「ジャン。きみさ、ミカサが好きなんでしょう」

 唐突に投げられた言葉にジャンの思考は停止した。いまこいつなんて言った? まじまじと向かい合う彼女の表情を伺うがなまえの対人格闘術の時間に勤しむフリする姿からはそれらしい心情を読み取れない。そのためジャンは聞き間違いと処理しようとした。否、そうさせたかった。

しかしそれを阻止するかのようになまえはもう一度同じ言葉を吐き出す。二度目とあって、言葉はすんなりとジャンの耳へと届き、脳が意味を理解する。紛れもなく、なまえはジャンの恋心に勘付いていた。なんてこった。秘めたる想いを指摘され、羞恥のあまり顔を覆いたくなったが、生憎その両手はなまえの胸倉をつかむことに使われていて、覆うことができない。珍しく教官が見回りをしている今なら尚のこと。おそらくこのタイミングで指摘したのも計算の内なのだろう、とジャンは推測する。

「……他に知っているやつはいるのか」

 なぜわかったのか。その疑問がいち早くジャンの胸に沸いたが、それをぐっと堪え、はじめに認知の範囲を問う。もしこれが104期中に広がるものとしたらとても恥ずかしい上に、これからの自分の身の振りように変化をもたせないといけなくなるからだ。

想い人であるミカサ本人に知られるのもまずいし、なにより一番エレンに知られるのがまずい。ただでさえ敵対しているやつに弱みを握られる事態なんて、とてもじゃないがジャンは想像もしたくなかった。胃がキリキリするのを感じながら返答を待つと、なまえは暢気な口調「多分、わたししか知らないんじゃないかなー」と答える。

「は? じゃあなんでてめえは知ってんだよ」
 その言葉はジャンにとって、単純な疑問の解消のつもりだった。しかし、次の瞬間なまえの口から放たれる言葉によって、ジャンは再び思考を停止させる。

「なんでってそりゃあ、わたしがジャンのこと好きだからかな」
「………は?」

 いまこいつなんて言った? 激しいデジャビュを苛まされながら、ジャンは自身の耳を疑う。動揺のあまり何度も目を瞬かせるジャンになまえは笑い、話す。最初はミカサに恋慕の情を抱くジャンを見て面白がっていた、と。そしてそれを面白がっているうちに段々とジャンに惹かれてしまった、と。

 自身の感情を見透かされたことだけでも十分な衝撃だというのに、積み重ねるようにして起こった出来事にジャンの頭はついていけなかった。まずこの場合どうすればいいのかすらもわからなかった。今までの人生経験の中でこのような場面に一度も遭遇したことがないジャンはただただ困惑する他ない。

それにこれは告白、と捉えていいのだろうか。そこから疑問であった。そうだとしたら、返事しないといけなくなる。だが、なまえの承知の通り、ジャンには想い人がいる。訓練兵団に入った当初から想い続ける人が。いくら実る確立が低い相手だとしても、その想いは早々と砕けるものではない。よってジャンの言うべき言葉は決まっていた。逡巡した後、ジャンは言葉を選び、答えようと口を開く。が、

「あーそういうのいいよ。別にジャンに好いてもらおうなんて思っていなかったし」
「は?」

 雰囲気を察したなまえはそうあっけらかんにジャンの言葉をあしらう。予想外の展開にジャンは何度目かわからない間抜けな声を出す。

「どういうことだよ」
「どういうこともなにもないよ。ただこれはわたしの自己満足だよ。明後日でわたしたちはバラバラになるでしょ? だからその前に言っておきたかっただけ」

 ジャンたち第104期訓練兵たちは明後日に卒業を控えていた。そこで訓練兵たちは憲兵団、調査兵団、駐屯兵団の三つの兵団への所属を迫られる。そしてジャンは入団当初から宣言していた通り、憲兵団への入団を心に決めていた。そして、上位10位に入るのが難しいなまえが二つの兵団のどちらかになることも、明白であった。すなわち、ジャンとなまえが一緒に過ごせるのは実質あと三日しかなかったのである。

 いつ巨人が襲ってくるかわからないこのご時勢、憲兵団以外の二つの兵団ではいつ死んでもおかしくはない。だからなまえはこのタイミングでジャンへの想いを伝えたのだろう。後悔のないように。そんな素直でまっすぐななまえをジャンは心の底から尊敬した。ぐずぐずと何も言えず三年間を過ごした自分とは大違いだ。ちらり、と横目で周囲を見渡すと、エレンとミカサが隣同士にいるのが見えた。……俺にはなまえみたいな勇気を持つことはできないだろう。

「……すまん」
「気にしなくていいって。あ、でも自信もってねジャン。こんないい子を振ったジャンは大馬鹿野郎で、とっても魅力があるんだって」

 そう言ってはにかんだなまえの笑顔を前に、不覚にもジャンはどきまぎしてしまった。なまえの笑顔があまりにも濁りなく澄んでいて、美しいと感じてしまったからだ。……クソ、最低な野郎だな俺は。こんなに一途に思ってくれる奴がいるのに、自分を卑下にして。こんなクソ野郎じゃなまえにも嫌われてしまう。もう少し、自分に自信を持とう。なまえを前にジャンは密かにそう心に誓った。





「なまえ?」

 あれからたった三日だ。三日前までジャンに微笑みかけてくれたなまえ。自分に想いを伝えてくれたなまえ。まだなまえの声も表情も感触も思い出せるというのに、ジャンの前でなまえはただの肉塊となり果てていた。巨人に喰われたのか、右腹部から足の付け根の部分がなく、血がまるで生き物かのように流れている。違う班に所属する彼女がなぜこうなってしまったのかジャンには知る術はない。ジャンはたまたま近くを通り過ぎて、なまえを見つけたに過ぎない。

 そっと手に触れる。まだ死んでから間もないのか、温かみが伝わる。まめが出来ては治しての繰り返しを行ったと思われる手。おそらく少しでも成績を上げ、上位10位に入ろうと、ジャンと共に憲兵団に入ろうと努力した証であろう手にジャンの胸が締め付ける。

なまえはジャンに勇気をくれた。自信をくれた。だというのに、俺はなまえに一体なにをしてあげられたのかというのだろうか。なにもできなかった。あの時でさえ、恥ずかしさであの言葉が言えなかった。後悔ばかりがジャンの胸に募っていく。震える手でなまえの手を強く握り締め、頬に当てる。もう聞こえないかもしれない。だけど、もう後悔はしたくないとジャンは思った。だから、せめてあの日言えなかった言葉を届けよう。

「……好きって言ってくれて、ありがとうな」





世界は無常に溢れる(201309016)

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