「エレン、無茶をしないで」

 エレンはなまえの涙が昔から苦手だった。小さい頃からミカサやアルミンと共に過ごしたなまえのことはなんでも知っていたし、どんな性格なのかも把握している。だから、どのような事態でもあしらい方を熟知していた。だけど、彼女の涙の対処法だけは大きくなった今でもわからない。小さい頃から彼女の涙を前にすると、エレンはどうしたらいいのかわからなくなり、途方に暮れてしまう。

「ジャンがムカつくのもわかるけど、エレンが傷つく姿なんてわたし見たくない」

 エレンが怪我を負った左腕にエタノールで湿らせた綿を充てながら、なまえは静かに涙を流す。ぽろぽろぽろ。なまえの目から大きな雫が何個も落ちていく。エレンは雫を掬おうと手を伸ばすが、空で止める。なまえを泣かせているのは、自分のせいであるとわかっているからだ。そんな自分がなまえの涙に触れる資格はきっとない。ぎゅっと拳を握り、エレンはなまえに気付かれないように伸ばしかけた手を戻す。

 いっそ、責めてもらった方が楽だとエレンは思う。ミカサやアルミンのように危ないと糾弾してくれた方が、言い返すなり謝るなりの対応がしやすい。なのになまえは責め立てることはせず、ただただエレンの身を案じ、涙を流すだけ。なんだっていうんだ。あまりの歯がゆさにエレンは心中で舌を鳴らす。昔から、なまえはそうだ。普段はミカサに負けず劣らずの無鉄砲なくせに、誰かが傷つく度、こうして涙を流す。そんななまえの繊細で脆く、複雑な心にどう触れればいいというのだろう。

「兵士なんだから、傷つくのは当たり前だろ」
「でも、必要以上に傷を作ることはないじゃない」
「なまえだって傷、作ってんじゃねえか」
「わたしはいいの」

 なにがいい、だ。いくら兵士とはいえ、なまえは嫁入り前の娘だ。男より傷ついていいはずがない。それにエレンは知っていた。なまえが自分たちの傷付く姿を見たくないがために誰よりも鍛錬に励んでいることを。体力のないアルミンだけならまだしも、格闘術トップのエレンや主席確実と言われているミカサすら守ろうなんて、戯言もいいところだろう。

しかし、エレンはそんななまえの行動をやめろとは言えなかった。単純に仲間を思いやるなまえの気持ちが嬉しかったのだ。おそらくミカサもアルミンも同じ気持ちに違いない。その結果、自身を責めるあまりなまえが涙を流すこととなってしまっても。

「わたしね、エレンが傷つくところは嫌いだけど、がむしゃらに突き進んでいく姿は好きだよ」
「なんだよそれ。結局怪我してんじゃねえか」
「うん。怪我してるね」

 そう言ってなまえは小さく笑う。なまえの言っていることが矛盾していることなんてエレンでもわかった。だけど、なにも言えなかった。これ以上言及してしまったらようやく笑ってくれたなまえがまた泣いてしまいそうで、エレンには怖かった。だからエレンは無茶を言う彼女の言葉に口を閉ざし、ただただ傷に染みる痛みに堪えるしかできなかった。




てんでんばらばら(201309018)