彼はとても美しかった。その美しさは俺の住む家に囚われても失われず、それどころかその身が放つ光は増したように感じられた。
美しすぎて、眩しすぎて、その姿をまともに目に移す事が出来ない。それがひどく、苛立たしくて腹立たしい。

引きずられて床に放り出された彼は泣いていて、その瞳から流れる涙がぽろりぽろりと微かな音を立てながら滑って床に落ちていく。
彼は俺を見上げながら、うずくまって床にへばりつて、まるで俺から少しでも逃げようとするかのようにあがいている。
惨めだ、と思った。逃げ回れるだけの広さがある部屋ではない。どれだけ離れたって、少し歩けば手が触れる距離。その中に囚われながら、俺から逃げようとするなんて。なんて、愚かなのだろう。



「……俺を、どうするの?」



見つめ合った状況から、先に口を開いたのは彼。着物の襟元を掻き抱き、微かに震える身体から押し殺すような声を発した。ひどく、単調な問いだった。
俺は無言で唇を吊りあげ、普段浮かべることのない笑みを見せてやる。彼は怯えたように息をのみ、それでも俺から視線を外さずに問いの答えを求めていた。
この気位の高さはどこから来るのだろう。天から落ちてきた人間というのは、これほどまでに誇り高きものなのだろうか。それとも、彼の性情がそうだというだけか?



「お前は、どうして欲しい?」
「お、れ……?」
「そうだ。お前の望みを聞かせてみろ」
「俺は……帰りたい。上へ、皆の所へ」
「それは聞けない」



首を横に振ると、彼は失望したような色を瞳に浮かばせ、そしてそこにほのかな怒りを含ませた。



「俺は帰りたいだけだ」
「では、他には何も必要ないと?」
「必要ないよ。俺を返してくれ。上へ、戻してくれ」
「それだけは聞けない。衣を返す事も出来ない。それ以外でどうして欲しいか考えろ」
「いらないって言ってるだろ!」
「そうか。なら、ここで大人しくしているんだな」



そう言いきって背を向ける。けれど、やり残したことがある事に気付いて、くるりと方向転換した。俺の急な動きについていけていない彼の傍を通り過ぎ、部屋の隅に丸めて放置していた長い縄を拾い上げる。
それを持って彼に近づくと、何が起こるのか予想がついたようで彼は逃げようと立ち上がった。
けれどその抵抗も虚しいもので、彼が俺から遠ざかるよりも早く彼の腕を掴みその両手をまとめてひとくくりにしてしまうと、ふらふらとその場に崩れ落ちた。
足を結ぼうかとも思ったが、両手を塞いでおけばどうする事も出来ないだろう。



「声を上げれば聞こえる範囲にいる。何か必要になれば言うといい」
「…………」



彼は返事をしない。涙が一杯にたまった虚ろな瞳から涙を零しながら、ぼんやりと空中を見つめている。
己の身に起きた事を理解していないのか。否、理解したくないから逃げているだけだろう。

無言で踵を返し部屋を出た。かたん、と扉の閉じる音が嫌に大きく響いた気がした。





聞きたいことはたくさんあった。けれど、ただ聞いたのでは彼は答えないだろう。強情に、ただただ己の自由を求める声を上げるだけだ。
もはや彼は鳥籠に閉じ込められた小鳥だというのに。抵抗したって、頑丈な金属の網は破れない。もがいたって、彼ではあの縄は外せない。
だからこそ、彼を心から屈服させる必要がある。彼から求めさせ、身も心も全てを屈辱と恥辱にまみれさせるのが一番良い。そうすれば、彼は容易く俺に心を開かざるを得なくなるだろう。

誰もいない部屋で暗い笑みを浮かべると、自分が狂ってしまったかのような錯覚に捕らわれる。
俺は狂ってなどいない。未知のものに対する好奇心が、今の俺を動かしている。知らないものを知りたいだけだ。それを知るために、効率の良い方法を取っているだけ。
そう、誰がどうなっても良い。俺は彼の持つ俺の知らない知識が欲しいのだ。





けれども彼は強情だった。三日間放置してみたが、一度も声を上げず何も求めず、ただただ毎日を泣いて過ごしていた。
食物や水分の摂取を必要としないのだろうか。それとも、我慢しているだけなのか。けれど、人間だったら一日水分補給ができなければ死ぬ可能性もある。
予定は崩れるが、仕方がないだろう。彼が死んでしまったら、元も子もないのだから。


久方ぶりに扉を開くと、閉じた時の同じ虚ろな目がこちらを見据えていた。涙は浮かんでいないが、もしかすると枯れたのかもしれない。
ゆっくりと近づいても、彼は身動き一つせずぼんやりと俺を見つめているだけ。両手を結んでいるせいで動けないのかとも思ったが、そうでもないようだ。
傍にしゃがみこんで腕を見ると、結んだ縄で擦れた部分が真っ赤に腫れあがり血が滴り落ちていた。彼の血も赤いようだ。
とりあえず縄を解いてやり、無言でその部分に薬を塗りつける。傷つけるのが目的ではないのだから、これくらいのことはすべきだろう。

手当が終わり、今度は片足に縄を結びつけた。縄と皮膚の間に布をはめ込み、擦れないような工夫を施す。これで傷つくことはないだろう。
そうして運んできた水差しを彼に差し出すと、彼はようやく俺を見た。その黒瞳に俺の姿が映っていて、そこに映る俺は俺ではない程に神聖化されていた。



「水だ。飲まないのか?」
「どうして……俺を助けるの」
「俺はお前が殺したいわけではない。お前の話を聞きたいだけだ。だが、普通の状態では話さないだろう?だからこそ、心から攻めていこうと思ったが……思ったよりもお前は強情だな」



そう言ってふっと笑うと、彼はのろのろと水差しに手を伸ばす。弱り切っているせいでうまく身体が動かないのだろう。見かねて手を貸してやり、ようやく水を少しだけ飲み込んだ。



「何か食べるか?それより、お前は腹が減るのか?」
「食べない。物は食さないけど……綺麗な水が欲しい」
「それで生きているのか?」
「……そう、だと思う」



歯切れの悪い返事。それでもまた一つデータが増えた。
俺は無言で頷き、水差しを置いて立ち上がる。あの泉の水は大丈夫だと言っていた。そこから汲んでくればいいだろう。

そんな事を考えながら部屋から出る間際、彼が小さく呻いたような気がしたが気のせいだと思う。
閉じ込められて、絶食を強いられて、その相手にそんな言葉を言うはずがない。


傍にいて、なんて。






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