泉の水を汲み上げ、試しに家で使っている井戸の水の両方を差し出してみる。
彼は先ほどよりも少し血色の良い顔でその両方を見つめ、困ったように俺を見返した。



「何だい、これは」
「水だ。好きな方を選べ」
「……じゃあ、こっち」



そうして彼が手を伸ばしたのはやはり泉の水だった。喉を鳴らして実に美味しそうに飲みほし、ゆっくりと器を床に戻す。
試しに井戸の水を進めてみたが、それは飲めないと首をふられてしまった。



「汚れているからか」
「そうだね。俺の身にその汚れは強すぎる」
「お前は人ではないだろう。ならば、お前は一体何だ?」
「俺は……」
「あの女たちは天女か?ならば、お前は天男とでも言うべきなのか?」
「違うよ。君は思い違いをしている。あの女たちは天女と呼ばれるものじゃないし、俺はその仲間でもない。全く別のものだ」
「では、それは一体何だ?」



そう俺が尋ねると彼は答えられない、とでも言いたげに首を振った。いつの間に着直したのか、しっかりと帯まで絞められている着物が微かに揺れ、彼は黙って俯く。
水を与え、落ち着いたこともあってか態度は少し軟化したが、やはり詳しい事は喋らない。
小さくため息をついて立ち上がると、彼は怯えたように身をすくめた。



「手荒な真似はしない。俺は食事にするが、お前も食べるか?」
「……食べ物、食べた事ない」
「水だけで生きるのか?」
「そうだよ。俺たちは水だけで生きる。食べ物を食べた事なんてない」
「そうか。……やけに積極的になったな」
「だって、話さないと帰してくれないんだろう?」
「その通りだ」



彼の残した井戸の水と泉の水が入っていた器を片付け、俺は彼に背を向けて食事の用意をする。
扉を閉じるかどうか迷ったが、縄を繋いでいることを考えれば必要性は感じられなかった。
どうやら彼はその開けはなられた扉越しにこちらをじっと見つめているようで、強い視線を感じた。
時折こっそりと様子をうかがってみると、興味津津という表現がしっくりくるような顔でこちらを見ていた。

元々、食は太い方ではない。簡素な食事を用意するのにそんなに時間はかからなかった。一応彼の分も準備して盆に載せる。
それをもって彼の部屋に向かい、縄を一杯に伸ばしてこちらを覗いていた彼の傍に腰を下ろす。
穴があくほどにとは良く言ったもので、彼の視線は本当に穴をあけそうなほどに強い。



「……そんなに珍しいか?」
「珍しい!ねぇ、それは何?」
「これは魚だが」
「さなか?さなかって何?」
「さなかではない。さかな、だ」
「さなか……さな、さか、さかな?」
「そうだ」



目を輝かせて単なる焼き魚を見つめ、指で時々突いてはその熱に驚いて身をすくめる。
その姿はさながら幼い猫だ。それが何も知らずに何でもちょっかいをかける様に良く似ている。
それより、彼は今の状況を分かっているのだろうか。自分を監禁している相手が目の前にいるというのに、この態度は一体何だ。



「その、さかなは美味しいの?」
「人それぞれだとは思うが……食べるか?」
「食べる!」



もう一組箸を用意してやると、彼はそれを拳で握り締めて魚をつついた。どうやらものを食べた事はないが、食べられない事はないようだ。水を飲めるのだから、それも当たり前か。
ぼろぼろと魚を崩すばかりで一向に食べられていない現状を見かね、橋の持ち方を簡単に教えてやる。
どうにか箸をまともに持った彼は、やっと一口目を口に運び、目を見開いて驚きを表現していた。



「美味いか?」
「美味しい!ねぇ、これは?これは何て言う食べ物?」
「それは主食になる食べ物で、米、という」
「こめ?」
「そうだ」



へぇー、と呟きながら彼は米、というか炊いたご飯を口に運び熱そうに顔をしかめ、それでもどうにか飲み込んで満足そうに笑う。
どうやら食事の概念をのみ込むと間違えているらしく魚もご飯を噛んだ様子が見られない。何も食べた事がないというのは真実のようだ。



「あぁ、そういえば」
「ん?」



口いっぱいに魚を含んで彼が首をかしげた。どうやら、魚がお気に召したらしい。



「お前の名は?」
「言ってなかったけ?俺は幸村だよ。幸村精市」
「精市か。俺は柳蓮二だ。蓮二と呼んでくれ」
「分かった。ねぇ、蓮二。この白いの何?」
「それは豆腐だ。それよりも、精市」
「うわ、これふにゃふにゃだ!……何?」
「お前、何故そんなにはしゃいでいるんだ?」
「何でって……だって、初めて食べるし」
「俺はお前を無理矢理ここに連れ込んで繋いで閉じ込めているんだぞ?そんな奴の前でのんきに食事をしていていいのか?」
「んー、父さんがさぁ、悪い人間は見たら分かるって言ってたんだ。でも、君はそんなに悪い人っぽくないし」



もがもがと魚やら豆腐やらを口に含んだまま言われても、あまり説得力がない。
彼の顔は真剣そのもので、その言葉が真実だという事はなんとなく分かったけれども。



「上の事が知りたいって言ってたし、君が俺を捕まえたのはそれだけの理由だろ?それくらいなら手伝ってあげるよ」
「それくらいなら?」
「そう。時々降りてくるけどね、他に出会った人間は俺を檻に放り込んで殴ったりけったりしたよ。その度に助けてもらったけど」
「助けてもらった?」
「父さんに。だから、君を手伝おうと思ったんだ。そりゃ拘束されたり何も飲めなかったのは辛かったけど、美味しいものを食べられたから帳消し!教えられることなら上の事教えてあげるよ」
「……移り気なんだな」
「ふふ、そうだろう?」



悪戯っぽく笑う彼を見ていると思わずため息が出た。
なんだか、だんだん彼の性格が変わってきているような気がする。協力的になってくれることに文句はないが、こんなにも砕けていていいのだろうか?



「さっきは水が飲めなかったから気分が悪かったけど、大分治ってきたし。さっき俺に何聞いた?」
「お前は一体何だ、と」
「うん、じゃあ教えてあげる。俺はね───神の子だよ」






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