彼は生まれた時から魔王だった
誰もが彼を魔王として扱い、畏怖し、恐怖し、嫌悪した

彼はそんな沢山の暗い感情だけを向けられて生きてきた
いつだって一人だったけれど、寂しいと思った事はなかった
寂しいという言葉の意味が、彼には分からなかった

彼は決して誰かを傷つけたいわけではなかった
けれど誰かが彼を見れば、必ず悲しい声をあげたから

だから彼は、一人ぼっちで生きていくことにした






歪んだ世界を白で正す






「魔王め、覚悟しろ!」


手に大きな剣を握りしめ、飛びかかってきた青年を彼は腕を一振りで跳ね飛ばす。
壁に叩きつけられた青年のすぐ傍で呪文を唱えていた少女に向かって魔法を放ち、その小柄な身体を床に叩きつけた。
無様に床に転がってうめき声を上げる人間たちを冷めた目で見つめ、彼は小さくため息をつく。不躾に彼の住む城に押し入ってきた人間は、全員その場に倒れていた。

魔王である彼を倒せば世界が平和になると信じ、人間たちは幾度でもここにやってくる。人間と魔王が戦って勝ち目があるはずもないのに、彼らは諦めるという言葉を知らないのだろう。
その度に彼は人間達を容赦なく退け、何度倒されても諦めない愚かな人間からはその命を奪った。殺してしまうと後始末が面倒だけれど、同じ人間に毎日命を狙われるよりはましだ。
沢山の血が流れ、多くの命が失われ、けれども人間達は諦めない。人間達を保護する太陽神も、それを止める事は無い。むしろ、魔王は悪しき者であると、声高々と人間達に言い聞かせ、その闘志を滾らせている。
次々と送り込まれてくる人間全てを相手するのは億劫でしかなかった。何より彼は人間達を恨んでいるわけではないのだ。彼らとは住む世界が違う。いてもいなくても、さしたる違いはない。
そう思っているのは彼だけで、人間たちは勝手に彼を脅威としているのだけれど。


「ふふ……今さら、だね」


そう、今さらだ。こんな事を考えたって意味がない。
彼は魔王以外にはなれないし、魔王以外になりたいとも思わない。
この身に宿る強大な力も、人間とは根本的に違う外見も、彼にはどうしようもないのだから。

最後に倒れた人間たちを一瞥し、彼は踵を返した。
ここに放り出しておけば、大体の人間は気がついた後に逃げていく。時折そのまま残って彼を倒そうとし続ける者もいるが、そういう輩は魔法で追い出し、あまりにもしつこければ望み通り命を奪ってやるだけだ。
こつん、こつんと響く自分の足音を聞きながら、彼は暗い廊下を進む。太陽の光が差し込まないこの地方独特の薄暗さが、彼の住む城全体を覆い尽くしていた。

彼は、魔王だ。
この世の条理で言えば、闇の頂点に立つ者。そんな存在が、太陽と相容れる事が出来るわけがない。
彼を倒すとしたら、光の頂点に立つ太陽神の血を継ぐ者だろう。そんな人間が存在するのかどうかは知らないが。

自嘲気味に笑いながら、彼は廊下の端に位置する自室に戻った。この城は彼の物だが、あまりに広すぎる。普段使っていない所がどのような構造なのかさえ、彼は知らなかった。
月が昇る方向にあるベランダに向かい、外の世界を見透かす。
眼下に広がるのは鬱蒼と茂る広大な森と、黒々とした水を湛える巨大な湖。闇を好む生物たちが住む着くそれらを眺め、次いで城の入り口に目をやると、意識を取り戻したのだろう先ほどの人間の一行が悄然とした足取りで去っていくのが見えた。
彼らは何処から来たのだろう。気付けばこの城に君臨し、人間たちに魔王と呼ばれ、ああそうなのかとそれを受け入れて生きてきた彼に故郷はなく、親もいない。誰かとまともに言葉を交わしたこともない。
そんな彼からすれば、人間たちが持つ故郷というものが想像できない。彼にとってはこの城が故郷になるのだろうけれど、だからといって何かの感情が浮かんでくることもなかった。外に出る事の出来ない彼には、戻る場所など必要ない。

永久に近い時を生き、絶対に近い力を持ち、誰とも相容れる事が出来ず、ただ漫然と世界に君臨し続ける魔王は、己の城から出る事も出来ないのだ。
城は彼を逃さない牢獄。魔王を閉じ込め、封印し、世界に闇の力が溢れる事がないようにするための、檻。

目の鼻の先に外の世界がある。
彼が一度も見た事の無い、広大な自由がある。
けれども、彼がそこに行く事はない。


「それが、世界だ」


長い永い時をここで過ごしてきた彼が出した、一つの結論だった。


ぼんやりと特に飛ばしていた意識が、彼の領地に侵入した何者かの気配に呼び戻される。
息を詰めて気配を辿り、それが彼を倒すためにやってきた新たな一行だと確認し、ため息をついた。
また人間と戦わなくてはならない。そんな暗い感情を心に押し込めて、彼は素早く身を翻し、暗い城の中へと戻って行った。




哀しみだと知らなかった

苦しみだと気づかなかった


101026


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