道端に座って、流れていく人々を見つめていた
通り過ぎていく足を目で追って、ぐちゃぐちゃに紛れる匂いをかぎながら

誰一人、わたしを見る人間はいなかった
誰も私に気づいたりはしなかった

だからわたしはずっと一人でベンチに座っていた
暖かい日差しを浴びながら、どこか遠くを歩き去っていく人間たちを見つめて、ずぅっとベンチに座っていたのだ






片翼のナイチンゲール






彼らは、ガッコウでのジュギョウを終えたあと、ブカツというものをやるらしい。
ブカツにはあの黄色いボールと変な形の棒が必要で、彼は笑いながらわたしにボールを一つ貸してくれた。
外に出て、緑色の地面をじゃりじゃりと踏みしめながら、黄色いボールを前足で転がして遊ぶ。
周りでは彼と彼の仲間たちがボールを棒で弾きあっていた。凄い速度で行き来するボールを眺めていると、少しめまいがした。
もしもボールがわたしに当たったら、大けがでは済まないだろう。そのままどこか遠い所へ行ってしまえるような気さえする。

けれども、絶対にボールがわたしに当たることはないだろう。
だって。



「どうかしたかい?」
『いいえ、なんでもないわ』



彼がいつものように柔らかく微笑みながら、わたしのすぐ隣に立っているのだから。
彼に当たらないようになのか、わたしのことを考えてくれているのか、わたしたちの傍にボールが飛んでくることはなかった。

黄色いボールに爪を立て、がぷりと噛みついてみる。
ちょっぴり苦くて、砂の味がした。あんまりおいしくない。

それを見ていた彼が小さく声を上げて笑い、わたしが吐き出したボールを拾い上げる。



「これは食べられないよ。お腹がすいたの?」
『少し、気になっただけよ。……あんまりおいしくなかったけど』
「困ったなぁ、俺は食べ物なんて持ってないし」
『お腹がすいたわけじゃないもの、平気よ』
「うーん……そうだ、部活が終わったら俺の家に来るかい?母さんの作る料理はおいしいんだよ」
『……人間のごはんなんて、いらないわ』



人間の食べ物は総じて味が濃い。匂いもきつくて、わたしには食べられないものが多いのだ。



「俺は魚が好きなんだけど、君はどうかな。今日は焼き魚だと思うから、それなら君でも食べられるだろう?」
『…………』



返事をしないまま俯いていると、そっと彼が手を伸ばしてきた。
そのまま両脇からすくいあげられ、気づけば彼の腕の中に納まっていた。
人間にここまで近づいたのは初めてで、けれど彼だからだろうか、少しも嫌な気がしない。
暖かくて、優しい。それは一人で生きていく世界にはないもので。



「人に食べ物を貰うのは嫌なのかい?」
『……施しを受けているようなんだもの』



人間が嫌いという訳ではない。
けれど、自分が猫であり、人間と同等に生きていけるものではないと分かっているから、食べ物を貰うと「飼われている」ような気がして嫌だった。
人間はあくまで、わたしのような猫に餌を与えて飼い慣らす、という認識を持っている。
どんなに優しくしてくれても、その根底にあるのはその意識なのだ。
その考えが見えてしまうと悲しくなるから、だから最初から何も貰わない。
その方が、気楽でいい。



「じゃあさ、こうしようよ」
『なあに?』
「俺が君を我が家に招待するんだ。一緒にご飯を食べよう」
『……何を言ってるの。猫を招待、だなんて』



彼は優しくわたしの背中を撫でながら、楽しそうに告げる。



「ついでに俺の家に泊まっていきなよ。明日の朝、公園まで送るから」
『一人で帰れるわ。そこまでしてもらう必要なんてないもの』



いつもはわたしの言葉を的確に読み取ってくれるくせに、わざと聞こえないふりでもしているかのように彼はわたしの声を完全に無視している。
それが少しだけ腹立たしくて、けれど彼の誘いが嬉しいという気持ちもあって。
何とも言えない気分で黙り込んでいると、ふいに彼がわたしを肩に乗せた。
いつもの何倍も視線が高くて、ちょっぴり怖い。
爪を立てて彼にしがみついたけれど、彼は何も言わなかった。



「……精市、何をしているんだ」
「この子を肩に乗せてるけど?」



呆れたような声、だれかの笑い声。
皆が彼を見て、わたしを指さして笑っている。
少し居心地が悪くて、恥ずかしくて、けれどそれよりも何倍も心が暖かかった。



「部長、使い魔連れた魔王みたいっすねー」
「…………赤也」
「……すんません」
「使い魔なんて失礼だろう」
「……は?」



くるくるの黒髪が不思議そうな顔をして、すぐに曖昧な笑みを浮かべて頷いた。

彼はあまり動かず、わたしが落ちてしまわないように注意を払ってくれていた。
爪を立てなくてもバランスが取れるようになって、恐る恐るわたしは改めて辺りを見回した。
飛び交うボールの中で、わたしと彼だけが間違って紛れ込んでしまったかのように静かに立ち尽くしている。



『……わたし、今日は帰るわ』
「…………」



彼は何も聞こえていないみたいに、じっと動かない。
初めてこんなに近づいたぬくもりはとても心地よくて、このままずっと傍にいたいとも思ったけれど。



『あまりにも暖かすぎるから、離れられなくなったら困るもの』



そんなことはできないと、わたしが一番知っているから。

わたしは猫。ただの白猫。
人間と共に生きることはできても、寄り添うことはできない。
寄り添うことができないならば、この暖かさは知らない方が良い。
一度甘えてしまったら、逃げ出すことができなくなってしまうから。

彼は何も言わなかった。
ただまっすぐ前を見て、静かに立ち尽くしていた。
折角の誘いを断ってしまったことが少し胸に痛くて、そっと首を伸ばして彼の頬をなめた。
彼は一瞬くすぐったそうに身を縮めて、小さく笑った。



『ごめんなさい』



本当に小さく、微かに声をあげれば、彼が無言で微笑んでくれたような気がした。





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