真っ暗な世界の中でも、目を開いていれば何かが見えた
見たいものも、見たくないものも
全部平等に、視界の中に映っていた

それらに何かの感情を抱く事はなかったけれど、時折虚しさを感じる事はあった
本当に見たかったものは、こんなものではなかったのに






光と闇がまざりあう世界






城の入り口からすぐのエントランスに降り立つと、そこには既に人間の一団が入り込んでいた。
その数は六人。今までやってきた人間たちはもっと大人数で来ていたから、今回は少ない方だ。それに、六人の中の一人には見覚えがあった。
そんな事を考えながら彼らを見下ろしていると、見覚えのある白髪がこちらを向き、その口元に小さな笑みを浮かべて見せた。


「案内人………」
「魔王さん、お久しぶりじゃな」


この城の周りは迷宮のように入り組んだ森と、大量の魔物、そして人の感覚を狂わせる魔法で閉ざされている。人間たちは魔法でそれらを打ち破りここに辿りつくのだが、運の良い人間たちは俗に『案内人』と呼ばれる職業の人間に出会う事がある。
彼らの役割は名前の通り案内をすることだ。入り組んだ森を正しい道に進み、魔物の少ない場所を示し、感覚を狂わせる魔法を本質的に無視する事が出来る。魔王の城への案内などという危険な職業になりたがる者は少ないが、多額の報酬と引き換えに依頼されれば彼らがそれを断る事はない。

そんな特殊な一握りの人間たちの中でも、今目の前にいる案内人はさらに特異的だ。報酬は要求せず、命の危険を顧みる事はない。大体の案内人が魔王の城の前で帰っていくのに、彼は城の内部まで案内し続ける。
今までにその特徴的な白髪を何度も見ているし、彼が連れてきた人間たちが一人残らずやられても、薄く笑ったまま動かないその奇妙さを知っている。
どこか人間という種族から踏み外しかけている、人間。
何度も顔を合わせているうちに、自然とその声も覚えてしまった。


「仁王、あいつが魔王か」


一際大きな剣を下げた大柄な男が案内人に問う。
仁王と呼ばれた案内人は頷いて、ふっと手を上げ、俺を指した。


「あれは、魔王じゃ。人間の敵。世界の、敵」
「そうか」


名も知らぬ男が首肯し、剣を一挙動で抜き去る。同時に、周囲に散っていた男の仲間だろう人間たちも、それぞれ戦いの準備を始めた。
男が正眼に構えた剣の向こうから、鋭い視線を俺に注ぐ。
見慣れた風景と、感じ慣れた殺意、緊張。そのどれもが俺を責めているようで、少しだけ胸が痛かった。

俺が、死ねば。

小さく心の中で呟いて、即座に首を振る。何度も考えたその問いの答えは同じだ。

俺は、まだ死ねない。

決して生きたいわけではないけれど、死んでもいいという気持ちになった事はない。
だから、戦うのだ。無謀な挑戦をし続ける人間たちと。


「俺は、真田という。お前の名は?」
「君の名前なんてどうでもいいよ。それに……俺には名前なんてない」


誰だって、俺を呼ぶ時には憎しみを込めて「魔王」と呟くのだから。
名前なんて必要ない。
誰にも呼ばれない名前など、名前ではない。


「それも、そうだな。魔王は倒すべき敵、それだけで十分だ」
「その通りだよ」


男が一つ息を吐き、剣の構えを僅かに変える。それに応じて右手を上げると、その周囲を黒い霧が漂い始めた。
緊迫した空気の中で、白髪の案内人だけがにやついた笑みを浮かべている。その真っ赤な口元が目の裏に焼きついて、消えなかった。


「行くぞ」


わざわざ言葉に出してくれる男があまりに滑稽で、思わず口元が緩んだ。
上げていた右手を振りおろすのと、男が駆け出すのはほぼ同時。
剣が白い軌跡を生み、俺の手から放たれた黒い霧が鋭さを増しながら男に向かって翔ける。霧が男に到達する寸前で、白い光が男を包み込んだ。ちらりと目をやれば、男の仲間が短杖を掲げている。
光の魔法を使われると、闇の力は効果を失うのが定石だ。
けれど。
黒い霧は一瞬だけ光と拮抗し、瞬き一つの時間で男の仲間が放った魔法を打ち破った。人間ごときの力で、魔王の魔法を破れるはずがないのだ。
ぱりんと弾けて消えた光の残滓を浴びながら、漆黒の霧が男の腕に絡みつこうとする。しかし、男の腕が霧に覆われる寸前に違う影が飛び込み、霧はその影の全身を覆い尽くした。姿が見えなくなるほどに闇に覆われた人間がひどく耳障りな悲鳴を上げて床を転がる。


