自分の声が木霊する
できる限り、彼女に似せた声

どこまでも、甘く優しく、彼を包むための声

そうして彼の傍にいられるだけでよかったのに






君のよわさがほしかった






目を開くと、真っ白い世界にいた。

右を見ても、左を見ても、なにもない空間。
ただ白く、広いだけの空白だった。

にゃあ、と声を出してみれば、それはどこにも届かずに消える。
その不気味さに震え、ひどく悲しくなった。


彼から逃げ出して、行きつく先がこことは思わなかった。
あの時彼女が言ったように、わたしはここで惑うのだろうか。



『……ようやく、一人』



彼と出会う前の、孤独。
それはとても慣れ親しんだもので、どこか懐かしいものだった。

どうしてか、心地いいとさえも思ってしまう。



「……一人では、ないわ」



響く声とほぼ同時に、目の前の空間が歪み、そこに見覚えのある少女が湧き上がる。
呆然とそれを見上げると、彼女はにっこりと微笑んだ。



「こんにちは。また会ったわね」
『まだ、ここにいたのね』
「私は、ずぅっとここにいるわ」
『どうして?』
「さぁ、どうしてでしょうね」



彼女は既に死人だ。
どこまでも広がるだけの空間で惑った、もう還れない人。

なのにどうして、ここに留まるのだろう。
ここには、なにもないのに。



『……彼を、待っているの?』
「もしもそうだとしたら、私はとても愚かな人ね」
『でも、そうなんでしょう』
「…………否定はできない、かな」



そう曖昧に言葉を濁し、彼女は時折不安定に揺れる手を伸ばした。
その手にそっと抱えあげられて、初めてわたしは身体が動くことに気づく。



『身体、が……』
「動くでしょう。ここではね、生きてきたころに背負ったものを降ろすことができるのよ」
『不思議なところね』
「最初は戸惑うけれどね、慣れるとどうってことないわ」



くすくすと笑う少女の手に抱かれたまま、わたしは白い空間を漂う。
少女はどこかに向かって歩いているつもりなのかもしれないが、どうにも方向が定まらない。
何の目印もないこの空間では、方角などないのだろう。



「いつかあなたもここに来るだろうとは思っていたけれど。こんなに早いとは思ってなかったわ」
『……もう、疲れてしまったんだもの』
「そうね。私がたくさんのことを押し付けたから」



少女はふいに、甘い声で彼の名を呼んだ。
戯れにしては、その声はどこまでも優しい。

その暖かさを感じながら、わたしはふわりと尾を振る。
身体が自由に動くという、ただそれだけのことが何よりも嬉しかった。



「ねぇ、キリちゃん」
『なあに?』
「本当にありがとう。私の我儘を聞いてくれて」
『……わたしは……』
「どれもね、もう私にはできないことだったから。だから、凄く嬉しかったの」



あぁ、と小さく思う。
きっと彼女は、もっともっと彼の名を呼びたかったのだろう。
もっともっと傍にいて、彼の妹と仲良くなって遊びたかったのだろう。

返す言葉を見つけられずに沈黙すれば、彼女は声を上げて笑った。
ゆらりと揺れる手がわたしの背中を撫でて、愛おしむような暖かさを感じさせる。



『……ずぅっと、ここにいるの?』
「ええ、そうよ。精市はみんなが思っているよりもすごく弱くて、泣き虫なんだから。だから、私は待っているの。彼がいつかここにやってきて、私を見つけてくれる日を」
『いつになるか、分からないのに?』
「ええ。ずっと、待つわ。私が勝手に始めたことだから」
『寂しくない?』



言葉の返らない沈黙に、そっと彼女の顔を見上げれば、そこには悲しげな横顔があった。
背中を撫でる手が止まり、のろのろと視線がわたしを捉える。



「本当は、寂しい。一人ぼっちは、辛いから。真っ白い世界の中で、いつか私は私を失ってしまうんじゃないかと思うと、すごく怖い」
『……それでも、待つの?』
「それでも、待つわ」



泣きそうな表情とは似ても似つかない、凛とした声。
躊躇いなく、一息にそう言い切って、彼女は泣き笑いのような表情を浮かべる。



「だって、そうしないと」
『……?』
「ここに来た時に、精市が寂しがるもの」
『寂しがる?』
「約束を、守れなかったから。私は精市を置いて、一人でここへきてしまった。私が精市を待つことはとても寂しことだけれど、きっとそれ以上に精市は寂しさを感じたはずだから。だから、私は精市を待たなくちゃ」
『……彼はこれからも生きていくのよ。そのうちに彼に寄り添う人ができたらどうするの?』



待ち続ける彼女の事を、彼は知らない。
長く続くだろう彼の人生で、彼女を忘れる日が来てもおかしくはない。

その時、忘れられるだけの彼女は、何を想うのだろう。



「いいのよ。本当は、それが一番いいことだもの。その時は私も先に進むわ。きっと彼は寂しくなんかないだろうから」



寂しそうに、嬉しそうに、彼女は微笑みを浮かべてみせる。

進んでいた足が止まり、ふわりと風が鬚を揺らす。
先を見やれば、そこには大きな門があった。白い、穢れを知らない門。



「ここに進めば、先へ行けるわ」
『先って、なんなの?』
「分からない。私も行ったことがないから。けれど、きっとここにいるよりは良いはずよ」



そっと腕から解放されて、わたしは不安定な床を見下ろして躊躇う。
ちらりと彼女を見上げれば、促すように背中を撫でられた。



『……わたしも、ここにいるわ』
「…………え?」
『わたしも、あなたと一緒に彼を待つ』
「どうして。あなたは私のせいで苦しんだのよ。なのに……」
『独りは、痛いもの』



ずっと、ずっと一人だったから。
だから知っている。
誰も自分を認めてくれない辛さを。
放つ声に応えてくれない虚しさを。

だからこそ、わたしを見てくれた彼に愚かな恋をした。



「……ここは、寂しいわ。私しか、いないのよ」
『あなたとわたしで二人だわ。もう寂しくなんかない』
「彼がいつ来るのかなんて分からない。ずっと、ずっと待つのよ」
『構わないわ。先に進んで幸せになれる保証もないもの』



それでも躊躇う彼女の足に纏わりついて、にゃあと鳴いて見せる。
白く長い尾を振って、その暖かい身体に縋りついた。



「……あなたの目」
『?』
「綺麗な緑色をしてるのね」
『そうよ』
「……そういえば、白以外の色を見たのは久しぶりね」



伸びてきた腕が、またわたしを抱き上げる。
白い世界の中で、白い温もりに包まれて、わたしはゆっくりと目を閉じた。

ゆらりゆらりと揺られながら、一度だけ尾を振り、彼女の温もりに甘えるように鳴いた。


いつまでこの温もりに抱かれていられるのか分からないけれど。

生まれた時から、一人だった。

彼と出会って、温もりを知った。
彼から離れて、寂しさを覚えた。

彼女と出会って、孤独の悲しさを見た。
彼女に抱かれて、これから生きていく。

願わくば、
猫のわたしが抱いた愚かな恋が、彼女の温もりに包まれて眠ってくれることを。


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