人間が、怖かった。
ひっそりと暮らす彼の居場所を踏み荒らし、口々に魔王を倒せと叫ぶ人間が。

抵抗しない彼を人間たちは嬲り、嘲り、そして殺そうとした。
なにもしていないのに、と絶望に染まった声を上げれば、醜く顔を歪ませて人間たちは笑った。


『お前は魔王だ。魔王は死ななくてはならない』


生きることさえ許されないのか。
闇の中で息をすることさえも、咎められなければならないのか。
何故だ。何故そうまでして虐げられなくてはならない。
ただ生きているだけなのに。人間たちと同じように生まれ落ち、本能の望むままに呼吸をすることが、何故許されないのだ。

傷つけられた身体を起こし、力を爆発させて蹴散らした人間たちに囲まれながら慟哭する彼の声を、聴く者はいない。






望まない未来を生きていく






「仁王君」


月と太陽が入れ替わりを始める時刻。
微かに残った月光に髪を輝かせながら、薄い笑みを浮かべたまま銀髪の男が振り返る。


「なんか用か。魔法使い」
「用という訳ではありませんが………何度も言っていることですが、案内はもう既に終わっています。私たちは魔王を倒すまでここを離れるつもりはありませんし……あなたたちだけでも先に……」
「その話に対する返事はもうしたはずじゃ。俺はお前さんらが魔王を倒すまで案内をやめん。城の中を案内できるのは俺だけじゃ。城の中の道順が、お前さんらには必要じゃろう?」
「しかし………」
「におー、どしたんだよぃ?」


なおも食い下がろうとした柳生の背後から、まだ幼い子供が飛び出した。真紅の髪を翻した子供は、仁王の腰にしがみついて柳生を見上げてくる。
その瞳が、仁王をいじめるな、とでも言いたげな光を放っていて、柳生は思わずたじろぐ。


「丸井、なんでもなかよ。じゃけん、もう少し休みんしゃい」
「いやだ! 俺、仁王の傍にいる。この森、怖いもん」
「ほら、丸井君も怯えています。やはり君たちだけでも先に……」
「黙りんしゃい、魔法使い。俺たちには俺たちの生き方がある。お前さんらが魔王討伐を目的としとるように、俺らにも目的があるんじゃ。そのために俺らはここにおる。お前さんらに口出しされる筋合いはなか」
「そーだぞ、俺たちは魔王に……っ!」


無表情のまま丸井の口を手で塞いだ仁王は、金色の瞳で柳生を睨み付けた。無言の威嚇と牽制をそこから感じ取り、柳生は黙って身を引いた。
これ以上言っても藪蛇になるだけだろう。彼らは彼らの目的を諦めないだろうし、それを遮る権利を柳生は持っていない。
背中を向けて立ち去る寸前、振り向かないままに告げた。


「日が昇り次第、魔王の城に再び侵入します。中で魔王と出会えれば、真田君が話をするそうです」
「好きにしんしゃい」


背後から響いた声が、やけに楽しそうに弾んでいたような気がして。
振り返るべきか迷ったけれど、結局最後までその勇気は出なかった。





「におー」
「なんじゃ」
「魔王と話しすんのかよぃ」
「そうらしいの」


不満そうに頬を膨らませている子供の頭を一撫ですれば、子供はすぐに笑顔を取り戻した。その単純さが少しだけ羨ましくて、ため息交じりにその額を指で弾く。
痛そうに身をすくめた子供を身体から引きはがし、その場に腰を下ろす。月を見上げれば、それはあの日と同じように鈍く輝いていた。


「におー。俺は怖くなんかないぞ」
「そーか」
「だから、ちゃんと連れてってくれよ。置いて行ったりすんなよな」
「……そうじゃな、考えとく」
「なんだよ、そこは頷けよなー」
「うるさく騒ぐなら連れて行かん」
「やだっ! おとなしくするから!」
「なら黙って眠りんしゃい」


何度も頷いて地面の上に直接寝転がった子供が、そのまま眠りに落ちていくのを眺めていた。
寝つきの良い、手のかからない子供。こんな子供だから、飽き性の自分にも育てることができたのだろう。纏わりつく幼い子供を煩わしいと思ったことは何度もあるけれど、それでも見捨てて森の中に放り出そうとは思わなかった。
まだ浅いだろう眠りを覚まさないよう、そっと手を伸ばして赤い頭を撫でた。


「絶対に見つけちゃるけんの」


だから、と言葉を続けようとして、けれどもその先は声にならなかった。





「はぁ、魔王と話?」
「そうだ」
「なんでまた魔王と話なんて……」
「さあな。弦一郎には弦一郎なりの考えがあるのだろう」
「にしても、ちょっとおかしくないっすか」
「魔王と話をしようとすることがか?」
「それもっすけど……あの人に限って、情が移るとかないでしょ?」
「ああ」
「ならなんで話なんて……」


理解できない、という表情を浮かべた赤也に向けて、ため息を一つ。
口ではどう言おうと、内心は同じだ。理解できないし、意味が分からない。説明できないから、ただ曖昧に誤魔化すしかない。
何度考えても、彼が何を望んでいるのかが分からない。魔王を倒すために生まれ落ち、厳しい修行に耐え、やっとここまでやってきた彼が、魔王討伐以外を望むとは思わなかった。
彼の目的はただそれだけだと思っていたのに。


「心境の変化、か」
「はぁ?」
「いや、なんでもない。それよりも、赤也。少しでも休んでおけ。明日、魔王と話をするといっても、その後戦闘にならないとは限らないのだぞ」
「はいはい了解、っと」


気楽そうににっこりと笑い、片手で剣を振り回しながら赤也が寝床へと戻っていく。それを見送って、ちらりと視線を彼に飛ばした。
こちらの会話が聞こえているのかいないのか、彼は大剣の前に坐したまま、微動だにしない。
魔王を倒すための精神統一ならばこれほど頼もしいことはないが、おそらくその心の内は別の事に満たされているのだろう。
何を考えているのか、じっくりと腰を据えて話を聞いてみたいとも思ったが、集中を途切れさせてしまうのは悪いような気がして、声はかけられなかった。
代わりに、先ほどよりも大きなため息を吐き出す。一瞬だけ、彼の背中が動いたような気がしたけれど、それはおそらく気のせいだったのだろう。





銀色の月が、無慈悲な輝きを宿して空に浮かんでいる。
その光と反発するように、城から少し離れた空き地で赤い炎が踊っている。今日やってきた一行の野営地だろう。
僅かに目を凝らせば、炎に揺れる影が見えた。先ほど交わした会話を思い出し、忌々しい感情が湧いた。


「なにが、呪われた存在だ」


無責任な人間たちは彼を強い呪縛で縛り付けておきながら、そのことを忘れてしまっている。
なりたくて魔王になった訳ではないのに、あたかも彼が世界を壊そうとしている存在であるかのように責め立てる。
城から出ることすらできない彼に、一体何ができるというのだろう。


「なにが……なにが、魔王だっ……!」


彼を呪い、彼を縛り。
彼を城に閉じ込めているのは、人間だというのに。
強い力を込めて窓枠を殴りつければ、びしりと固い音と共に窓枠に罅が入った。
それを視界の片隅で捉えながら、尚も静まらない怒りの感情を抑えようと深呼吸を繰り返した。




どちらが正しくても

この世界はひどく残酷だった


120902



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