城に入り込む人間と言葉を交わす事はできないかと考えた事があった
自分以外の誰かと話をすれば、何かが変わるのではないかという儚い希望があった

太陽神に俺は魔王ではないと、人間達を傷つけるつもりはないと伝えてもらえばいい
そうすれば、きっと太陽神も俺の事を放っておいてくれるようになる

けれども、言葉を交わそうと近づけば近づく程に、人間達の瞳には恐怖の色が浮かんだ
俺がいくら穏やかな声で言葉を発しても、怯えさせないように姿を隠しても、彼らは俺の言葉に耳を傾けない

魔王、と呼ぶ声が城に響く
その冷たい響きが、何よりも嫌いだった






消耗するだけの心を






身勝手な問いを、身勝手な心でぶつけてきた人間は、青褪めた表情で俺を見ていた。馬鹿馬鹿しいという気持ちが胸の奥から湧き起こり、はしたなく大声で笑いたいと思う。けれど、強張ってしまった顔の筋肉はどうやってもほぐれそうになかった。
投げられた問いは、自分でも何度も考えた疑問だ。それに対する答えは、かつて自分一人で弾き出していた。


「これで気がすんだかな。君の問いには答えたよ」
「……俺はっ……!」


そんな事を問いたいのではない、と言葉にならない声を詰まらせたまま、尚も雄弁に黒い瞳が訴えかけてくる。
それを見ていると胸がざらざらと乾いていくような気がして、すぐに目を逸らした。ガラス張りの天井から見える灰色の雲が、どんよりとしたいつもの色でゆったりと流れていた。

魔王だと口々に叫ぶ人間たちの声が耳の奥で木霊する。
この城から出る事さえできない俺に、一体何ができるというのだろう。


「この城は俺を閉じ込める檻で、そして言うならば棺だ。俺はただ一人、誰からも祝福されなかった生をここで終える。その時、君たち人間は諸手を上げて喜ぶんだろうね」


誰もが口々に死ねと言うのだから、死ぬべきなのだろうと思ったのはいつだっただろう。
何故自分が恨まれるのかさえも分からず、どうしてか使える力で襲いかかる人間達を退けて。終わりのない恐怖と浴びせられる罵詈雑言に心が耐え切れずに悲鳴を上げていた。

誰一人自分を認めてはくれない。薄暗い城で時間の感覚すら失う程に孤独な時を消費して、時折訪れる自分以外の生き物には死を望まれる。
その繰り返しの中で擦り減った俺の心は、いつしか全てを別の世界のものだと結論付けていた。
手の届かない、遠い場所の出来事。だからこそ、それに対して何かを思う必要はない。自分に矛先が向けられても、知らないふりをしていればいい。人間は俺には勝てないのだから。

人間を恨む気はなかった。それもまた、別の世界の出来事だったから。


「君の問いに答えたんだ。折角だから、俺の問いにも答えて貰うよ」


澱む心を振り払って、無理矢理に言葉を紡ぐ。青褪めた人間が恐れを宿した目で俺を見た。今までの人間達が浮かべていたのと同じ、得体の知れないものを見る目。そんな目をさせたいなんて、思ったことは一度も無いのに。


「君は何故、俺を殺そうとするの?」
「何、だ……と?」
「俺が魔王だから。太陽神が望むから。魔王は悪しき存在で、人間を傷つけ、太陽神の意向を損なうものだから? ねぇ、君たち人間は、どうして俺に、そんな理由で死を望むの?」


そんな意味のない言葉の羅列は、俺には関係のないものなのに。
一度だってこの城から出た事がない俺が、いつ太陽神の意向を損ない、人間を傷つけたのだろう。

やってくる人間達の剥きだしの殺意に怯えて彼らを退ける事が、俺の罪だと言うのか。死を望まれるまま、どうして生まれたのか分からない命を捨てろと言うのか。


「ねぇ、どうしてなんだい。どうして俺は、死を望まれなくちゃいけないんだ。太陽神は、何故俺を疎む? この命の―――その存在すら、罪だと言うのか」
「……わか、らぬ。俺には……」


掠れた声で否定の声を上げて、人間が力なく手から大剣を取り落とす。激しい音が響いて、彼の足元の花が剣の重みで潰れていくのが見えた。可憐な花びらがひらりと舞って、水の流れに沿ってゆらりと消えていく。
こんな風に散っていく花を見るのが好きだった。その花と同じように、自分の生にも終わりがあるのだと実感させてくれるから。
生まれた時から当然だったこの世界の全てを疎む事は無い。悲しみも、寂しさも、何も浮かんでは来ない。それが俺にとっての当たり前だったから。けれども、自分だけに聞こえる心の軋みを聞く度に、この虚しい時間の浪費がいつ終わるのだろうかと思ってしまう。終われば良いのにという願望にはなれない、ほんの些細な期待だ。


