「あ゛? てめえ、その手をどけろ」
「はっ、そんな余裕こいてんのも今のうちだぜ? おまえ、これが見えねえのかよ! いいのか、この女がどうな、」
「聞こえねえのか!? どけろっつてんだろおが!」
「お、おい!」
「どけろって言ってんだろうがあああ!!!!」

 元々、私には焦りはない。級友の静雄がいる建前、例え能力が使えなくともこの場を切り抜けられると思ってるからだ。それほどまで、私は静雄の力を信頼していた。事実、静雄は相手の言い分を聴かず、片っ端から相手を殴りかかっていて、戦力の差は歴然としていた。

私がこいつらから解放されるのは時間の問題であり、どうこうされる心配は微塵もなかった。だけど、そこで私は不測の事態に陥る。

「くそがああああああ!!!!!」

 怪物、と比喩されてもおかしくない力を振るう静雄。その度に、跳ねるのは赤い血。そう、この血こそが私にとって大問題であった。私は、吸血鬼。血を主、とするもの。出来損ないでいくら衝動が頻繁にないにしろ、血の匂いで充満された場所に居続ければ、否応なしに本能が現れてしまう。人間が無意識のうちに優秀なDNAを残すように。

「(やばいな……)」

 冷や汗が背中を伝う。息が荒くなっているのが自分でもわかった。早くこの場から逃げ出したい。バックの中にある血を一刻も早く飲まない、と。だが、かといって、力を使うわけにもいかない。しかし、我慢にも限界がある。その限界がじわじわと近づいてくるのを感じ、やむ終えず力を使おうとしたとき、私の体は唐突に、自由を迎えた。

「へ?」

 気付くと、背後の少年は傍で倒れていた。一体誰が、と思うと同時に腕をつかまれ、誰かに引っ張られていく。遠くなっていく、血のにおい。突然のことに思わず呆けてしまったが、ふと我に返ってから、慌てて前を向いてみれば、私の腕をつかみ、走っていたのは、予想外の人物だった。


「はぁはぁはぁ……」

 あの場所から少し離れた人気の少ない路地裏に連れてくると、そいつは私の腕をやや乱暴気味に放しては、壁へともたれかかった。顔にはうっすらと、しずくが浮かび上がっていて、呼吸も苦しそうに見える。いつも憎まれ口を叩く、彼らしからぬ姿に動揺が隠せない。だから、思わず声がこぼれたのだ。その人物の名前を。折原臨也、と。

 声に反応して、折原臨也は私を見る。彼は嘲るように薄く笑うと、吐き捨てるように言う。
「人の名前言ってる余裕なんてあんの? やばいんでしょ」

 なぜ折原臨也がここにいるのか、なぜ私を助けたのか、訊きたいことはたくさんあった。けれど、折原臨也が再び、私の手首をつかみ、自分の下へと引き寄せたことで、それらが一気に吹っ飛ぶ。身近に聞こえる血液の流れる音。だめ、だ。理性が持たない。衝動が強まってしまう前に、離れなければならない。

「っ、だめ。離れろ……!」

 折原臨也の肩を押し返し、腕から逃れようとした。が、折原臨也の腕から逃れるどころか、折原臨也は私の後頭部を手つかむや否、自分の首下へと誘導させた。においに反応し、喉奥がかぁっと熱くなり、のどが、渇く。私は本能に苛まされながらも、必死の抵抗を示すが、折原臨也が汲み取る様子はない。

「おりはら……い、ざや。やめろ、離せ。取り返しのつかないことになる」
「なんでもいい。吸いなよ」

 その言葉で、私の中の理性が弾け飛んだ。折原臨也と、私の呼吸音だけが周囲に響き渡る。私はゆっくりと彼の首筋に近づく。かおる、折原臨也のにおい。頭がくらくらする。何も考えられなかった。甘美なるにおいの魅力には抗えず、私は導かれるようにして首筋に牙を立て、そして折原臨也に私は――





(20130918)