくなる。教師が死んでも、新しい体制を立て、また回りだす日々がどうしようもないくらいに恐ろしかった。ついこの前まで確かにいたはずの存在が、消えたみたいで、まるで最初からなかったのように、いないのが当たり前になっていく感覚が酷く、怖かった。


じぶんも、こんなふうにきえていくのだろうか。


 そんな考えに至ったとき、吐き気がして、今まで以上の恐怖が私に押し寄せてきて、いつしか寝るのも怖くなった。寝ている間に死んだらどうしよう、自分が動ける一分一秒でも活動していたい。強迫概念のようなものがずっと私を支配し、私は傍から見てもはっきりとわかるほどに、衰弱していった。それでも私は、私であり続けるために、淡々と毎日を過ごした。
 今日もおぼろげな意識の中で、講義を受け、大学を後にした。友達と遊ぶことなく、そのまま岐路について、雑踏の中を静かに歩く。何度も何度も人とぶつかるが、避ける気力も怒る気力もなく、ぺこりと頭を下げ、進んでいく。そして、再び人とぶつかったとき、懐かしい声が私の名前を呼んだ。


「よう」
 誰なのか、一瞬理解できなかったが、私を見て、嬉しそうに微笑んでいる彼の笑顔で、思考が回復する。門田さんだ。

「久しぶりだな。元気か?」
「か、とださん……」


 そう言って、門田さんは何の躊躇いもなく、私の頭をぽんぽん、と軽く叩く。門田さんは私を子供扱いにする節がある。よく池袋で遊んでいたときも、いつもこうやっては私を子供扱いしていた。そんな懐かしい感触に、感化されたのか、私は突然泣き始めてしまった。

「お、おい!?」

 戸惑う門田さん。当たり前だ。話しかけたら急に泣き出されたのだ。誰だって戸惑う。私は大丈夫ということを伝えようとするが、しゃっくりが邪魔する上に、涙は止め処なく流れ続ける。

 私の状態を見て、これはただ事ではないと門田さんは判断したのか、門田さんは私の腕をつかむと、そのまま近くのカラオケ店へと連れて行った。そして、少し落ち着きを見せ始めた私に、理由を問うた。できれば、話したくなかったが、ここまで門田さんに迷惑をかけた以上、それは許されないだろう。私はしぶしぶ、門田さんに話し始めた。

涙腺が壊れているせいか、その間に私は何度も涙を零し、しゃっくりをあげた。門田さんは何も言わなかった。ただただ私の話に耳を傾け続け、私が言葉を詰まらせたりすると、時折、先程みたいに優しく頭を撫でてくれた。

そんな彼に安心したのか、気づくと私は、門田さんの膝を枕にして、眠っていた。窓から差し込む光は明るく、目を細める。朝を迎えてしまったのか。ここまで門田さんを巻き込む気はなかったのに。腕を組み、こくこく、と何度も船を漕ぎながら寝ている門田さんを見て、自責の念に駆られる。悪くことをしてしまった、そう思いながらまだ重い体を起こす。すると、元々眠りが浅いせいもあってか、門田さんも起きてしまった。

「ん、起きたか」
「ごめん、起こすつもりはなかったんだけど、」
「大丈夫だ、気にすんな」


 両手を伸ばし、背伸びをし終えると、門田さんは時間を確認し、静かに帰るか、と声をかけた。私は黙って頷き、身支度を整えた。

 帰り道は、静かだった。早朝であるから、当たり前といえば当たり前だが、道に人はおらず、車も走っていなかった。常に喧騒で埋め尽くされているあの池袋と、同じ場所であることが些か信じられない。まるで、ときを止めて、切り取ったような静かさに、ここは異次元ではないか、とそんな気さえした。


「よく眠れたか」
「うん」
「そうか、よかったな」
「うん」

 周囲の雰囲気を壊さないように、というわけではなかったが、私も門田さんも静かだった。言葉数も少なく、ただただ私の家に向かって歩くだけの作業。つい数時間前の煩さはうそみたいである。

「あれだ、」
「うん?」
「少なくとも、俺は忘れねえ」
「うん」

 正直言って、まだ恐怖を完全に払拭できたわけではない。今でも考えると、怖い。がたがたと体を震わせてしまいそうになる。でも、以前ほど、怖くなくなった気がする。一回寝たことで、頭がリセットされたからか、ずっと抱えていた思いを吐露したからか、はたまた門田さんの言葉のおかげか、それはわからない。だけど、これからは、もう少しだけ、前向きに考えていけそうだった。だから、きっともう一人でも寝れる気がする。



おやすみなさい

(20120911)
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テーマ「人外ファンタジー」
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