「これで、一人」


小さく呟くと、男が絶叫のような声を上げて飛び込んでくる。けれども、まだ距離がある。人間では縮めようのない、大きな差。
男から視線を逸らし、先程光の魔法を放って邪魔をしたであろう魔法使いを視界に収める。案内人を守るつもりなのか、薄笑みを浮かべた彼の前に立ち、短杖を両手で支えて魔法使いは俺を見据えていた。
腕の一閃で闇の力を凝縮した球体を魔法使いに向けて叩きつける。抵抗するように短杖から光が溢れ出したが、先程と同じく光は闇に打ち砕かれ、消え去った。驚いたような魔法使いの表情がぶれて、その身体が壁に叩きつけられて床に落ちた。


「二人」


残るは、三人。
そのうちの一人は赤い髪を持った子供だった。案内人の背後の壁際にしゃがみこんで、小刻みに震えながら俺を見ていた。一体何故こんな所に子供がいるのかは分からないが、とりあえず無視しても良いだろう。
ならば、あとは。


「二人だな」
「何をぶつぶつ言っておるのだ! こっちを向け!」


考え事をしている間に間合いを詰めてきた男の剣が、すぐ目の前まで迫っていた。
一瞬だけ眉を顰め、無造作に左手を上げる。男の剣が吸い込まれるように手の平に叩きつけられ、受け止められた。


「な、んだと……?」
「魔王ってね、魔力だけじゃなくて握力も人間以上なんだよ」


知ってた?、と無邪気に尋ねて、剣を握りしめたまま男の身体ごと左手を振りまわした。子供が飽きた玩具を捨てるように、唐突に手を離してやれば、男は無様に呻きながら床に叩きつけられる。

動かない男の姿を確認していると、いきなり背後から衝撃が走った。
頭を殴られたような勢いで、思わずよろめく。のろのろと振り返ると、最後に残った人間が長杖を俺に向けていた。周りの空間に赤い破片がひらひらと燃えている。それを見て、炎の魔法を叩きつけられたのだと理解した。
深い色のローブを着こんでいるせいで、魔法使いがどういう人間なのかは分からない。けれど、先程の魔法の威力で魔法使いとしての器は知れた。


「戦うのをやめるなら、見逃してあげるよ」
「……魅力的な提案だが、断っておこう。お前の後ろで倒れている男は太陽神の血を継いでいる。そいつが諦めない限り、俺たちもまた諦めはしない」
「太陽神……にしては、弱かったけど」
「魔王がここまでの力を持っているとは思ってもみなかったのでな」
「そう。……残念だよ」


腕を上げると、魔法使いも杖を掲げた。一度だけ息を吸い込み、腕を振り下ろす。同時に振り下ろされた杖の先から真紅の炎を飛び出したが、呆気なく闇の力で消え去り、そのまま黒い霧が魔法使いの身体を吹き飛ばした。


「これで、終わりだ」
「……いいや、終わりでは、ない」


響いた声に振り返れば、剣を支えにして太陽神の血を継ぐ男が立ちあがろうとしているところだった。


「無駄だっていう事が、分からないのかい?俺の力の前で、君たち人間はあまりにもぜい弱すぎる。どう足掻いても、何人でかかってきても、俺には勝てないよ」
「俺は、偉大なる太陽神の血を継いでいる。俺がお前を倒さなければ、誰がお前を倒すというのだ!」
「……人間って勝手な生き物だね」


俺だって、生きているのに。

そう呟いた瞬間、男が驚いたように目を見開く。その人間らしい表情が妙に癇に障って、自分でも意識しないうちに男の身体に拳を叩きこんでいた。
男は顔を歪め、ふらりとその場に崩れ落ちる。それを見下ろして、俺は冷たく吐き捨てた。


「立ち去れ。ここは魔王の城だ。人間のいるべき場所ではない」
「……何故、殺さない………」
「俺にはお前を殺す理由がない。元々、人間を殺す趣味なんてないんだ。だから、俺の目の前から消えろ」
「だが……だが、お前は魔王だろう!」
「―――――そうだよ、俺は『魔王』だ」


だからどうしたって言うんだ。
魔王は生きていちゃいけないのか。
魔王はひっそりと暮らす事も許されないのか。

言いたい事は胸の中で渦巻いていたが、結局言葉にはならなかった。言葉になる前に、男が力尽きて気絶してしまったのだ。
ため息交じりの息を吐き、辺りを見回す。隅で震えている赤毛の子供と笑みを浮かべたままの案内人を一瞥し、踵を返した。

男の呻くような問いかけが、いつまでも耳の中で響いていた。




考える必要はなかった

どっちが正しいのかなんて

101027


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