月が沈み、太陽が昇る
それは世の条理として当然の帰結で、そして変わる事のない永遠だ

終わりも、そして始まりさえも失って
ただ月日は流れ、時は満ちていく

恋い焦がれるかのようにその光を求めても、闇に巣食うべき俺がそれに触れる日は来ない
どんなに望んでも、どんなに足掻いても、それは遠く離れた空に浮かんで遠い所へ消えていくだけだった






欠けた月は尚も美しく






夜が明けて日が昇っても、魔王の城は薄暗いままそこに鎮座していた。空に浮かぶはずの太陽は厚い雲に隠され、その光は少しも感じられない。
握り慣れた大剣の感触を確かめてから振り向けば、見慣れた仲間と案内人たちを一望できた。


「先程打ち合わせたとおり、魔王を発見しても攻撃はしなくて良い。だが、事の顛末がどう転ぶか分からない以上、気は抜かずにいつでも戦える準備を整えろ」


柳の声が淡々と事項を述べれば、各人が口々に返答を返す。その余韻が完全に消えてしまってから、再び魔王の城に向き直った。
魔物の気配に満ちた薄暗い城。そこに一人住んでいる、人間のような心を持った魔王という存在。果たして、彼はこの試みに応じてくれるだろうか。


「行くぞ」


見上げようとすれば、首が痛くなるほどに視線を上げなくてはならない巨大な扉を潜り抜け、その先にあるエントランスに足を進めた。
不気味な暗さと時折響く魔物の咆哮。そして、床に点々と散らばったかつて人間だったであろうもののなれの果て。それを視界の隅に収めながら、一歩ずつ慎重に城の中へと入り込んでいく。

この広大な城の中から魔王を探すのは骨が折れるだろう。内部を一周するうちに日が沈む可能性も高かった。手分けして探索するのも一つの手だが、分散している所を魔王の襲われる危険性がある以上、それを強行するのは気が進まない。
時間をかけて少しずつ捜索範囲を広めるか、それとも乱雑さに目を瞑って大まかな探索で満足するか。それを口に出して仲間に提案する前に、だだっ広いエントランスに突風が吹き荒れた。


「風の要素系魔法だな。魔王直々にお出迎えという訳か」


柳の呟きと共に、吹き荒れる風の中に黒い闇の輝きが混じる。仁王が丸井を抱きしめて庇い、その前に柳生が立ち短杖を構えた。赤也が長剣を握りしめて笑みを浮かべるのと同時、ぴたりと風が止んだ。
先程まで響いていた魔物の声もいつの間にか途絶え、痛いほどの沈黙に支配されたエントランスの上部、階段から繋がる踊り場に魔王が佇立していた。
群青色の髪と瞳が妖しく輝き、感情の浮かばない視線がじっとりとこちらを見つめている。


「また君たちか。昨日あれほど痛めつけたのにまだ足りないのかな」
「お前に、問いたい事がある」
「昨晩の続き、という事かな。残念だけど、俺には君に付き合う義理はないよ」


魔王が無造作に片手を上げれば、その手の周囲を黒い光が踊った。すかさず蓮二が長杖を構え、辺りに炎を湧き起こす。


「待て、蓮二!」
「弦一郎。これを見てもまだ、魔王に心があるなどと思うか。一方的に襲われれば、次こそ命を奪われるかもしれない。それを黙って見ていろと、そうお前は言うつもりか?」
「違う、俺はっ……!」
「やっぱ魔王は魔王ですって! 太陽神が言うじゃないですか、魔王こそ悪、って。だったら、話なんてせずに倒すっきゃないっしょ!」


長剣をくるりと振り回して、瞳を赤く染めた赤也が魔王を睨み付けた。それを真っ直ぐに見返して、無感動な表情のままに魔王が首を傾げてみせる。


「太陽神、太陽神、太陽神。ここに来る人間達は、誰もが盲目的にそれを信仰している。何かに縋らなければ、自分の生き方さえ決められないのかい?」
「うっせーんだよ!」
「赤也、待て! 一人で突っ込んでもっ……!」


小柄な影が一直線に魔王に向かって駆ける。階段と壁を使って最速で魔王に唐突した赤也が剣を振り被るのと、柳の放つ炎球が魔王に向かうのとはほぼ同時。普通ならばそのどちらかを避けようとすれば、もう片方が魔王を傷つける事になる。しかし、当の魔王はつまらなそうにそれを見やり、ため息をついた。その片手が赤也の剣を絡め取り、周囲に浮かんだ闇が炎をかき消す。
圧倒的なまでの余裕を保ったままに攻撃を無力化した彼は、人形のように整った顔に凄惨な笑みを浮かべて見せた。その仕草さえもがどこか芝居がかっていて、現実味がない。
捉えられた赤也が唸り声と共に剣を震わせるが、魔王の握力はそれをものともせずに剣を捉えて離さなかった。呆然とその姿を見上げ、背後から響く誰かの息を飲む音に自分も戦うべきなのだと急かされたような気分になる。
けれども、どうしても魔王に剣を向ける気にはなれなかった。それを倒さなくてはならない事など、誰よりも分かっている。魔王討伐を生きる目的としてきた自分に、それ以外の道が無いこともよく理解していた。

それなのに。剣を向ける、覚悟ができない。
あまつさえ、心の奥で響く声がある。魔王を倒す事に、何の意味があるのか、と。


「あれだけ無様な姿を晒しておいて、何の策もなく突っ込んでくるとはね。馬鹿を通り越して、いっそ清々しい程の間抜けだ」
「んだとっ……!」
「ほら、返すよ。ちゃんと受け取るんだね」


