春の温かな陽気にあてられ、うとうとと船を漕いでると、突然「さあ帰ろうぜ!」という声が耳の中に通り過ぎていった。目を開けてみれば、視界に入ってくるのは、キラキラと光る金髪の少年。思わず、違う人物の名を口に出してしまいそうになるが、首を振って紛らわせる。そんな私に少年―正臣は、不思議そうに首を傾げた。

「なまえ、どうした? はっ! まさか魅力的な俺の良さに気付いて、見惚れていたん、」
「さあ行こうか」

 いつもの如く、調子にのり始めた正臣の言葉を遮るようにして、私は日傘を持って、帝人と杏里が待っている廊下へと早足で向かい、合流を果たした。

 放課後になっても、正臣のテンションの高さは健在で、私たちは彼に振り回される。正臣のセクハラじみた言葉に赤面してしまう杏里に、杏里を庇うようにツッコむけれども、逆に揚げ足を取られてしまい、羞恥に悶える帝人に、そんな二人を見てにやにやと楽しそうにする正臣。それが、彼らの普段の光景で、日常なのだ。微笑ましい彼らを横目に、私は口元を綻ばせる。





 七年経ったいまでも私は来神高校あらため、来良学園に寄生していた。結局のところ、臨也の言ったことはすべて正しかったのだ。新羅には臨也のいつもの嫌味に過ぎない、と言って私を慰めてくれたが、違う。臨也の言葉は、図星だった。

母親と繋がるために人間になろうと擬態していたことも、錯覚したいがために半吸血鬼という現実から逃避するように周囲との距離をとっていたことも、全部、全部、事実だ。

私がまだ学生としているのが何よりの証拠で。私の古風でありながらも、時々若い子たちのような喋り方もする、どっちつかずなこの口調も、そのことを更に主張している。

 ただ、あの頃の私にはそれを受け止められるほどのキャパシティが、なかった。秘め事が露見するようで、受け入れることが恐ろしく、真実だと思いたくなかった。うそだと思い込みたかった。だから、わたしはあのとき、臨也の記憶を消した。半吸血鬼である私の存在を、人間である私の存在を、みょうじなまえである私の存在を、すべて消し去った。

 それから私は逃げるようにして、池袋のまちを出て、放浪をした。そして、彼の影が消え去ったのを見計らい、再びここへ戻っては、来良学園での寄生を再開させた。なので、私はあれ以来、臨也の姿を目にしていない。新羅伝いに新宿を拠点に情報屋という生業をしている、ということを知ったが、それ以外は全く知らない。

「ここのパフェ、おいしくて有名なんだって。入ってみない?」

 思案に沈んだ意識が帝人の声によって現実に引き戻される。帝人の指の先を追って、視線をずらせば、そこには見覚えのある喫茶店があった。出会った頃、臨也に半ば強引的に連れられたあの、喫茶店だ。

あの頃はまだ臨也がどんな人間で、どんな考えの下で行動しているのかがわからず、警戒していた。まるで昨日のことかのように、脳裏に浮かぶ情景。でも、それは既に失われた日々。元に戻ることのない日々。わかっていても、考えてしまう。もしあのときの私にすべてを受け止められる器があったら、あのまま臨也と過ごせたのだろうか、と。そんな、夢物語を。

「じゃあ、みょうじさんまた明日」
「気をつけて帰って下さいね」
「俺がいなくてさびしくなったらいつでも電話してもいいんだからな!」

 店に寄っていくという三人と別れ、私は歩いていく。何度考えたって、このいまを選択をしたのは私自身で、記憶を消したのも、逃げてしまったのも、誰の責任でもない。それでも、私はズルズルと過去を引きずってしまう。もしかしたら、という可能性を考え、なんであのとき、と過去の自身を責め立てる。その繰り返しで、我ながら情けなかった。

 どうしても考えが悪いほうへ進んでしまう。早く帰って寝よう。そう思い、歩みを速めたとき、私は進行方向先に見つけてしまった。……臨也の姿を。

背も伸び、顔つきも大人びていたが一目でわかった。彼は私の知る、折原臨也だと。脳が理解をしたとたん、体が硬直する。心臓がバクバク、と鳴り響く。正直、どうしたらいいのか、わからなかった。何もできず、固まったまま動けないでいる私をよそに、臨也は歩み続け、そして私の横を通り過ぎていく。

(はっ、無様だな)

 当然の結果だった。臨也の記憶は消したのだ。この、私の手で。だから、私に反応することも、ましてや話しかけてくることなんて、決してありえない。そうわかっているのに、落胆している自分がいた。きっと、愚鈍にも頭のどこかでは、期待を抱いてしまっていたのだろう。

 でも、これが現実だ。そう受け止めることで、幾ばくかの冷静を取り戻し、歩き出そうとした瞬間、腕をつかまれる。驚いて振り向けば、そこにいたのは臨也だった。

「……もしかしたらで悪いんだけど、俺、きみと会ったことある?」

 息が詰まった。同時に、胸が苦しくなる。じわじわ、と自身の芯からこみ上げる。気付けば、コンクリートを小さな粒で濡らしていた。腕をつかんだまま、臨也が狼狽をするのが見て取れた。

 私は、変わらない。どんなにときが流れても、臨也の言った、人間にもなれない、吸血鬼にもなれない、中途半端で孤独な、はぐれもののまま。でも、そんな化け物にだって、無くしたくないものがあったっていいじゃないか。デュラハンであるセルティが、人間の新羅と結ばれたように、私にも奇跡があってもいいじゃないか。

「……ごめんなさい。でも、嬉しくてな。私、臨也に話したいことがたくさんあるんだ。聞いてくれるか?」

 すべてを話そうと思った。私との出会いから別れについて。そして、それからのことも。リアリストの彼が、こんな荒唐無稽な話を信じてくれるか、わからない。でも、臨也なら、きっと信じてくれる。そんな根拠のない自信がどこからかわいてくる。そしたら、この七年分の私の思いの丈をすべて、吐き出そう。余ることなく、ぶつけよう。その上でもしできるのなら、あの日々の続きを、臨也と過ごせたらいい。





(20131113)