目を閉じて思い出すのは、光で見えない誰かの影
口元だけが僅かに浮かぶ逆光の中、音のない動きで唇が言葉を紡ぐ

本当は、音も聞こえていたはずなのに
その唇が紡ぐ言葉を聞いたはずなのに

何度も何度も思い出すその光景で音が聞こえたことはない
なにを言っているのとどうにかして問いかけようとするのに、何故だか身体は少しも動かない

繰り返される唇の動きをじっと見つめて、わたしはただぼんやりと誰かを見上げている






その邂逅はゆめのなかで






時折空気に溶けてしまうかのように揺れる彼女の後姿を追いかけ、雨が降りしきる中ひた走る。
制服を着ているせいか、すれ違う人々が驚いたような表情を浮かべていたけれど、そんなことに構ってはいられなかった。

彼女は振り返りもせず、ただ一定の速さで空を翔けている。
俺は彼女を見失わないように、ひたすらに追いかけるだけだ。

学校を飛び出して、どれほど走っただろう。
通り過ぎていく景色が見慣れたものになり、少しずつあの子のいる公園に近づいてきているのが感じられた。
あの子はまだ公園にいるだろうか。
それとも、どこかへ行ってしまったのだろうか。

雨の雫が口に入り込み、息を継ぐたびに喉の奥に染みる。
彼女の進む速度はかなりのもので、見失わないためだけに全速力で走らなければならなかった。
少しずつ上がり始めた息を意識的に押し殺しながら、あの公園への道を駆ける。

あと一つ、角を曲がれば公園が見える。
そんなところまで来て、ようやく彼女が進むのを止めた。
追いつくために速度を上げた俺を振り返り、彼女が角の先を指さした。



『精市、行って。急いで。手遅れにならないうちに』
「手、遅れっ……!?」
『わたしもできる限りのことをするから。あなたが悲しまないように、あの子が苦しまないように』
「あの子、って……」



さすがに息の荒い俺を見下ろしながら、彼女が穏やかに微笑んだ。
それ以上は何も言わずに、ただ角の先に視線を飛ばす。

のろのろと視線の先に進みながら、少しずつ血の気が下がっていくのを感じた。
まるで、彼女の訃報を聞いた、あの瞬間のように。

その知らせはまるで、世界の終わりを告げるかのように、一方的で断定的で決定的だった。


角を曲がる瞬間、ほんの一瞬彼女を振り返った。
彼女はうっすらと透けた姿で空中に浮かび、ほんの少しだけ首を傾げている。

何かを言いたくて、けれど何の言葉も思い浮かばなかった。
それでも彼女は静かに頷いて、だいじょうぶ、と唇だけで告げてくれる。


あの時の言葉は嘘になってしまったけれど。
あの時の約束は守られなかったけれど。

ここに彼女がいることは真実で。
その彼女が告げる言葉もまた、確かな真実だった。


今度こそ迷わずに一歩踏み出し、角を曲がる。
何の変哲もない、雨で水浸しのアスファルト。その歩道のわきに、何か白っぽいものが横たわっている。
何が目に映っているのか、一瞬理解できなかった。
けれどそれを理解した瞬間、唇から叫びが飛び出していた。



雨の雫が生み出す波紋が白い身体に遮られている
赤い液体がじわりじわりと辺りに広がって
所々茶色く染まった白が雨に晒されて濡れぼそり
薄く開いた口の中に地面に溜まった水が入り込んでいた

あぁ、と言葉にならない言葉が漏れる
あの時の彼女もこんな風だったんだろうかこんなにも痛々しく、悲しい光景だったんだろうか



現実味を失った世界で、どうにか足を動かしてあの子の元へと歩いた。
びしょ濡れの両手を伸ばして、それ以上にびしょ濡れの体躯を抱き上げる。
いつも触れていた暖かさはどこにもなくて、ただただ冷たい感触がそこにあった。

何かを言いたいはずなのに、言葉にならない。
小刻みに震える手でその身体をきつく抱きしめて、喉の奥で呻いた。

どうして、と声にならない叫びで問う。
どこからも返事が返らないことは彼女の時に知ったけれど、それでもやめられなかった。



『精市』



何もかもが冷たい世界の中で、彼女だけがどこまでも暖かい。

いつの間にか目の前まで来ていた彼女が、白い身体に手を置いた。
ゆっくりと、慈しむようにその背中を撫でて、彼女が告げる。



『大丈夫よ、精市。だから、落ち着いて。この子を助けてあげて』
「助ける、ことなんて……俺は、君の事も救えなかったのに……」
『そうね、間に合わなかったわ。だからわたしは、もうあなたの傍にはいられない。生き返ることはできないから。死んでしまったら、もう何もかも終わりなの。でもね』



腕の中で、小さな身体がほんの少しだけ、身じろいだ気がした。



『この子は、まだ生きているでしょう?』



早く病院へ。
そう促す彼女に何度も頷きながら、おぼつかない足を叱咤して立ち上がる。

そうしてまた駆けだした俺を見送りながら、空を見上げた少女が静かに微笑んだ。





声が聞こえた。
あの時、聞こえなかった声だった。

ずっとずっと聞きたかった声。
ようやく聞こえたその声は、けれどあの時とは違う言葉をわたしに告げる。



「決して……」



残響のように、反響のように。
そして、あたかもそれだけが絶対であるかのように、声がゆっくりと言葉を紡いだ。




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