長剣を握りしめたまま、魔王が片手を振り上げる。剣を通じて赤也の身体も宙に浮かび、その言葉の通り階段下のこちらへと放り投げられた。低い声で柳が呪文を詠唱し、それによって巻き起こった強風がその落下速度を緩める。
どうにか無事に着地した赤也を鼻で笑ってから、魔王が再び片手を掲げた。


「早くこの城から、そして俺の領地から出ていくんだ。むざむざとその命を捨てる為にここに来た訳じゃないだろう?」
「俺たちはお前を倒す為にここに来た」
「そうだね。でも、それは決して叶わない。なら、無駄死にする前に帰るべきだよ」
「俺は、お前に尋ねたいことがある。それを果たすまで、帰る訳にはいかん」


冷たく瞳を細め、魔王が唇を裂いて笑う。その笑みはどこか歪んで、何か苦いものを飲み下しているかのように引き攣っていた。
そんな表情を浮かべる魔王に、会話をする余地があるのか、それさえも分からない。けれども、昨日聞いた彼の慟哭のような叫びが、耳から離れない。彼の疑問は深く自分の中に根付いて、心の奥にある虚無感と共にそこに留まっていた。


「俺の温情を受け取らないのなら仕方がないね。死ぬ時は自分たちの愚かさを恨むと良い」


緩やかに、優雅さを保って振り下ろされた腕から闇の魔法は飛び出さなかった。一瞬だけ訪れた沈黙がその場に満ち、次の瞬間獰猛な唸り声にかき消される。エントランスから城の奥へと続く暗い通路から、金色の目が何対も輝いた。獰猛な響きがさらに大きくなり、時をおかずに漆黒の獣がそこから姿を現す。魔王の城を取り囲む森に出現する魔物の一種だ。
床に着地してから座り込んだままだった赤也が飛び上がるようにして起き上がり、長剣の切っ先を魔物に向けた。その口元には酷薄な笑みが浮かび、明らかな愉悦の表情が窺えた。その背後に長杖を構えた柳が進み出て、その先を同じく魔物に向ける。


「いつも言っている事だが、前に出過ぎるな。魔法に巻き込まれても責任は取れない」
「分かってますって!」
「蓮二、赤也、」
「弦一郎、お前は上へ行け。俺たちの攻撃が魔王に効かない事は先程の交差で理解した。ならば、お前のその強情な思い込みで魔王と気のすむまで話をしろ。そして、満足してから答えを出せ。その結果に、俺は口を挟まない」
「俺は戦えたらなんだっていーんで、好きにしてください!」


あっけらかんと言い放って、彼らは真っ直ぐに魔物に向かっていく。それでも迷ったままに立ち尽くせば、無感動な表情を動かさずに魔王が暗い通路に消えていくのが見えた。
追いかけるか、否か。魔物程度ならば彼ら二人で十分に戦えるだろう。先程の言葉に甘えて、魔王を追いかけてしまえばいい。もう一度対峙して、問わねばならない。けれど、本当に追いかけても良いのか。わざわざ魔王と話をして、心を重ねる必要があるのか。
葛藤のまま剣を握りしめて迷う真田の肩を、ぽんと軽く叩く手があった。振り向けば、穏やかな笑みを浮かべて短杖を握った柳生がそこに立っていた。


「真田君、行って下さい。私たちは大丈夫ですから」
「しかし、これは全て俺の身勝手な願いだ。実を結ぶかどうかさえ分からぬ、思い付きでしかない。その為に俺はお前たちを危険に晒している」
「そもそも危険を疎むようであれば、こんな所まで君についてきませんよ。真田君がどうしてもと直感で思うのなら、それはきっと正しい事です。例えそれが間違っていても、その時に正しい道を探せばいいのです」
「俺は……魔王に問うて、何を知りたいのだろうな」


話をして分かり合えるような相手ではないのに。価値観も種族も違う、別の生き物だ。そんなものに人間の疑問を尋ねたところで、まともな返事が返るとも思えない。
最初の交差の一瞬、そして昨夜の邂逅。ただそれだけの関係で、これまでの努力を全て覆そうとしている。その愚かさは十分に分かっているのに、どうしてもこの胸中の疑問を消せない。


「私が答えられる問いではありません。その疑問を解決できるのは、あなただけですよ」


そう言い残して、柳生が魔物と戦闘を繰り広げる二人の傍へと歩み寄っていく。戦闘用の光魔法と、そして時には癒しの魔法で彼らと共に戦うのだろう。
ちらりと視線を走らせれば、壁際で丸井を庇って立ち尽くしている仁王と目が合った。赤い口内が三日月のように歪み、すぐに視線は逸らされる。赤い頭が仁王の腰にしがみついているのを一瞬見つめてから、すぐに身体の向きを変えた。
魔王の姿は既にない。けれど、魔法で移動されていなければ走って追いかければ追いつけるだろう。
階段を駆け上がって、魔王が消えたであろう通路に飛び込んだ。形だけ握りしめた大剣が何故かいつもよりも重いような気がして、そう感じてしまう自分を心の中で叱咤する。
通路に響く自分の足音が、どこまでも追いかけてくるような、そんな気がした。




求める答えさえ知らなかった

けれど、何かを知りたかった


2012/09/11



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