「―――君のその反応が当然なんだろうね。最も、今まで来た人間達はもっと酷かったからその反応すらなかったけれど」
「……酷い?」
「簡単に言うなら、俺の言葉には耳を貸さない。ただひたすら、俺を殺す為だけに武器を振るう。俺が何もしなくても、だ」
「間違っているのは、人間なのか」
「知らないよ、そんな事。どちらが間違っているのかなんて、考えても仕方がないだろう。人間は俺を殺そうとするし、太陽神はそれを奨励する。君たちの世界では俺が悪である事は当然で、それを覆す事はもうできないだろうね」
「俺が……っ!」


唐突に、剣を落としたままに彼が叫んだ。青褪めた顔色はそのままだが、声には力が戻ってきていた。そんな事をぼんやりと考えながら、ただどこまでも真っ直ぐな瞳を見つめる。


「俺が、太陽神にしかと伝えよう。魔王に人間を害す意志はないと。太陽神の意向を損ねるものではないと」
「それを、誰が信じる? 君が確かに太陽神の血を引いているかもしれない。けれど、それはそれ以上の価値を持たないよ。太陽神が君の言葉に耳を傾けるとは思えないし、他の人間にしたって同じだ。君は魔王討伐中に魔王に怪しい魔法をかけられたとでも思うだけだろうね」
「それでも……それでも、俺は真実を伝えねばならぬ。それが、俺の義務だ」
「誰も、信じなくても?」
「―――ああ」


強い声で人間がはっきりと肯定を告げる。しばらく、その生真面目な顔を見つめていたけれど、不意に馬鹿馬鹿しくなった。こんな人間の言葉に耳を傾けて、あまつさえそれを信じようとする自分がいる。その事実が何よりも、心の底から虚しい。


「……そんな事をしても、」


例え、太陽神が俺の存在を許しても。人間達の殺意が俺から逸れても。
そんな事に、意味はないのだ。例え人間達の世界が変わっても、俺が城から出られる日は来ない。人が訪れなくなったこの薄暗い城で、緩やかに死へと近づいていくだけだ。


「君の決意はありがたいけれどね、そんな事はしなくて良い。もう、良いんだ。今更世界を変えたって、仕方がないんだから」
「それでは俺が納得できん。誰も真実を知らぬが故に傷ついていく者がいるなど俺には耐えられぬ。これは俺の身勝手だ。何があっても、俺は太陽神に真実を告げよう」


だから、と一瞬言い澱みながら人間が告げた。


「俺にお前の事を教えてくれ。何も知らぬままでは、太陽神に真実を告げられぬ」


言葉が衝撃となって全身を揺らし、返す言葉が咄嗟に思い浮かばなかった。
この人間は、一体何を言いの出すのだろう。何を考えて、そんな事を言うのだろう。魔王である俺の事を教えてくれだなんて、正気の沙汰ではない。それなのに。
真っ直ぐに前を見て、俺の瞳を見返す漆黒の瞳は一切ぶれない。その強さが決意の思いを表しているかのようで、さらに言葉が出てこなくなってしまった。


「俺たちは何も知らぬままにここへ来て、お前を傷つけた。その償いもまだできておらぬ。借りを残したまま背を向けるのは性に合わんのだ」
「……魔王の城に、留まる気かい?」
「城の周囲は十分に夜営ができる環境だった。不自由は多いだろうが、これまでの道中でそれには慣れている。何の心配もない」
「心配の話をしているんじゃない。俺は君の正気を問うてるんだ」
「元より俺は―――」


少しだけ、痛みを堪える顔をして彼が笑う。ひどく寂しげな笑みは、どうしてかしっかりと目の奥に焼き付いた。


「この世界からずれた異物だ。少々道を踏み外しても、今更それを咎められる事は無い」
「―――呆れたよ。太陽神の血を引く勇者なるべく者が、そんな事を言い出すなんてね」
「俺も魔王であるお前の考え方に驚いている」
「そういう事を言ってるんじゃないんだけどね……俺が否と言っても、君は残るんだろう。なら、敢えて俺の許可を取る必要なんてないよ。好きに、するといい。俺もいつものように好きにさせてもらうから」
「待て!」


今度こそ彼に背を向けて、魔法を使って花が咲き乱れる広間を後にする。低い叫びが最後まで耳に残って、それがどうしてかやるせなかった。
微かに願うのは、愚かな希望だ。もしも本当に、彼が太陽神の説得をすることが出来たら。
けれど、一瞬後に浮かんだ言葉にその希望は打ち砕かれて消えていく。ぎりぎりと心臓が締め付けられるかのように痛んで、思わず漏れた低い呻きが自分を包んだ。じわりと薄暗い部屋の空気を揺らしたそれが消えるまで、身じろぎひとつする事すらできなかった。



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