俺を木の棚に置いてくれた女の人間はすぐにいなくなってしまって、俺はぼんやりと空中を眺める。
棚の木も壁の木もどちらも口数が少ないようだ。試しに何度か話しかけてみたけれど、返事は愚か何かの仕草さえ帰って来なかった。
視界に広がる世界を見てみても、見知らぬものばかりが広がっている。知っているものなど、一つもなかった。



「朔…?」



先ほどとは違う人間の声。女のものよりも低い、おそらくは男の声。
首を回そうとして失敗しながら、俺は声の主をどうにか視界に入れた。彼に開けられたのだろう扉の木が怒ったようにぶーんという低い声を上げている。
男はそんなことには気づいていないようで、何度か辺りを見回してからため息をついた。



「どこにいるんだよ……」



大きな声で女の名前であろう言葉を叫びながら、男はきょろきょろと部屋の中に入ってくる。赤い髪が眩しいほどに輝いて、俺は思わず目を閉じた。
足音が徐々に近づいてきて、やがて目の前で止まる。



「……なんだ、これ」



女のものよりも硬い手が俺をつまみ、くるくると数回回す。目をそっと開くと、紫色の瞳が目の前にあった。
好奇心一杯の、子供のような瞳。
綺麗な瞳だった。

しばらくそうして見つめ合っていると、ふいにどこかから物音が響く。赤髪の人間はそれを聞くと、俺をそっと棚に戻してまた歩きはじめる。
けれどそんな必要は無かった。すぐに奥に合った影から先ほどの女が飛び出してきたのだから。



「ブン太!どうしてこんな所に?」
「どうしてって……隣に住んでんのにどうしたもこうしたもねぇだろ。最近、落ち込んでるみたいだったから……気になったんだよ」
「あぁ、赤也に会いに来てくれたのね、嬉しいわ!あのこ、昨日やっと帰って来たのよ!」
「はぁ?お前、何言ってんだよ!?赤也ってお前の子供の名前だろ?」
「そうよ、当たり前じゃない!」



赤也。
あの時、女は俺に向かって赤也と声を上げたはずだ。
女の子供の名前が赤也。ならば、俺は赤也じゃない。俺の母さんは人間なんかじゃないんだから。

赤髪の男は困惑したように女を見つめるが、女はそれには気づかずに微笑んでいる。
ふわりと踊るように駆け寄ってくる女の顔は、本当に幸せに充ち溢れていた。



「ほら、見て!やっと帰ってきてくれたのよ!」
「お前……何言ってんだ…?」



女は俺をそっと持ちあげ、きつくきつく抱き締める。
きしきしと小さく身体が軋んで、ほんの少しだけ痛かった。



「何って……ほら、赤也よ、ちゃんと見て。帰ってきてくれたのよ、この子」
「そいつは……それは赤也なんかじゃないだろ!よくみろ、それは………!」



そうだ、俺は赤也なんかじゃない。俺が赤也で、人間の子であるはずがない。

だって、だって───。
だって、俺は─────・・・。



「それはただの木の人形だろ!お前の子供じゃないんだ!」
「どうして……どうしてそんな事を言うの!?この子は私の愛しい子供よ!」
「やめろ!よく見ろよ、朔!手の中にいるのは何だ!?お前の子供かよ!?」
「そうよ!」
「子供に死なれて悲しいのは分かるし、現実を見たくないのも分かる……でも、そんな事はすんな!現実から逃げたって、辛いのはお前だけだ!」
「赤也が死んだ?そんなはずないでしょう!赤也はここに……ここにいるもの!もう離さない!もう……二度とこの手を放したりしない!」



耳元で叫ぶ女の声がきんきんと頭に響いて、俺はその気持ちの悪さに酔ってしまいそうだった。
らちが明かないと思ったのか、赤髪の男が女に駆け寄り、俺を無理矢理引き離す。
その瞬間、女が絹を劈くようなすさまじい悲鳴を上げた。男が驚いたように後ずさって、俺をそのまま床に落とす。



「きゃあっ!赤也、赤也っ!」
「それは……それは赤也じゃない…………赤也じゃないんだ………」
「ブン太、出て行って!私の子供に乱暴しないで!」
「………っ!」



男が身をひるがえしてどこかへ消え去る。
後に残ったのは、すすり泣く女の泣き声だけだった。






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